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横に座ったピンクのリボンのおじさんの話

新幹線で神戸から東京に向かっている。4月から始めた東京と神戸の2拠点生活もようやく4ヶ月目。どこにいてもいつも楽しく面白く、いつも規則ただしく疲れる。

新幹線の3列シートの自由席に座るとき、横にどんな人が座るか、結構ドキドキする。人が混み合っていないときは、窓際の席に座り、真ん中にリュックなどの荷物を置く。(置かしてもらう。)

今日は私の横に、ピンクのリボンをつけたおじさんが座った。ピンクのリボンをつけて、ピンクのポロシャツを着て、ピンクのポーチを床に置いて、ピンクの丸い大きなビーズがついた髪ゴムを腕につけていた。

言わずもがな、一見ぎょっとした。多分同じ車両の人たちもぎょっとしていたと思う。座る席がなく、うろうろしていたその人の存在に気がついた私は、横に置いていたリュックを膝の上に置いた。「わたし名古屋までのなの」ってピンクのおじさんが言ったが、早口すぎて何を言ってるかわからなかったので、ん?と聞いて、また言った。「わたし名古屋までのなの」

そしてその人は、バニラアイスを食べ始めた。膝の上にイラストを乗せて、時々それを見ながら。

人はたいていの場合、知見(見て知ること)を超えた人に出会ったとき、「こわい」という感情を起こすものだと思う。そして、その知見は、自身の努力でなんとかなるんじゃないかと思う。経験や体験で、人の知見はどんどん広くなる。見て知らなくても、広がっていく。大体のことに驚くことはなくなる。赤ちゃんが泣くのは、お腹がすいているからだ、とか。あああああああと自閉症の人が声をだすのが、音がたくさん聞こえすぎるからだ、とか。認知症のおばあさんが、昔の話をずっと繰り返すのは、人の脳は長期記憶が記憶として残るからだ、とか。人の行動には必ず意味がある。一見、わからない行動の背景をどれだけ想像できるか、知ろうと努力するかが重要だと思っている。他人にすこぶる興味があった私は、小学生のころから、かなりの量の本を読んだ。いろんな人の有り得る感情、行動を知ることができた。自分にあった環境だって、特別ではない。どこかにいる誰かと同じだと思っていた。本のなかにいる人はフィクションじゃない、物語もフィクションじゃない、ノンフィクションだといつも思う。どこか誰かの存在だ。類似した存在だ。

ピンクのおじさんは、バニラアイスを食べたあと、少し缶コーヒーを飲んで、メロンパンをポロポロ落としながら食べていた。指をおって、名古屋駅到着までの時間を数えていた。とても姿勢がよかった。名古屋駅について、ピンクのおじさんが席を外したとき、もう一度その人をみた。目が合った。私のほうに腕がのびた。私の席の横に落ちていたメロンパンのカスをつまんだ、小さいカスはその場で、はたいていった。

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