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「ちっちゃな王子さま」(超意訳版『星の王子さま』)について あるいは「まえがき」

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「ちっちゃな王子さま」は毎週土曜日の朝9:00に更新

「ちっちゃな王子さま」は、フランスのアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが1943年に書いた小説、Le Petit Princeを文月煉が独自に翻訳したもの。
(2020年現在、日本国内でのサン=テグジュペリの著作権は失効しており、Le Petit Princeはパブリックドメインとなっているため、自由に翻訳・出版することができる。)

日本一「すっと読める」訳をめざす

Le Petit Princeは、21世紀を迎えた今読んでもまったく色あせない、普遍的な作品だと僕は思っている。

一方で、日本語は、はじめの翻訳が出てから50年以上経って、大きく変化した。内藤濯(あろう)氏の詩的な文章は素敵だけど、今の若い人がすんなりと読める文章かというと、かなり難しいように思う。

僕と同じ思いをもっている人は多かったようで、2006年に、岩波書店の独占翻訳権が失効して、たくさんの新訳が出た。でも(これは僕の主観だけど)、新訳の翻訳者たちの多くは原作者の敬意のあまりか、「原作に忠実であること」に重きをおいていたように思う。同じく新訳に挑戦した僕自身もそうだった。50年間独占していた内藤氏の訳が原作からかなり大きく離れた「創作」とも言える独創的な訳だったこともあって、新訳のほとんどは「原点回帰」とも言える忠実でおとなしい訳だった。

もちろん、はじめに言ったとおり、サン=テグジュペリの文章は今も色あせないものだから、原作に忠実な翻訳も十分に面白い。でもそこには、「フランス文学」に親しんだ者たちが目配せし合いながら読むような、どこか気取った雰囲気があった。(ように感じた)

そもそも「翻訳文学は苦手だ」という人も多い。日本語で読む物語でも、舞台や登場人物が遠い国の人だと思うと、ちょっと自分と距離があるように感じてしまうこともある。行間から当時のフランスの雰囲気をかぎとって楽しむのももちろん、楽しみ方のひとつではあるけれど、せっかくパブリックドメインなのだからもう少し大胆に「現代日本語で読む、新しいLe Petit Prince」があってもいいんじゃないだろうか。

そこで、僕は「原作に忠実」であることをやめることにした。逐語訳や直訳にこだわらず、必要に応じて文章をつけくわえたり省いたりして、とにかく「現代の人がそのまますっと読める物語」であることにこだわった。

だって、この素敵な物語を、一人でも多くの人に味わってほしいから!

そのためには、葉っぱや枝のひとつひとつにこだわらなくてもいい。それよりもだいじな、「肝心なところ」にふれてほしい。

こだわったのは「親密な打ち明け話」の語り口

Le Petit Princeは「ぼく」の一人称でつづられる。
一貫して「ぼく」が読者に語りかける物語だ。

そして「ぼく」は、読者のことを「大事なことを打ち明けてもいいと思えるともだち」だと思っていることが、文章の端々から垣間見える。
だからこそ、君だけには「あの子」のことを話そうと思うんだ、と「ぼく」は言う。

翻訳にあたってとにかくこだわったのは、語り手の親密な話し方。大切な友人にだけそっと打ち明ける「打ち明け話」の空気が伝わる言葉づかい

読者には、読み終わったあとにともだちが一人(いや、「あの子」をくわえて二人)増えた感覚を味わってほしい。


「ちっちゃな王子さま」は、毎週土曜日の朝9:00に更新予定。なんとか最後まで途切れずにやりたいと思うので、どうかおつきあいください。
完成したら電子書籍として出版するよ!



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