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「恋文の技術」を読んで #白熊文芸部

「恋文の技術」を読んだ。
誰かに手紙が書きたくなるような小説だった。

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この作品は、いわゆる「書簡形式」の小説だ。
主人公の守田一郎が書いた手紙を、読者が垣間見ているといった体で進行していく。
第一話を読んだだけの段階では、守田とその後輩の話しか出てこない。
しかし第二話、第三話と読み進めていくと、手紙をやりとりする相手が変わっていき、守田は複数の人物と文通をする「文通武者修行」を行っていることがわかる。
そして、複数の宛先からなる手紙を多面的に読み解いていくと、話の中心となる6ヶ月間で何が起こったのか、守田の文通武者修行の目的、そして、守田が密かに思いを寄せる恋の相手の存在が明らかになってくる。

驚くべきは、作中での守田の筆まめぶりだ。1週間に数通、同時に複数の相手とやりとりをしていることになる。おそらく便箋や封筒をまとめてどっさり買い込んで、使っているに違いない。

ところで、皆さんは文通をしたことはあるだろうか?
現代で手紙を書くうえで大変なことは何だろう。書く内容? 手紙の形式? 手書き? ……そういったことは大した事ではない。
一番大変なのは、手紙一式がどこにも売っていないことだ
ビジネス形式の手紙なら、コンビニの茶封筒で事足りる。けれど個人的な友人に送る手紙ならどうだろう?

ちなみに僕は一度文通をしたことがある。
一番最初、相手から手紙を受け取った時、その季節や時候に合った洒落たレターセットが使われていて、届いた瞬間に思わず華やかな気持ちになったことを覚えている。
……と同時に、翻って自分の近所には、文房具屋というものがほとんど絶滅していたことに気がついたのだ
ちょっとした文具ならきょうびコンビニやAmazonで手に入ってしまうけれども、「レターセット」などという現代でほぼ使わない道具を買うためだけに、僕はわざわざ都心の世界堂(画材などを売っている専門店)に行く羽目になった。
最終的に、その文通は2回ほど往復したところで面倒くさくなり、終わってしまった。そもそも文通相手とLINEやSNSで繋がることが出来たというのもあった。
ただその代わりに、雑貨屋や旅先の土産物屋などで、その土地特有のレターセットや便箋が置いてあると、ついつい目が行くようになった。以前であれば、そんなものに目もくれたこともなかったにもかかわらずだ。

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作中では守田の手紙、つまり守田の手記によって話が進行していく。
そしてこの守田の文章が、とにかく面白い。ウィットに富み語彙も豊富。後輩の小松崎くんを罵倒したかと思えば、先輩の大塚嬢には許しを請い、小学生の間宮くんには自らの研究がいかに順調かを披露したり、住んでいる能登の風景や研究員の谷口氏とのいざこざを、目にありありと浮かぶような説明で描写したりする。

しかし、実際の守田本人が、そのように饒舌かつ活動的な人物かと言われればそうでもない。
後から登場する守田の妹・薫から見ると、守田は「兄さんは手紙になると人格変わるね」「いたずら小僧で、不器用で、気が小さく、泣き虫で、つよがりばかりの子ども(ちなみにこれは縦読み暗号でもある)」という人物だと描写される。
そして、その後の本人からの告白により、守田は将来について見通しが全く立っていないこと、研究も上手く行っていないばかりか先輩から研究に向いていないと言われている、ということも判明する。
守田の性格は、良くも悪くもこの「手紙の上では立派で尊大な人格を演じている」ことに現れている。そして、その部分と向き合うことこそが、タイトルにもある「”恋文の技術”とは何か」という主題に繋がってくる。

”恋文の技術”については、終盤で満を持して明かされることになる。そして要約すれば、その内容とは「自分と向き合う」ということである。
自分を見つめ直し、正直になり、本当の自分を見てもらうためにはどうしたらいいのか、という、人生の大きな問いへの答えだ。
そして、それを導き出すまでの過程こそが、本作「恋文の技術」なのだと、僕は考える。
これは、人間関係をうまく築けない人、自分をアピールするのが苦手な人、就職に悩んでいる人など、すべての器用に生きられない人々に共通する悩みとも言えると思う。

最後に、この作品で特に僕が好きだった部分を挙げる。
まずは、数々の書き損じた恋文が登場する第九話。そしてなにより、最終章の十二話だ。
特に卒業式の美しいやりとりは、情景がありありと浮かび、森見登美彦の小説力が遺憾なく発揮された一幕だったと思う。
そして、十二話を読み終わった後には、誰かに恋文を書きたくなる。
守田のように本当の自分に向き合って、自分の思いを伝える手紙を、大切な誰かに向けて書きたくなる。そのような小説だと思った。

(ちなみに、そのような勢いに任せて書きなぐった手紙や創作物というものは、大抵、てんでダメなものだ。それこそ守田が書き損じた数々の手紙のように。そして、それを乗り越える方法こそが「恋文の技術」なのだろう)

匆々頓首
笛入礼太

読者様


追伸

(他の人の感想を読んで思ったので追記しておくと、登場人物たちが現実で深い関わりがあるのは、特段「ご都合主義」ではないと思う。
たとえば、守田一郎と三枝マリ先生は京都内の同じ大学の生徒であるのだから、その行動範囲の中で同じ家庭教師派遣サービスを紹介されていたとしても不思議ではない。
さらに言えば、間宮くんの両親が同大学の出身だったと仮定してもいい。それなら学校の人間のツテを使って、同大学から家庭教師を調達したとも考えられる。
また、森見登美彦が同じ大学の卒業生で、大成した小説家になっているとするなら、むしろ、同大学在籍中のマリ先生がファンになり大日本乙女會に入った、ということのほうが「自然」だとも言える。好きになるキッカケとしては十分だ。
ひいては、小説のほうが先に好きだったために敬愛の目的で志望する大学を選んだ、という可能性まである。

ただ、これはすべて後出しで考えた理由だ。作中には一切描かれていないので、ご都合主義と言われても仕方がないかもしれない。そして「ご都合主義だからこそ、理想を描いた物語であるからこそ、なおさら素晴らしい作品だ」という主張には、全く同感である。)

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