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4年間もの大学生活を経て

「目次」

1.大学って人生の春休みでしょ!の1年生
2.自分の将来ってどうなるんだろう?の2年生
3.やべぇ!楽しい!鬼たの!の3年生
4.社会って厳しいなぁ〜…の4年生

5.大学生活で、身をもって感じたあれこれ

[1.大学って人生の春休みでしょ!の1年生]

聞いたことがある方も多いと思いますが、
大学生の間の4年間は、ちまたに言う
「めっちゃ遊べる期間」
ってイメージ強いですよね。

私もそう思ってましたし、
1年生の時はガッツリ春休みしまくってました笑

その証拠がこれ。

髪は金髪。成績は常にC狙い。
授業は最後列を死守。
いかにピ逃げを…これだけはあんまりしなかったけど…笑

あと、まぁ何故か陸上部で選手やってましたけど…

けど、部活をやってた理由なんて
4年間続けてたら、就職のとき有利でしょ!
って思ってたからであって、

本気で何かを成し遂げたいから
とかそんな向上心を持っていたわけではありませんでした。

休みの日は酒飲んでるか乃木坂の握手会に行ってるかバイトしてるかの3択でしたね。笑

こんなんでしたけど、一応トレーナーは目指してたんですよ?笑

ってことを思い出した11月23日。

その日から、笛田翼の全てが変わりました。

内容自体がうっすい1年間だったので、
あまり書くことありません笑


[2.自分の将来ってどうなるんだろう?の2年生]


11月23日に変わってから
ひたすら勉強をしました。

ただ、勉強しかしてませんでした。

そんなある時、僕の大学生活を変えてくれた
大恩人である友人に、いかにも怪しいような感じで

「何か、最近頑張ってるらしいやん!会ってほしい人がいるねんけど、会ってみるんどう?」

と言われました。

「いや、なんか怖くね?」
と思いつつ、やる気に満ち溢れていたし、
んまぁ、10万とかだったらぼったくられてもそれも社会経験でしょって思ってたのと、その友人も信用できるので、なんとなく会ってみることに。

そこで、紹介してもらったKさんに
立川のベローチェで会うことになりました。

そこでの最初のトークは
「将来何やりたいの?」
でした。
それに対して、
「プロ野球のトレーナーになりたいです!」
とハッキリと言ったことを覚えてます。

それに対して、Kさんは
「じゃーメジャーは?」
「高校生とかは?」
「プロ野球以外に考えてることは?」

などなど…何を言っても
「何で?」
の連発!!!
「何でって…何で!?!?笑笑」

正直そう思ってました笑

その時は、そうやって考えていくことの
重要性に気付いていませんでしたが、
なんとなく、そのKさんが行っていた団体に入ることに。

そこで1番最初にやっていたこと。
それは「人生設計」でした。

いやぁー…これがまた難しい。
当初は今よりも自己分析ができなかったので、
もはや言ってることが意味不明な少年Aって感じでした笑 KさんやOさんに聞けば当時の笛田のやばさがわかるかと……

そんなこんなで、毎日毎日永遠に人生設計。

ある程度できてきたらプレゼン。
そこでフィードバックをもらって、またプレゼン。

これを最低でも40回は繰り返した自信があります。笑

Oさんに、夜中に電話をしては、
ひどい時は1回の電話で、3回ビジョンのプレゼンをしたりしてました。

たぶんその頃は、僕よりOさんのほうが、僕のビジョンを上手くプレゼンできたと思います笑

そんなこんなで、
永遠に
「自分のやりたいことはなんだろう?」
「自分の叶えたい世界観はなんだろう?」
と考えていました。

途方に暮れているとき、
僕はふと、何故トレーナーになりたいと思ったのか
それを思い出すために、母校へ行きました。

原点回帰

まさにこの言葉が似合うような。
「そうだ!これだ!」
というのが、私の中に芽生えました。

幾多のケガ、突然発症したイップス

それらを経験して、満足にプレーできなかった
高校野球生活…

僕みたいな思いは、他の誰にもしてほしくない。

「幸せっていうのは、心と身体がともに健全であることだ」

ここに辿り着きました。

その経験こそが、私の理念である

「スポーツに携わるすべての人々の心身が充実する環境を創る」

というものを創り出したわけです。

自分のやりたいことがはっきりした!
あとはしっかり考えて行動する!
いろんな経験をする!

それだけ!!

と思い、ひたすらに行動した結果

トレーナーとしてついていたチームの社長から
「笛田くん、〇〇のトレーナー行く気ない?」

とまさかの当時J3だったチームへの推薦がありました。

「私、まだ大学2年生ですけど可能ですか?」
と聞いたところ
「あ、そっか…まだ学生だもんね!大丈夫!」

と言われるまでに。

実際、ここで飛び込んでも良かったとも思いますが、なによりも
「学生トレーナーとしてではなくトレーナーとして見られていた自分が評価された」

ということに喜びを感じたことを
今でも覚えています。

この頃でしょうか?
World Player Project(以下WPP)
多くの意識の高い方々と出会うことができました。

大学1年の時に気づき、行動できたことが
2年生時に飛躍できた一つの要因かと思います。

[3.やべぇ!楽しい!鬼たの!の3年生]

WPPに入り、スペイン🇪🇸へトレーナー研修へ
平昌五輪の現地メンバーに選ばれ
かなり多くの経験を積みました。

その時から、
自分で組織をマネジメントしたい
という事を考え始め、
「Bloom Dream of Flowers」(以下BDF)
を創設!

そして幸いにも
株式会社The Stadiumさん
一般社団法人スポーツサイエンスラボラトリーさん
と協力し合いながら事業を進めていくことに。

さらには個人のトレーナー活動の方でも、
社会人のアスリートサポートをしながら
一般の方へのパーソナルも行い
一回あたり8000円/hの価格帯で
マネタイズもできました。

正直なところ
自分の中で、組織をマネジメントすることは
30歳のときにトレーナーとしての実績をあげてから
と考えていましたが、周りの方々との繋がりや
タイミングなどもあり21歳に繰り上げ。

慣れないマネジメント業務に苦戦しながらも
かなり楽しく、自分のやりたいことをやりながら
人のために動こうと頑張れたと思います。

だからこそ、
やべぇ!楽しい!鬼たの!な感じでした笑

とにかく大事なのは

Give & Give の精神

だなと。そう強く感じた3年生です。

「4.社会って厳しいなぁ〜…の4年生」


題の通り、めちゃくちゃしんどいやん!
いざ始めてみて、2年目に突入する中で…

組織をマネジメントするのってバカむずい!

ほんとにこう感じましたし
絶賛いまも感じてます笑

おそらく永遠にそう思い続けているのでは?と

その中でも、

「人材の育成」

にはとくに手こずってます(現在進行形)

私の中の人材の育成というのは
単にスポーツトレーナーとしてのスキルの高い人材

ではなく

スポーツトレーナーを生業として
社会人として
仕事をする人間として

どのようなマインドを持ち
どのようなアクションを起こすことができ
どのようなリザルトを残せるか

そして、
そこに
数字を紐付けて考えられ
頭の中の夢物語を実現させ、
再現性の高いものを創出していけるのか

ここを考えています。

人生設計が私を変えた
と言っても過言ではない

だからこそ

人生設計の重要性を
そこに気付けるマインドセットをしたい

けど、ここが難しい!!

これまで数百人のトレーナーを目指す学生と話してきましたが、実際に高いマインドを持ち合わせていて、かつ腐らないで継続できる人というのは

「人生設計をしたかどうか」

本当にここに尽きると思います。

もし、これを読んでいて
トレーナーを目指している人は是非話ししましょう。

人生設計の中で、
悩み、停滞し、思考停止し
何がなんだかわからない状態になることもあります。

私は2ヶ月以上途方に暮れているような感じでした。

それを知っているからこそ

寄り添いたい
一緒に頑張りたい

そう思います。

私も死ぬ気で頑張ります。


締めに。

WPP.BDFを通じて

人の

温かさ

情熱

面白さ

楽しさ

難しさ

知りました。

この4年間は、右往曲折ありながも
実りのある
誰にもできない経験を積んだ期間だと
胸を張って言えます。

皆さんの4年間、ないしこれまでの学生期間は
実りのあるものでしたでしょうか?

まだまだ成長できる!
ここからや!
って人。

一緒に頑張りましょう。

これからの社会人としての生活が楽しみです。


~ fin ~


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