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本当の望みに気づくと安心する

こんにちは。色葉です。

いろいろとこじれてしまった線がつながる時があります。つながって初めて、どれだけ明後日の方向に努力をしてきたかに気づきます。

自信を持って自立しないといけない

中学生の時、演劇部でした。舞台に立っているだけで自信なさげな私はよく「自信を持って」と言われていました。

廊下を歩いているだけで「もっと自信を持って堂々と歩いて」と言われました。

恋愛がうまくいかないとき「自分に自信がある女性が愛されるよ」とアドバイスをもらいました。

そして、私が自分を愛そうとするのは「そのままの自分、そのままの魂を受け入れて自信を持てるようになる」ためのものでした。

でも、現実の私は、人前で自己紹介をすることすら下手くそ。発言1つおどおどしてしまう。おまけに自分の将来がすぐ不安になる人でした。

どれだけ自信のある人に憧れたか!

自信のあるフリをする

自信がなければいけないと思い込んでいたので、自信のあるフリをしてきました。何をしゃべっていいかわからない時に、無理やりしゃべってみたり。何も面白くない時に笑ってみたり。

不自然でした。でも、自信がないのが恥ずかしくて、自信がないなんてウザがられると思って、必死だった。

自信がないのに、自信があるフリをする方が、ウザいよね。。。恥ずかしいな。そして可哀そう。

自立のために

自立をすると、自立をした人に会えてうまくいくと思っていました。だから、自立しなければならないと必死でした。寂しかったのかな。

わたしはどんどん自立していきました。わたしの願いは叶いました。でも、どこかで、自立していく自分が不安でした。

「あなたは自立しているから一人でも大丈夫よ」

そんな風に言われるたびに怖かった。だけど、自立して自信もって、何より、安心したかった。そうしたらきっと安心できると思ったんだよね。

心からの望みはかき消された

幼稚園の園長先生が大好きだった。自分から、子供たちにからかわれてくれて、安心して先生に飛びつくことができた。何をしても受け入れてくれる人。今思い出しても大好き!

小学校のとき、親友ができた。大人びた彼女を笑わせたくて毎日喋った。2人で大笑いしながら思った。気が合うっていいな、大好き!

人と一緒にいて、楽しく時間を過ごすことが、いつからかなくなった。物事には裏表や駆け引きがあって、無邪気な時間ではなくなった。私の心が変わったのか、周りが変わったのかわからなかった。

決めなきゃいけないことや、結論を出したり、助けたり、助け合ったりしなきゃいけないことがあって、どうしてだろう。

でも、そうした時間をやり過ごしたら、いつか無邪気に柔らかい時間を安心して過ごせるかもしれないと思って、余計にがんばったのかもしれない。

でも、自信をもたなくていいのなら、自立をしなくてもいいのなら、わたしの本当の望みは、

大好きで気の合う人と手をつないで満たされて歩くこと

朝起きた時にうにゃうにゃしながら、おはようっていうこと

台風のときに、怖いからそばにいてもらうこと

大好きな人がいる家に帰ること、大好きな人を家に迎えること

もしもそういう人がいたら、私の心は安心をして、あたたかくなる

つまり、わたしは、心の中で誰かを待ち望んでいるということ。「1人でも大丈夫」って言えるように努力してきたのに、まるで正反対。本当はたった1人では安心もできないし、寂しいんです。

本当は誰かを待ち望んでいます。

この一言が言えなかった。これまでの努力が水泡に帰す気がして。そしてもう1つ、叶わなかったら死んでしまいたいくらい、傷つくから。

この願いを抜きにして、私が口に出す結婚願望はただ単に問題を片づけたいって意味だった。そこには願望の中身が抜け落ちていたんだ。

勘違いばかりしていた

どうしてそんな単純な望みに蓋をしていたのだろう。わたしには似合わないと思っていたのかな。

自信をもって、自立をして、もっと高尚なサムシングをわたしは求めるべきなんじゃないかと思っていたんだと思う。

そうだなぁ。試練のある愛とか、偏見を許さない愛とか、すげー金持ちとか、すげーハイスペックとか。その意味では、行けるとこまで行った気がするんだよなぁ。でも、そういうのをいくら手にしても満たされなかった。

全然違う方向に努力をしてきた。知らなかった。ただ共感を響かせ合う関係で良かったなんて知らなかった。そして、今でも、すぐロジックに戻って自信のあるフリをしてしまうかもしれない。

そこにもやっぱり自信がない(笑)


でも、もう自信がなくていいんだ。かっこよくなくていいんだ、わたし。だってこれがわたしだったんだもの。

自信がないのに自信があるフリをしなければいけないと思ったのは、本当の自分をそのまま受け入れていなかったから。だから、余計に辛かった。これからも自信ないと思う。でも、自信を持たなきゃいけないと思ってるより安心感はある。

たったそれだけのことなのにね、笑っちゃうくらい、私には盲点でした。

もしかしたら、このまま本当の望みに気が付かないまま一生を終えたかもしれない。だとしたら、今知ることができたのは幸せだったんだ、そう思おう。

真っ白な思考に「自信をもたなくていい」という補助線が引かれ、そしてもう1つ、「ふみさんは、本当は古風な人で、ただ大好きな人と一緒に過ごしたいって思っているだけですよ」っていう補助線が引かれた。それで思考が回りだし、自分の過去を振り返ってみたら、こんな風に自分の本当の望みに気づく。

本当の自分の望みに気が付くと、安心する。大好きな人の腕の中で抱かれたように。わたしを受け止めてくれて、ありがとう。

*補助線をひいてくれたのはりょうこさんです。いつも感謝しています。

セッションをやっています。




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