12/18

Date.2017.12.20

12/18

仕事中にYahooでその知らせを目にして、心臓が凍りついたかと思ったら動悸が激しくなり、なんとか残りの勤務を終えて帰宅した。なんにも理解できないままひたすらに部屋を掃除して、お風呂に入った。掃除をしている間に凍りついた指先が、お湯との温度差で痛みを訴えた。こんな時でも身体は痛みを感じるんだと思ったら、心はどこかに置き忘れたみたいなのに涙が止まらなくなった。とにかく今はニュースと距離を置こうと思って、ドラマを1話だけ見て寝た。

12/19

会社に行く気分になれなかったけれど、どうしても出なきゃいけない会議があったので思考を停止して電車まで身体をもっていった。電車の中で突然涙が出てきて、ずっと俯いていた。会社についてみれば、仕事に集中する方が楽なことに気付いた。仕事場で彼の話をしている同僚がいて、その名前を聞くのすら泣いてしまいそうでイヤフォンをした。誰かを好きになるということは、世界が変わるということなのだと思った。

帰宅して、まだわけがわからないまま涙が止まらなかった。昨日とは逆で何もする気が起きなかった。彼がいない現実もわからないままだけど、どうしても自殺という事実が飲み込めなかった。少しでも現実を受け止めてみようと思って動画でニュースを見て、彼の映像を見てもダメだった。ただ私の中にぽっかりとした穴があって、目からは涙が出てくるだけだった。

父が死んだ時、兄は「生き返らないの?」と母に聞いたそうだ。数年後に我が家の笑い話となったそのセリフが脳裏をかすめた。バカみたいだけど、今はあの時の兄を笑うことが出来なかった。

12/20

朝から不思議と、過去を思い出す。中学生で引きこもりになった時、母に連れていかれた心療内科で、私は自分の弱さを突き付けられた気分になって、もう二度と精神関係で病院にいかないと決めた。高校入学を機にまた学校に通ったけれど、受験を前にしてまた引きこもりになった。この頃の記憶はひどく朧げで、何が原因だったのかすら覚えていないくらいに全てを消し去った。それでも、担任に言われた「そんなんじゃ社会でやっていけない」という言葉を、私はこれから先も忘れることはできないだろう。大学入学で上京し、また環境が変わって外に出るようになった。でも、これまでよりもツラいことが待っていた。大学2年生の頃にある事情で精神がめちゃくちゃになった。その当時は、その事情に喰い尽くされて、この先の人生ずっと苦しいことしか自分には訪れないという考えが頭を占拠していた。私は母に手紙を出した。率直にいうと、死にたいという内容だった。そのことを知った叔母から電話がきて、親不孝者と罵られた。その通りだと思った。耐えて耐えて耐えて耐えて、自分を差し出しても認められることはなく、それが当然だと言われるなら、その当然に耐えきれなくなった私は親不孝者だし、出来損ないの人間なのだと思った。

そんな時、ツライ現実から救ってくれたのがK-POPのアイドルたちだった。その中に彼もいた。アイドルたちは、人間は愛しいものだと教えてくれた。アイドルを見ているうちに、性格も少し変わった。暗くて、ペシミスティックな私はまだいるけれど、それまで真面目に向き合っていた苦しみを手放すことを覚えた。中学生の頃のことがあって病院に行かなかったからハッキリと診断を下されたことはないけれど、食い荒らされているように感じていたあの頃、私は鬱だったのかもしれない。結局、私はその事情から逃げて、今も苦しみを手放すことで生きている。

今日の仕事からの帰路、横断歩道を渡っている最中に彼のことが頭に浮かんで唐突に現実を理解しはじめた。なぜなのかはわからないけれど、これまで目にしたあらゆる情報がフラッシュバックして、彼が自らを手放したことを少し実感した。彼がその方法でしか苦しみを手放すことができなかったのが、今はただひたすらに悲しい。

今はまだ彼の、彼らの歌を聞くことはできない。ヌナノムイェッポを歌う彼は永遠に年上だと思っていたのに、あと数年したら私はヌナになる。いつかはわからないけれど、その時私は彼の歌声を聴けるようになっているだろう。その事は何も変なことではなく、人間はそうして生きていくものなのだと思う。今年で一番長く感じる一週間、残り2日も仕事を休まずに、家事をして、土日はゆっくり休もうと思う。そして、アイドルたちが、心を健康に保つために芸能界に変化が訪れることを願いたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?