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人の目を気にすることから解放される誕生

私の誕生日に娘から貰ったPresent

私は7月で40歳になった。この数年、コロナや仕事や家族との活動でゆっくりできてなかったし、40歳という節目もあってか、妻が、久々に旅館にでも行こうと言って、計画を立ててくれました。その妻の想いも嬉しかったし、久々の温泉と家族旅行ということで、わくわくしていた。
旅行にいくちょっと前だったか、1歳の娘が熱を出した。正直、1か月おきに熱を出していたので、また、いつものやつかと、そこまで心配はしていなかった。ただ、旅行もあるし、ちゃんと診てもらうために病院へ行った。すると、診断としては、いつもの風邪。いつもと同じ薬を貰い、1日休ませて、すぐに熱も引いた。これなら大丈夫だろうと、僕たち家族は、待ちに待った旅行に行くことにした。それが、私の40歳の誕生日だった。私の身体の異変を感じたのは、旅館についてすぐのことだった。身体がだるく、熱ぽい。まさかの誕生日に、私は、娘から「風邪」というPresentを貰ったね。と冗談を言いながら、今回の誕生日は、旅行先で、部屋から出ずに、ずっとみんなで寝ていることになった。

家族でコロナに感染

無事、旅行先から帰宅し、すぐに熱も下がっていたので、やっぱり、あのちょっと前の風邪を娘に貰ったんだな~。次はきっと・・・なんて笑い話をしていた。しかし、次の日、また、娘が熱を出したので病院にいくことに。そして、検査の結果はコロナだった。もちろん、私も妻も全員が感染していた。その日から、家族一緒に10日間の自宅療養がはじまった。突然の検査結果に妻と驚き、バタバタといろいろな準備した。そして、少し落ち着いて、今回の旅行からコロナということを、家族みんなで受け取りなおしてみることにした。そこで、気づいたことは、旅行前、なんかお互いイライラして、ギスギスしてたということだった。旅行前でわくわくしてたはずなのに。一体、なぜなのか?その答えは、すぐにわかった。私たち家族は、数年前から、「みんなで一緒に歩いて育みあう」ということを意識して、いろんな事を行なってきました。しかし、今回は、そのみんなと一緒にというところが全く考えれてなかったのです。私たち家族だけで、私の誕生日を祝うことを目的にしていたことに気付きました。これまで、どうやったら、いろんな行事や儀礼も含め、よりみんなと一緒に歩いて育みあえるかをしてきたのに、今回は、そのことを考えていなかったのです。それが、私たちがイライラしていた原因だったのです。たまの誕生日だし、今回は特別に、いいだろう。も と、言い訳、いや、正当化していたんだと思います。でも、心の奥底では、今まで、実践したきた経験が、私たちにもやもやという身体感覚で教えてくれていたのです。もっと言えば、本当にこれでいいのか?ということをコロナが教えてくれたのかもしれないねと、思っています。

この経験を活かす

私たちは、誕生日の旅行から、コロナ感染を家族で受け取りなおし、たくさんの気づきを得ました。そして、このことを、妻が紙に書き記しているのを、翌日見た時に、私は、信じられないくらいあったかい気持ちになり、ワクワクしたのを覚えています。紙には、私たちの誕生日旅行が、いつのまにか、自分たちのためのものになってしまっていたことへの「懺悔」と、では、これからどうして行ったら、よりみんなと一緒に育みあえるのかを、妻なりに考えて書いてあった。誕生日とは、そもそも、たくさんのお陰様であることを感じて、恩返しをしていける日にしたらどうか?そのために、どれだけこの一年、自分たちが、自分のためになってしまっていたかを懺悔して、それを教材に共有することが、できたら、たくさんの方々への恩返しに繋がる?とのこと。つまり、誕生日にこれまでを懺悔して、それを活かした抱負にして、実践していくこと。これから、誕生日がそんなふうになったら、間違いなく、今より笑顔が増えると思っています。

妻の誕生日

それから2ヶ月後の9月、妻の誕生日。実際、私の誕生日で、考えたのを実践してみることにしましたので、よかったら見てください。


そして、これを、お父さん、お母さんに読んで話あっていた、そんな妻をみて、私は嬉しくてたまらなかった。私が嬉しいといより、なんというか、もっと、たくさんのいのちというか、もっともっとおおきな、みんなのいのちが祝福と感謝を伝えてるようにさえ感じたのです。こうして、2022年の妻の誕生日は、人の目を気にすることから解放される誕生日になったのです。

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