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「悪霊」解説【ドストエフスキー】

作家は何かと戦います。既存の文体、既存の美意識、既存の倫理、既存の思想、、、戦う対象は任意ですが、ドストエフスキーはゲーテと戦いました。ゲーテの「ファウスト」と戦いました。


下敷きはゲーテの「ファウスト」

ドストエフスキーは若い頃社会主義活動をしていました。有罪になって刑務所入っていました。その後出所して世間で暮らしていました。そんな時若い活動家の内ゲバ、つまり仲間殺しのニュースに接します。怒りに震えて「悪霊」を書きました。過去の自分自身への苦い反省と、それでも自分を正当化をしたい欲望ががないまぜに表現され、事件の陰惨さと自分の苦しみをギャグでごまかそうとするので少々不安定な作品になっています。すっきりとはしません。

物語の下敷きはゲーテの「ファウスト」です。天才ドストエフスキーには、ゲーテくらいしかライバル視できる作家がいなかったのでしょう。

「ファウスト」解説【ゲーテ】
https://note.com/fufufufujitani/n/n105415e6658f

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主役はステパンという学者崩れのインテリです。金持ちワルワーラ夫人の食客になっています。美学が専門です。美しいものが好きです。ファウストのセリフを思い出してみましょう。

「己がある刹那に向かって「とまれ、お前はあまりにも美しい」といったら、おれはお前に存分に料理されていい」

ファウスト博士は、美しいものが好きなのです。だからステパン氏は美学者になります。

実はみんな知っている

「悪霊」はドスト作品でも最大の難物ですので、色々研究されています。「ファウスト」が下敷きにあることは、実はみんな知っています。知っていてもロシア文学研究者は「ファウスト」を真面目に読みません。しかし真面目に読まなきゃ「ファウスト」みたいな難解な作品は理解できません。「ファウスト」が理解できていないままだから「悪霊」に「ファウスト」がどの程度参照されているか、ロシア文学研究者もきっちり検討できていない状況です。ロシア文学者が真面目に「ファウスト」を読まない理由はおそらくそれががドイツ文学だからです。こういうのを「タコツボ主義」と言います。最も重要な関連作品をきっちり読まないものだから、他の関連作品に目が移ります。挙げ句結局全体の構成や主題を見失ってしまいます。

と、悪口をわざわざ書くのは、現代のロシア文学研究者の読解力ならば、手順さえ間違えなければ確実に以下のごとき読み解きが可能だからです。解説書読んでいて非常にもったいなく感じます。

いつものグループ化

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ドストエフスキーはキャラ配置戦略の絶対的権威です。キャラをグループ化して配置し、大きな効果を生み出します。
「罪と罰」では同じキャラを6人配置してパワフルな物語を作っています。
罪と罰 あらすじ解説【ドストエフスキー】
https://note.com/fufufufujitani/n/n59022405ccc9

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「カラマーゾフの兄弟」では、3人ワンセットのキャラを現在、過去、未来に配置して、小説を人類普遍の物語に昇華しています。

カラマーゾフの兄弟 解説【文学の最高傑作】【ドストエフスキー】
https://note.com/fufufufujitani/n/na9c5f9d57036

「悪霊」ではゲーテ「ファウスト」のキャラを作中で展開しています。

主役のステパン先生はファウスト2号です。彼が居候している女性、ワルワーラ夫人がメフィストフェレス2号です。

メフィスト2号は金持ちです。ファウスト2号の望みを叶えて食客にします。ちなみにファウスト2号はメフィスト2号(未亡人です)に惚れています。メフィスト2号もまんざらでもありません。しかし両方きっかけがなくジリジリした展開です。ここんところ非常に面白いです。この時点では両者ともそれなりに健全な市民です。

ところがお互いに子供が居ます。ワルワーラの息子ニコライ、こちらもメフィスト3号です。正体不明の魔力を発揮します。直接的には描写されませんが、発揮されたことが作中で暗示されます。ステパンの息子ピョートル、こちらもファウスト3号です。こちらもファウストだけあって美しいものが好きです。ただし同性愛という設定です。メフィスト3号のニコライに惚れているのです。どうもこの本来は女好きであるはずのファウスト3号が同性愛に走っているところが、全体の悲劇を生んでいるふしがあります(ファウスト1号もファウスト2号も女好きです)。「ファウスト」のコンビが、親の世代ではそれなりに健全ですが、子供の世代では親のマズい部分が拡大してしまいます。それで連続大量殺人事件がおこります。

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全体の登場人物表です。他にも居ますが、メインの人物たちは「ファウスト」に対応するように配置されています。親世代と同じく、それぞれ2セット用意されています。

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(追記:語り役は「G」という人物です。なぜ「G」なのか思いつきませんでしたが、よく考えればゲーテGoetheの「G」ですね、単純に)

ヴァレンティンとグレートヒェン

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「ファウスト」第一部に登場します。妹はファウストと恋仲になって子供を妊娠、進退極まって水につけて殺してしまい、裁判にかけられて死刑になります。若きファウストの性欲(いや正確には若返ったファウストの性欲)の悲劇です。しかし第二部ではファウストの復活を聖母マリアに祈ります。兄のヴァレンティンは妹の良からぬ噂を嘆き、ファウストに挑んで刺殺されます。

「悪霊」レビャートキンとマリヤ・チモフェーヴナ兄妹
兄はペラペラの虚勢人間です。妹がニコライの妻になったことを嘆いたり、たかったりします。ファウスト3号のピョートルに間接的に殺されます。
妹は精神を病んでおり、生まれた子供が死んだと妄想します。もちろん子供はもともといません。こちらもファウスト3号に間接的に始末されます。
いずれもグレートヒェン兄妹の劣化コピーです。

「悪霊」シャートフとダーリヤ兄妹
こちらも兄妹です。
兄はなかなかの人物ですが、ファウスト3号のピョートルに直接殺されます。
妹も落ち着いたキャラで、ニコライの最後の瞬間に看護婦として世話しようとしています。
こちらは進化コピーです。

ヘレナ

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「ファウスト」第二部に登場する古代ギリシャの絶世の美女です。
元来人の奥さんだったのですが、一目惚れしたファウストがタイムリープして略奪、一子をもうけますが子供の死と共に別れ、冥界に行きます。つまり死にます。

「悪霊」リザヴェータ
許嫁が居るのにニコライ(ワルワーラ夫人の息子)と関係を持ちます。しかし破綻して民衆に殺害されます。

「悪霊」マリア・シャートワ
前述のシャートフ兄妹の兄のほうの元妻です。しかし妊娠したのはニコライの子供です。しかも進退極まって元夫のシャートフのところに転がり込んできます。出産後死にます。

以降は説明省略します。実は「悪霊」のグループ化は「ファウスト」を下敷きにしている分出来が悪いのです。効果が低い。「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」は物語の筋の必然でグループ化していますが、こちらは単純に「ファウスト」を参照して人間作っているだけなので、必然性が無いとは言いませんが、やや薄い。いつもながらキャラが立っているので楽しく読めますが。ただキリーロフ=ホムンクルスの対応だけは注目しておいてください。

ホムンクルスというのは「ファウスト」第二部に登場する人造人間ですが、まだ精神だけで肉体を持っていません。ここに対応しているのはキリーロフという人神思想の持主です。人間が神になるべきだ、という奇特な思想です。半分人間、半分神(もちろん本人の申告です)ですので、ホムンクルスに対応するのは適切です。しかしホムンクルス自体が半人前ですので、対応する人間は他のキャラの半分、一人だけです。十分考えられたキャラ設定ではあるのです。

作品の主題

「悪霊」は難解で有名な作品ですが、「ファウスト」の中身でもある
1、ワルプルギスの夜
2、時間問題
3、三位一体教義
をポイントに読めば十分理解できます。

1、ワルプルギスの夜

「ファウスト」には「ワルプルギスの夜」という章が存在します。第一部と第二部でそれぞれ出現します。異教の祭りです。つまり「ファウスト」はアンチキリスト教のニュアンスのある作品です。

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「ワルプルギスの夜」は上品に言えば乱痴気騒ぎです。下品に言えば乱交パーティーです。ゲーテの「ワルプルギスの夜」の下敷きには、シェイクスピアの「夏の夜の夢」がありますが、こちらも実は乱交パーティーものです。表面的にはドタバタ劇ですが、乱交パーティーを暗示しています。

「夏の夜の夢(真夏の夜の夢)」あらすじ解説【シェイクスピア】
https://note.com/fufufufujitani/n/n62298bd4c21f

シェイクスピアの「夏の夜の夢」→ゲーテ「ファウスト」→ドストエフスキー「悪霊」、これを「乱交パーティー三部作」と呼んで差し支えありません。日本は戦後すぐまで神社でそういうことやっていた国ですから、そんなに不自然に思えない民族的体質があるのですが、キリスト教社会ではこれは大変スキャンダラスな事です。教会に正面から楯突く行為だからです。倫理的にヤバい以上に政治的にヤバい。しかし大文豪たちはさすがに度胸がよいです。

アジビラ

ピョートル一味は共産主義革命の活動をしています。インターナショナルという言葉も出てきますが、なんと第一次インターナショナルです。実際にソビエトに革命をもたらしたのは第三次インターナショナル、別名コミュンテルンですが、これは最初期の記録です。革命活動初期なので方法論はもちろんテロです。実際作中でもテロで結構な人間が死にます。このあたり「予言的な作品」と言われるわけです。

戦後日本はインテリは左翼ばっかりでした。インテリたちは「悪霊」を「思想的頂点の作品」とか呼んでいました。実際には共産主義の非道さを告発した作品です。だから戦後左翼はこの作品を思想的に難解と称して敬して遠ざけていました。触れないようにしていました。しかしもしも遠ざけずにじっくり読み解いていれば、連合赤軍事件などの陰惨な事件は起こらなかったかもしれません。

話戻って革命活動ですが、テロばっかりでは人間を集められません。連合赤軍のごとく先細りです。殺人が大好きって人間はそんなに居ないからです。勉強会でも集客能力は限界があります。限界どころか熱心にやりすぎると同志が逃げてゆきます。勉強が大好きって人間もそんなに居ないのです。

では革命勢力が大衆を動員しようとした場合、最も確実に集客が見込める方法はなにか。作中提示されるアジビラ(つまり扇動文章)の「輝ける人」を見てみましょう。最終段です。
・・・
ツァーリの支配 くつがえし
土地を民らの ものとなし、
教会 結婚 家族制
旧き悪をば 打ちやぶり
報復とげん そのために!
・・・

1、皇帝の支配から脱却する
2、土地は人民所有とする
3、教会を破壊する
4、結婚および家族制度を破壊する

ということが書かれています。
今日共産主義革命というと、1~3を連想しますが、4を連想する人は少ないと思います。ということは4が本命です。つまり乱交パーティーです。ワルプルギスです。性欲をエサにして元気の良い若者たちを釣っていったのです。
実際ソヴィエト成立初期には、家族制度を破壊するということで、徹底的に乱交が推奨されました。なんだか凄い社会です。でも誰が誰の子供かわからなくなって結局古い家族制度に戻した、という話が伝わっています。ここらへん革命の闇でしてあんまり情報ありませんが。

ステパン先生のワルプルギス

物語の冒頭で、ステパン先生作の「詩」が説明されます。ワルプルギス風と書かれています。本家ワルプルギスと同じく意味不明な詩です。そもそもこの作品は意味不明な部分が多く、取り出して個別に検討しなければ全体がつかめない構造になっています。ステパンのワルプルギスがその最初です。

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1、生命が氾濫している
2、文明化した若者が知恵を失うことを望む
3、美青年と群衆が死を望む
4、バビロンの塔を若者が建設
5、神々を追い出し新しい生活を始める。

ここから読み取れる情報は
1、蓄積された知識の放棄
2、聖書時代の過去にもどったやり直し
3、人間が神々となる、多神教

です。非常にゲーテの「ファウスト」に近い内容です。

カルマジーノフのワルプルギス

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作中カルマジーノフという軽薄にして嫌な人格の文豪が登場します。ツルゲーネフを揶揄したものとされています。彼が講演で「メルシー」という作品を朗読します。これもワルプルギスです。

恋愛物語ですが、読み取れる情報は
1、古代ローマの政治家、ポンペイウスが登場
2、王政ローマの王、アンクスマルキウス登場
くらいです。あとは時系列が乱れるということくらいしか特徴ありません。つまりここでも、キリスト教以前の異教世界が出現しているのです。時間は回帰しています。

文学カドリール

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パーティーでの余興です。カドリールとはダンスの一種です。実際には仮面劇です。ファウストの「ワルプルギスの夜の夢」をもじって、当節の雑誌や新聞社を風刺しているだけです。最後に逆立ちするのが少し象徴的なくらいで、意味は薄いです。

いずれにせよ意味不明箇所のうち3つは、ワルプルギスが下敷きになっています。

乱痴気の町

文章だけでなく、ワルプルギスは実際の町でも行われています。風紀が紊乱しているのです。第二部第五章でその様子が描かれます。カードゲームで負けがこんだ中尉夫人が夫に怒られて家出します。風紀の乱れたグループに引き入れられ、しばらくそこで過ごした後、あまりのことに恐怖に感じて脱出します。あまりのことって、実際どんなことが起こっていたのか詳細は描写されていませんが、乱痴気騒動を予感させる内容です。また、新婚の夫が「自分の名誉を傷つけられた」という理由で妻に暴力をふるいます。つまり処女ではなかったので怒り出した、という意味です。ここらへん作者が明示的に書かないもので意味が取りにくくなっていますまた福音書売りの女性にいたずらをしかけて、いかがわしい写真を本の中に仕掛けたりします。街頭で写真が出てきて大騒ぎ、福音書売りの女性は留置所に入れられます。

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あげくに由緒ある教会のマリア像の装飾の宝石が盗まれます。町全体が道徳的に危機的な状況です。

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物語が終わると多くの人が自殺、他殺、病死しています。脱出したもの、逮捕されたものを加えるとほとんど残りません。オレンジの人のみ過去の生活を維持します。

ニコライハーレム

ワルワーラ夫人の息子のニコライは、奥底はメフィスト3号という設定です。普段は普通のお坊ちゃんです。しかし作中明示はされていませんが、ニコライは海外滞在中一時期どうも完全にメフィストフェレスになっていたようです。人間の邪悪な欲望を叶える存在です。女性もわんさか寄ってきますが、こちらは要は肉体関係だけなので実はさほど有害でもありません。単なるワルプルギスです。いやそれなりに有害なのですが。

しかしより大きな問題は、寄ってくる男性陣です。

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シャートフはニコライに魂に火をつけられて、ロシアに救世主が再臨し世界を救うことを夢見るようになります。これはニコライの考えではありません。ニコライ(メフィストフェレス)に近寄ることによって、本人の願望が発火するのです。

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キリーロフはニコライに近寄り、人神思想を持つに至ります。神は死んだ、これからは人間が神だ、だから誰かが自発的に自殺してそのことを示さなければならない。それは私だ。けったいな思想ですが、これもニコライの思想ではありません。本人の内なる願望が発火しただけです。

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ピョートル(ファウスト3号)はニコライを押し立てて、革命勢力のボスにしようとします。伝説のイワン皇子にしようとします。もちろんニコライはそんなことを望んでいません。ピョートルの権力欲妄想が発火しただけです。

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ニコライのこの欲望の鏡(ただし拡大作用付きの)作用が、従来の解説書での説明が不十分です。ここがわからないと全体の内容が理解できません。本人は淫蕩卑劣というだけで、特に構想も思想もないのです。人々の誇大妄想に火を付けるだけの機能です。

メフィストフェレスはファウストの魂が欲しかっただけです。ファウストのあらゆる欲望を叶えますが、本人は特に考えがないのです。

狂気と結末

物語の最初の方で、帰省したニコライが町で狂気の行動を繰り返す様が描写されます。作中で伏線は回収されますが、回収するのは必ずしもニコライ本人ではありません。

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1、ニコライはガガーノフ父の鼻をつまむ→ニコライはガガーノフ息子と決闘騒ぎになる

2、ニコライは人妻に公衆の門前でキスをして失神させる→ニコライはリザヴェータと不倫する

3、ニコライは知事の耳を噛む→キリーロフが自殺直前に動物化してピョートルの指を噛む

4、牢に入れられたニコライは発狂して大暴れし、拳を窓に打ち付ける→ヴィルギンスキーはシャートフ暗殺の際に発狂する、レンプケ知事は一連の出来事にパニックになって大声で喚き散らす。

最後の二人は、いずれも登場人物一覧表で「ファウスト」の皇帝役が割り振られた人物です。ニコライの狂気が社会全体を崩壊させてゆきます。

一連の凶行で重要なのは、鼻と唇(キス)と耳と拳(触覚)を使っているところです。五感のうち目だけがない。ギリシャ正教の教義では、目、視覚はイエス=キリストに該当しますから、イエス=キリストの存在しない世界に社会全体が突入してゆくさまが描かれていると読むべきです。

幼児性愛

出版中止になった問題の「ニコライ・スタヴローキンの告白」で、ニコライは自己告発の手記をチホン僧侶に読ませます。かつて外国で犯した犯罪、ペーパーナイフ隠し、人の給料泥棒などの告白です。

「自分は自分の下劣さを意識すると陶酔感を感じる」と表現しています。下劣なことに陶酔するのではありません。下劣さを意識すると陶酔感を感じるのです。つまり、彼自身が下劣なのではなく、彼の内部に別の存在、メフィストフェレスを感じると陶酔するという意味です。そのときは内部に巣食ったメフィストフェレスの手中におちていたようなのです。そして最も罪深い犯罪、幼児性愛をしてしまいます。相手の女の子は、「神様を殺してしまった」と絶望し、鶏小屋に入って首を吊って死にます。

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「ファウスト」第二部、死んだファウストの魂を最後に回収する段になって、天使がメフィストフェレスを誘惑します。なんとメフィストフェレスはそっちの趣味がありましたようで、可愛い天使にまんまと誘惑されて前後不覚に陥り、数十年かけたファウストの魂の獲得に失敗します。まるでどっかの国の大富豪のようですが、ニコライの幼女性愛は、このメフィストフェレスの幼児好きの属性が反映されたものです。この点も解説ないとわかりにくい点です。

アシスとガラテア

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ニコライは旅行中ドイツのドレスデンで、クロード・ロラン作「アシスとガラテア」を見ます。その後絵の風景を夢に見ます。古代ギリシャの世界です。青い波、島々、輝く太陽、ユートピアです。でもその夢の最中に、少女が首吊をした時に見た赤い蜘蛛が出現してしまいます。そして死んだはずの少女の幻が出現し、ニコライはその幻覚に苦しめられます。

ここも「ガラテア」の意味がわからないと理解不能です。「ファウスト」第二部の第二幕、「古代のワルプルギスの夜」の最終章、「岩に囲まれたエーゲ海の入江」に、女神ガラテアが登場します。

ホムンクルスが人間への進化方法を探してギリシャを旅していると、海神ネーレウスが娘たちを待っています。彼女たちは年に1度だけ父親ネーレウスに邂逅します。今回は彼女たちは、難破した船から救った若者たちを連れています。
「父上、この者たちを不死にしてください」
「ゼウスには出来ても私には無理だ」

そして最愛の娘ガラテアが来ます。一瞬の邂逅です。すぐに父の元から離れてゆきます。それを見たホムンクルスはガラテアの足元の海に溶け込んで、人間への進化の過程を歩みだします。

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(こちらはダリの「球体のガラテア」ですが、なかなか雰囲気あります)

2、時間問題

以上が「ファウスト」に登場するガラテアです。ここで表現されているのは、時間の問題です。人間が不死にはなりえないことと、時は巡ってくるがすぐに離れてゆくことです。キリスト教の時間は基本的に、直線です。天地創造からキリストの受難、再臨から人類救済までプログラミングされています。しかし時間は元来、グルグル回るものなのです。

60分が0分、24時間が0時間、365日が0日、平成三十一年が令和元年に、グルグル回るの時間の標準的な扱い方です。「西暦」が少々異常なのです。このある一定数に達すると0から始まるカウントの仕方を、「~を法とする計算」と呼びます。分の場合は60を法とする計算、時刻の場合は24を法とする計算をするわけです。

もしも時間が「~を法とする計算」に従うならば、人間は時間の中に存在しますから、生死観も輪廻転生になります。実際「ファウスト」では主人公は最終章で転生しかかっています。「ファウスト」第二部の第二幕はその時間問題を最も端的に扱った章です。

「悪霊」でニコライが見た「アシスとガラテア」は、アシスという青年とガラテアの恋物語です。この絵を、つまりガラテアをメフィストフェレス3号であるニコライがイメージしたということは、キリスト教的直線時間から離脱して、完全に古代ギリシャ的円環時間になりかかったという意味です。しかし赤い蜘蛛が出現して少女の幻影を見る。つまり犯した罪によって円環時間に入れなくなりました。このニコライの状況(に限らず当時のロシア知識人の状況)を、作中ではヨハネ黙示録の「わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう」
という文章で表現しています。時間が熱くもなく、冷たくもなくなっているのです。

ニコライとリザヴェータ

最初のステパン先生のワルプルギスは、バベルの塔に回帰するのだから円環時間でした。カルマジーノフのワルプルギスも、古代ローマの人物が出現しますから円環時間です。時間問題の最大の切所は、第三部第三章「破れたるロマンス」です。難解をもって知られる本作でも最も難解な部分です。

ニコライとリザヴェータの逢引から一夜明けています。リザヴェータの服は乱れていますが、非常に不服そうです。研究者はこれを「その夜ニコライが性的不能だったのだ」と想像しています。その事自体は間違いではありません。

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ざっと書き出してみました。色の変わった部分が時間に対する言及です。これは上手くゆかなかった性交の後の気まずい雰囲気のみを描写しているのではなく、時間についての討論をしているのです。ほとんど禅問答のようです。

ニコライ:暦通りに暮らすのは退屈
リザヴェータ:私は暦通りの生活をしている
***暦は「~を法とする計算」ですから、リーザは円環時間に生きているのです。

ニコライ:30分で謎めいた言い方は2度め
リザヴェータ:謎めいた言い方を勘定するの?
***両者とも非常に時間にたいしてナーヴァスになっています。

ニコライ:僕が昨日よりもっと君を愛している
リザヴェータ:そんな(昨日と今日の)比較に意味がある?
***彼女の円環時間は同じことの繰り返しですから、比較に意味が無いのです。対してニコライは若干直線時間よりの発言をしています。

ニコライ:ぼくらは一緒だ
リザヴェータ:また「よみがえり」にゆく?試すのはもう沢山。
***彼女は「よみがえり(円環時間の到達点)」の為にここに来た。しかし今回は不発に終わった。

リザヴェータ:私が去ってゆくことをしっていましたか?
ニコライ:知っていた
リザヴェータ:ではいいのでは?知っていて瞬間を自分の為に残しておいた
ニコライ:昨日、1時間のためだけにドアを開くとしっていたのか?
***彼女は重要な1時間のためにドアを開いた。ニコライは時間を使い切らず瞬間を残しておいた。リザヴェータには残された時間はない。

リザヴェータ:「私はお嬢さんで、オペラで心を養ってきた。これがことの起こりで謎の答え」
ニコライ:「違う」
***オペラは数時間で一つのドラマが終わり、翌日また別のドラマが始まります。リーザーの時間はその時その時で切れている時間のようです。だから刹那的行動を取ってしまったと述べています。

リザヴェータ:「全人生を1時間に賭けてしまった。あなたにはまだ時間が残っているでしょう」
ニコライ:「君より1時間だって多くない」
(聞いた瞬間リザヴェータの瞳に一瞬希望が光る)
***さきほどと同じで、リザヴェータは残り時間がなく、ニコライは残り時間が少し多く有る。しかし使おうとする意思が無いのを見透かされた。

リザヴェータ:「あなたの看護婦になるのはごめんです。今日死ねなかったら看護婦になるかも」
***この直後にリザヴェータは民衆に撲殺されるのですが、彼女は自分が間もなく死ぬことを完全に予期できています。

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リザヴェータ:「あなたは私を巨大な毒蜘蛛のところに連れてゆく。生涯毒蜘蛛に怯えて暮らし、愛情も消える」
***もちろんこの蜘蛛は、ニコライが見た赤い蜘蛛に対応していますね。

会話全体をまとめると
1、リザヴェータは円環時間に生きていた
2、ニコライは円環と直線の中間的な時間に生きていた
3、彼女は全人生を賭けて1時間を過ごしたが望む成果は得られなかった
4、ニコライがそれ以上やる気がないのを確信した
5、リザヴェータは弱まって生きるより別れて死ぬことを選択した。
です。

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実はリザヴェータは、しょっちゅう乗馬しており、肌は浅黒くモンゴル的な顔立ちとされています(写真のドラマでは少し相違していますが)。彼女の12歳の絵がステパン先生宅に飾られていましたが、トルコ風の刀が上に飾られています。つまりリザヴェータはアジア系民族なのです。キリスト教徒からは遠い存在ですから円環時間に決まっています。

リザヴェータはニコライと性的な秘儀を行うことによって何かを得ようとしたのだが、ニコライが赤い蜘蛛つまり自殺した少女の幻覚によって霊力を失ってしまっていた、という解釈が考えられます。この後ニコライに残っているのは緩慢に弱まってゆく時間だけです。

キリーロフ

キリーロフは何回か自説を開陳しますが、最初は第一部第三章です。彼によれば人間はもっと自殺すべきで、そうでないのは二つの偏見によっています。一つは死ぬのが痛いこと、というより死ぬ際に痛いであろう恐怖から死を嫌う。(おそらくこの部分は、1886年発表の、トルストイの「イワン・イリイチの死」への批判です。
「イワン・イリイチの死」解説【トルストイ】
https://note.com/fufufufujitani/n/nedf03ad75ed4

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トルストイは「死の瞬間はないから死は存在しない」と主張します。ドストエフスキーがキリーロフに言わせている反論は、「では巨大な石が吊るされていて、その下で生活している時、安心していられるか」というものです。

万が一吊るしているロープが切れた場合でも、巨大な石が落ちてくるのですから、即死です。痛みなんか感じるヒマありません。だったら安心できるか。できないでしょう。実際にはビクビクしながら生活するはずです。その想像上の恐怖から、人間は死を厭い続けると考えます。死の瞬間の想像にたいする恐怖として、生は存在していると彼は考えています。

二つ目の偏見は、あの世にたいする不安です。もしも生死が同じものであるならば、あの世は存在しないのですから、死ぬことを厭わなくなります。

この二つを逆に言えば、人間が生きているのは想像上の恐怖からだけです。恐怖の代償として生があります。恐怖を克服すれば新しい人間になれます。すくなくともキリーロフはそう信じています。ここで、キリーロフが「ファウスト」のホムンクルスに対応することを思い出してください。ホムンクルスは半人前です。人間になるためにガラテアの海に溶け込みます。つまり自殺します。

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第二部第一章でキリーロフはニコライと会話します。

キリーロフ:ある瞬間に行きつくと、時間が生死して永遠になる
ニコライ:黙示録の天使の、時はもはやなかるべしという言葉があるが、、
キリーロフ:あれは正しい、幸福に到達すると時間はなくなる。時間は物ではなく観念だから頭の中から消えてしまう。
人間は幸福であることを知らないから不幸なのだ。先週の水曜日に気づいて時計を止めた 2:37だ

これも時間の話をしています。キリーロフは時間に特異点を作りたい。あるポイントで時間概念を超克したいと考えています。

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第三部第三章でキリーロフは、自殺の確認に来たピョートルに自説を開陳します。ピョートルは性根は腐りきっていますが、ステパンの子供だけあって頭だけはむやみに良く、キリーロフに馬鹿にされながらも彼の発言の主旨を汲み取ります。

キリーロフ:人間が自分を殺さず生きてゆくためにこれまで神が存在した。しかしイエスが報われなかった以上、全て虚偽だ。
ピョートル:もしも君が神なら虚偽は終わりになる理屈だ。
キリーロフ:そうだ、神がないなら自分が神だ。

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意図を汲み取ってもらって嬉しくなったキリーロフは、この会話の直前に起こったピョートルによるシャートフ殺害の責任を引き受ける遺書を書き、別室に自殺に向かいます。人類の罪を背負ったイエスの縮小版をするのです。
しかしいつまでたってもピストル音が聞こえてこない。気になったピョートルが入室すると、キリーロフは直立不動で硬直しています。近寄るとピョートルの指を噛みます。なんのことはない神を目指しながら動物化しています。ピョートルが逃げ出すと背後からピストル音が聞こえます。戻ってみると死んでいます。

キリーロフはイエスのマネをする人間だけあって高潔さと独自の見識を持っていますが、本人の意図に反して人間は神にはなれないことを証明してしまいました。生死は超克できませんし、新しい時間も作れません。時間、暦というのは文明の産物ですから、むやみに否定しても動物化するだけなのですね。本職は鉄橋の技師ですが、人間と神の橋渡しには失敗したようです。動物との橋渡しをしてしまったようです。

ステパン先生

息子ピョートルにいじめられ、パトロンのワルワーラ夫人に冷たくされ、パーティーでの演説も上手く行かなかったステパン先生は家出をして、ロシアを探す旅に出ます。流石は美学者、小洒落た表現です。

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歩いているとリザヴェータに出会います。本当にアシスとガラテヤするのは、ステパンとリザヴェータだったのです。彼女と別れて(その直後彼女は撲殺されます)、百姓の車に乗せてもらい、前述の福音書売りの女と出会います。船の出港を待ちながら、福音書を読んでもらいながら、彼女と親しく話をしていたのですが体調を崩し寝込みます。そこへワルワーラ夫人が駆けつけ、看病しますが容体は改善しません。覚悟した夫人は聖体拝領を受けさせます。つまり末期の水です。

末期のステパン先生は福音書のインプットが功を奏してか、一世一代の立派な演説をぶちます。

「僕はもう一度生きたい。

人生の一刻一刻、一刹那一刹那が至福の時にならなければならない。

ぼくはピョートルに会いたい、シャートフにも。

無限にして永遠なるものは、人間にとって惑星同様欠かせないもの。」

ここでのステパン先生のせりふも、やはり時間についてです。ここが物語のクライマックスですから、作品最大の主題はやはり「時間」なのです。円環時間と直線時間の対立に対するステパンの回答がここにあります。神が無限ならば、時間も無限です。無限なるものが円環だろうと直線だろうと、人間には大差ありません。というか無限に大きな円環ならば、円周は人間にはほぼ直線にしか見えないはずです。

そして無限はゼロとお隣さんです。両者は双子の兄弟なのです。ですからステパンは言います。「一刻一刻、一刹那一刹那が至福の時とならなければならない」。人間は限界のある存在ですから、極大にはなりえません。無理になろうとするとキリーロフのように動物化するだけです。極大に近づこうとするならば、極小を究めなければならない。極小を充実させるために極大はある。ドストエフスキーなりの時間論争の回答です。

これは作家としての立場表明にもなっています。ドストエフスキーにとっては文明論争や神学論争の果てにあるのが、微細な心理や態度を表現する文学です。文学によってしか究極の価値に近づくことはできないと考えています。

ファウストのセリフは「己がある刹那に向かって『とまれ、お前はあまりにも美しい』といったら、おれはお前に存分に料理されていい」でした。
ステパン先生のセリフは「一刻一刻、一刹那一刹那が至福の時とならなければならない」です。両者の違いが、ドストエフスキーの結論ですね。重要なのは内面であると。自分で刹那を至福にする態度であると。この最後の旅でステパン先生は、物語の主役としての存在意義を発揮します。主要登場人物の行動を集約するのです。

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リーザーはいさぎよく、馬に乗らず徒歩で死出の旅に出ますが、同じく徒歩でいさぎよく死出の旅に出たステパン先生と邂逅します。

ニコライはチホン僧正にヨハネの黙示録を読んでもらいますが、ステパンも福音書売りの女性ソフィアに黙示録を読んでもらいます。

ピョートルはリザヴェータを「小舟に乗ろう」と説得しますが、ステパンは村で船の出港を待ちます。

そしてシャートフは自分の子供ではない赤ん坊の出産に感動して「これは僕の子供だ。僕が育てる」と言いますが、

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ステパンは今際の際に「ピョートルに会いたい(実は本当に彼の子供かどうか疑問が残っています)、シャートフにも(ワルワーラ夫人の農奴の息子で、ステパンとは階級が違います。子供でもなんでもありません)」と言います。両者とも普遍的な愛を発露するのです。

キリーロフは人間は幸福なのを知らないという説を述べますが、ステパンも「一刻一刻が至福の時に」と主張します。

病床のステパン先生は物語冒頭のルカの福音書をソフィアに読んでもらって、この長大な物語を要約するかのような詠嘆をもらします。

「(ブタに入って海に飛び込んで溺れ死ぬ悪霊は)われわれと、あの連中、それからペトルーシャ(ピョートル)です。それから彼の同類たち。そしてぼくはひょっとしたら、その先頭をゆく親玉かもしれない。そしてぼくらは気が狂い、悪霊に憑かれて、崖から海へ飛び込み、みんな溺れ死んでしまうのです」

海へ入る直前であやまちを認識してベッドの上で絶命できたステパン先生は、まだしも幸福な方だったのです。陰惨な物語の中の唯一の救いです。「自分が原因かも」と考えられるとは、流石に洞察力ありますね。

印刷機

そのシャートフは、むさくるしい風体ですが、作中随一の人格の持主です。シャートフとダーシャの兄妹が実質的にはこの物語を支配する存在です。

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シャートフは外国でピョートルたちの革命勢力に入会します。こういう会は、通常脱会できません。密告されますから。
本来はシャートフも脱会できないのですが、「ロシアである人から印刷機を受け取って、埋めておいて、然るべき時期に我々に引き渡す」ことを条件に特別に脱会を認められます。アジビラ作成するために、印刷機は革命勢力にとって重要なのです。シャートフは印刷機のありかをピョートルたちに教えにゆきますが、会の結束の強化をはかるピョートルに「密告者」と断定されてみんなで殺されます。

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これは「ファウスト」の通貨発行の話を下敷きにしています。資金繰りに困ったドイツ皇帝の要望に答えてファウストは、「地下に埋まっている金銀財宝」を担保に紙幣を発行します。カネは社会の血液ですから、血行改善で好景気になってみんな喜びます。ただ劇中の時代設定では印刷機がありませんから、皇帝のサインは魔法でコピーすることになっています。

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「罪と罰」でもドストエフスキーは貨幣と言語を統合する考えを表現しています。

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「悪霊」では「ファウスト」の設定を当時のロシアに合わせて絶妙に書き換えました。作中最も文学的に「ひねった」ところかもしれません。もっともピョートルたち革命勢力は、地下の印刷機を掘り出すことをしませんでした。掘り出し役および印刷役のリプーチンは殺人に恐れおののいて逃亡して、印刷機は結局そのままです。まだロシアの大地に埋まっているのです。だからピョートルたちの活動は失敗しました。

では大地に埋めた印刷機の管理者、シャートフ(及び妹のダーシャ)とは何者でしょうか?「聖霊」です。

3、三位一体教義

キリスト教教義では「聖霊」は言葉という理解でだいたい大丈夫です。
銀河鉄道の夜【宮沢賢治】あらすじ解説
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ゲーテは「ファウスト」で、「父と子と聖霊」であった三位一体教義を、「父と母と子」にしようとしました。「聖霊」は居場所がなくなりました。
ドストエフスキーは「ファウスト」を下敷きにした「悪霊」で聖霊の地位を復活させようとしました。

実際シャートフに女性たちが出版を持ちかけます。第一部第四章でシャートフはリザヴェータに、「この一年のロシアの出版物を要約した本を出したい」と持ちかけられます。前述のようにリザヴェータは円環時間なのですが、この徹底ぶりを見ると暦の神様なのかもしれません。シャートフは「着想はいい」とか言いながら結局断りますが。

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また第三部でシャートフの昔の奥さんが突如転がり込んできた時、やはり「製本業をしたい」と言い出します。これもシャートフは断りますが。先に引用した「輝ける人」も、作者はゲルツェンという当時の有名人かそれともシャートフなのか不明なままなのです。おそらくシャートフが真の作者です。こういうとこ暗示使うのでわかりにくくなっています。

シャートフは日本風に言えば「言葉の神様」とでも呼ぶべきでしょう。シャートフは一時期革命勢力に出入りしていましたが、その後脱会して「私はいずれ信仰を持つようになるでしょう」と言っていた人物です。彼にとって啓示は元妻の出産に立ち会って生命の神秘に触れたことなのですが、その直後に殺されます。ピョートルたち革命勢力はドストエフスキーにとっては「言葉をないがしろにする勢力」なのです。ですからニコライ、ピョートル、キリーロフ、リザヴェータ、みなどこか言葉が変です。「聖霊」が作品の主題の一つと考えれば納得のゆく設定です。

ダーシャ

では妹のダーシャはどうでしょうか。

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ニコライの最後のダーシャへの手紙にあります。
「私はいたるところで自分の力をためした。これはあなたが〈自分を知るため〉にと私に勧めてくれたことだ」
ニコライはダーシャのアドバイスどおりに行動していたのです。

またニコライは「告白」の文章の中で述べています。
「しかし私は、もう一人の若い娘の忠告を受け入れて逃げ出した。そしてその若い娘にほとんどすべてを告白し、打ち明けた」
このもう一人の若い娘は、状況的にダーシャのことです。

ニコライは第二部第三章で従僕アレクセイに「ダーシャを部屋に入れないように」と命令します。しかしアレクセイとほとんど入れ違いにダーシャは部屋に入り込んできます。「どこから来たんです?」ニコライは思わず叫びます。

妹のダーシャも「聖霊」なのです。どんなとこでも出没自在、ニコライに決定的なアドバイスをして行動を制御します。こちらも「言葉の神様」なのです。

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シャートフ・ダーシャの兄妹は「ファウスト」におけるヴァレンティン・グレートヒェン兄妹に該当します。グレートヒェンはファウスト 第一部の悲劇の中心をなす女性ですが、第二部の最後に再登場してきてファウストの救済を聖母マリアに祈ります。ゲーテが「ファウスト」でなそうとした、三位一体教義への女性の編入の中心的存在がグレートヒェンです。その彼女を「聖霊」として描写することによって、三位一体からの聖霊の追い出しにドストエフスキーは異を唱えたのです。復帰作業です。

偽物の聖霊たち

そして残り二人もやはり聖霊です。

「ファウスト」で重要な要素である「通貨発行」問題ですが、本作では聖霊問題に引っ張られてウェイトがたいへん小さくなっています。
しかしヴァレンティンの劣化コピーのレヴャートキンが、昔偽札作りに手を染めたことが、ほんの少し触れられています。レヴャートキンもシャートフと同じように詩人でもあります。彼も聖霊なのです。

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同じくグレートヘンの劣化コピーでもある妹のマリアも、予言的なことを口走ってニコライの虚偽を暴きます。彼ら兄妹はニセの「聖霊」だけあって、レヴャートキンはピョートルの手下の使いっぱしりに過ぎず、ゆすりたかりで生きていますし、マリアは「神様と自然は一つもものでございます」と言います。キリスト教的には神のほうが自然よりも大きな存在です。ですからかなり涜神的です。その上彼女は気が狂っていますから、「時間が変」です。彼女にも優しいシャートフが説明しています。

「発作のあとではたったいまあったこともけろりと忘れてしまうし、いつも時間をごっちゃにするんです」

彼女もニセの聖霊、狂った聖霊、時系列の乱れた聖霊なのです。


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