胃袋なんか要らない~かすみ嬢の居場所(42)


 新聞の「折々のことば」。
 胃袋でない形の新しい飢えって、表現が上手いなぁ。筆者の趣旨とは違うけれど、飢えを癒すのに、胃袋に食べ物を入れること以外の選択肢が現れたって見方もできる気もします。矛盾するようだけど、私は飢えを癒す方法として、痩せを選んだんだよーって。
 胃袋なんか要らない。

 それに一度不食に入ったら、その道から出るのは途方もなく難しいよね。同じ増やすなら、せめてきちんとしたものをバランスよく食べてって思うけども、食べるって選択肢がどんどんなくなってくのはね、なんでかな…。

 本当に、無意識にしていた食事を一度意識しちゃったら、もう何が正しくて何がダメかわからなくなっちゃって。でも一度意識しちゃったことを再び無意識下に収めることなんて、たぶん果てしなく難しくて。
 無理ならもう割り切っちゃって、とことん意識するしか道がないように思えるのです。

「食べて」って言われると、申し訳なくてたまらなくて、喉がきゅっと締まるようで、もっと食べられなくなる。さらに重ねて「どうしても食べなさい」って強制されると、体の中に入れた途端に後悔と絶望とが混ぜこぜになって、胃がぎゅって猛烈に痛くなって、さよならしてしまう。食べてって外からの圧力をかけられると、さらに「食べる」行為を意識しちゃって「普通」に食べることからどんどん外れてく気がします。
 時間を、余裕を、どうかください。
 食べられなくてごめんなさい。
 ご期待に添えなくてごめんなさい。

 でも、不食は不食で、食べなきゃって脅迫に苦しめられさえしなければ、とても楽なのね。

 そして「痩せたら自分を好きになれますか」って答えにはNOはあり得るけれど「痩せを貫く生き方を認められますか」には確実にYESなので、貫く生き方のほうが実のところ楽なのです。

 痩せは自己表現って言ったら言葉を飾りすぎだけど、でもある種の自己表現なのかなぁ。
 いわゆる、社会規範に対する目に見える反抗って感じ。私はあなた方の常識にとらわれませんよって意思表明。
 だからこそ、あんなに説得されるのかなぁ、赤の他人に。

 私の場合、自分を大切にし過ぎて拒食になったのに「貴女がやってるのは自傷行為よ」って言われるとわからなくなっちゃうな。世の中の「普通」枠に私を押し込められようとしてるのが、とても気味が悪い。
 私には私の「普通」があるのにね。

 倒れたこと、血球の異常値、自殺企図があること。ひとつひとつ挙げられて説明を受けると、他人様からはそんな風に見えるのか…ってびっくりしました。
 そんなに「異常」なの!? もうわからないや。

 でもね、今日、コートのベルトをぎゅっと結んだ時「厚着をした上からでもウエストほんとに細いのね」って言ってもらえて、お世辞でもすごく嬉しくなっちゃって。
 がんばろ。
 もっと薄っぺらくなりたいの。

 以前は摂食でしょって思われたくなくて、少し増やしたり体型が隠れるような服を着ていたけど、最近はもう開き直って、寒さと折り合いをつけながらも自分のしたいような格好してる。
 摂食だってバレたって、私、私の満足する姿でいたい。


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