続・永吉昴とPについてのSS

『秋の迷い風』

Part1.昴について

 男は満足していた。少なくとも、そのはずであった。
 誰からも顧みられることなく、また誰からも見送られることなく、自らの生涯を閉じることこそ男の宿願であった。
 『死を以って己の完成と為す』___。エミと出会うまで、いや出会ってからでさえ、本気でそう思っていた。

 「お願いだから…目開けてよ。アンタ、まだやりたいことあったんでしょ?」
 「このまま死んでもいいんだ!?これからだって言ってたじゃん!!ねぇ、お願い…お願いだから……」
 「どうしてよ、この死にたがり!惨めったらしく生きてみなさいよ」「ねぇ……」「………ッ」

 彼女がいくら叫んだとて、男の病は最早言葉を発することすらままならない程に進行していた。男は自身の目指すところの許へと着実に向かいつつあったのだ。男の手を握りしめるエミの手が、唯一彼の命をこの世に留めていた。
 薄れゆく意識の中で、彼女の体温を朧げながらも感じ取っていたのか、僅かに男の口元が動いた。

「ぁ…、あぃ……が…」

 もうこれ以上生きることはできない。だが最期になって、男は生まれて初めて「惜しい」という感情の何たるかを真に理解したと思った。碌に喋れずとも、男の目から止めどなく溢れる涙がそれを物語っていた。
 男は満足していた。だが残された時間は、幾許もなかった。

 「……………」
 「どうです昴さん!凄いでしょう、このラスト!!」
 「……………」
 「この男の人、とっても哀しい人生を歩んできたんです。でも最期の最期にようやく心の平穏を見つけて、そっと幕を閉じるんです!それが本っっ当に悲しくて切なくて、初めて読んだときはどうにかなっちゃいそうで」
 「…………うーん」
 「昴さん……すごい顔、してる……。数学の……宿題……やってる時、みたい」
 「そうなんだよ杏奈〜。この小説、マジで超難問って感じで、オレにはハードル高いよ…。これ、今度恵美が出演するドラマの原作なんだろ?すげーよなー恵美!こんなムズそうなヒロインの役やるなんてさ」
 「でも恵美さんも、このラストシーンには随分悩んだみたいです。『最愛の人と過ごす最期の日を迎えたとして、その時自分は相手に何を望むんだろう』って。とっても悲しいですけど、どこまでも純粋で素敵じゃないですか?」
 「あーもう余計にわかんないよ百合子〜。だいたいオレたちこんなにピンピンしてるのに、もうすぐ死んじゃう時のことなんてわかりっこないって!」
 「杏奈も……ちょっと、想像……できない……。でも……最後も、一緒に……遊べたら……嬉しい……かも」
 「ははっ、なんか杏奈らしい!そう言う百合子はどうなんだよ〜」
 「え"!?私ですか?わたしは…えーと…」

 ほんの少し、ほんの少しだけ、自分のことをズルいと思った。わかんないのはウソじゃない。でも、きっと百合子にもわかってないってことは何となくわかった。そういうカンみたいなのだけは前からあった。
 だってまだ中学生だぜ?このみとか歌織みたいにはいかないって。でも最近、この「わかんない」って言葉が、便利だなって思うときがある。ちょっと前、美希が新曲を歌うことになって、そのレッスンで……。美希のヤツ、たぶん本気で泣いてた。

 『もしかして、プロデューサーはミキのこと、本気で見てくれて……ないのかな……』

 結局演技っぽい雰囲気になってたけど、それでも美希の告白も涙も、なんていうか豪速球のストレートって感じに見えて…。『アイツがアンタのこと見てない訳ない』って、とっさに励ましたのは伊織だった。オレも同じことを思ったけど、ビックリの方が大きくて何も言えなかった。
 なんなんだろうな…。わかんないことって、わかんないままで良いのかな。もしかして、オレだけ楽してるのかな。
 そんなことを考えてたら、控え室のドアが開いた。入って来たのは、見慣れたスーツ姿の男の人。

 「お、なにやら賑やかだな。昴もここにいたか。ちょうど良かった」
 「あ、プロデューサーさん……。お疲れ様……です」
 「プロデューサーさぁん!助けてください〜」
 「おぉ!?なんの話だ?」
 「百合子、突然じゃわかんないだろ〜。オッス、プロデューサー!オレになんか用?」
 「ああ。この前料理番組の仕事あったろ?あれがけっこう評判良くてな。その関係で、ぜひ昴に出てもらえないかって連絡が来たんだ」
 「マジで!!やった〜。やる、オレやるよプロデューサー!で、どんな内容なんだ?早く早く!教えてくれよ〜」
 「お、乗り気だな。ならこれを見てくれ」

 やる気満々でプロデューサーから受け取った番組の内容は、わかんないものと嫌でも向き合わなきゃならないものだった。

 「す、すす、好きな奴に食わせたい料理対決だぁああ!?」

 え、マジで?なにこれ。オレが誰になにを作るって??いやいや、見間違いかもしんないし。そう、見間違い。もう一回、もう一回だけ見よう。そうしたら…。

 "参加者の皆様には「恋人に食べて欲しい手作りの料理」をその場で一品作って頂き、それを審査員数名に評価して頂きます。料理の味はもちろん、その料理を選んだ理由や拘っている味付けなど、様々な点からの評価を行い、__"

 …マジだ。どうしよ。恋人…恋、恋って。そんなのわかんないよオレ。あ、オレまた…。

「凄いじゃないですか昴さん!大好きな人に作る手料理!聞くだけでキュンキュンしちゃいます〜」
「たしかに……昴さん……お料理、上手……。すごく……昴さんに……ピッタリの、お仕事……だと……思う」
「いや、でもオレ、そういうの…まだよくわかんないし…」

 もう、今日だけで何回…。

 「どうだ昴。アイドルだって、料理が苦手な子ばかりじゃない。むしろ『スポーツ大好き』ってこと以外にも、昴の得意なものをアピールできるチャンスだと思うんだ」
 「そうですよ昴さん!」
 「応援する……ね」
 「オ、オレ…、でも…食わせたいヤツとか、いないし…」

 『あのね、昴くん__』

 「美希、あのとき…」
 「昴?」
 「オレ、わかんないことはわかんないよーー!!」

 自分でもビックリするくらい顔が熱かった。今年はだんとう?だとかなんとか、天気予報でやってたから、たぶんあったかいせいだと思った。そう、思いたかった。けど心臓の音がドンドン強くなっていって、美希のことばっかり頭に浮かんで頭ん中が真っ白になって…。気づいたときには、劇場を抜け出してた。

 そこから先は、どこをどう走ったのか、まったく覚えてない。プロデューサーとよくキャッチボールする公園なんてとっくに通り過ぎて、いつの間にか川沿いをずっと走ってた。

 『あのね、昴くん。お願いがあるの』

 美希はいつだってなんにだって全力投球で。はじめて会った時から、ずっとすげーなって思ってた。でも、どうしてそんなにいつもキラキラしてられるんだよ。…いやウソだ。わかってる、ホントは。

 『ミキに、美味しいおにぎりの作り方を教えてほしいの』

 美希が誰に作ってあげたいかなんてすぐにわかった。わかったけど、ちょっとだけ、わかりたくなかった。わかりたくなくて、モヤモヤした。このまま倒れるまで走ったら、モヤモヤもどっかに行ってくれないかなって…。
 走っても走っても、走っても走っても走っても、スッキリなんてするわけなかった。
 もう何人も追い越した。大声で叫びもした。でも、なんにも変わらなかった。
 わかってる…あれが「好き」ってことなんだろ。ズルいよ、オレ。はじめからわかってた。じゃあ、オレは?あの人のこと、どう思ってんの。あの日、兄貴たちと野球してたら、あの人に声をかけられて。「アイドルやってみないか」なんて、マジでビビったけど、ホントはすっげー嬉しかった。オレがお願いしたら、いつだってキャッチボールしてくれる。オレのこと、いつだって考えてくれてる。めちゃくちゃ優しくて、優しいけど、それって美希にだって、百合子や杏奈にだって、おんなじじゃん。クラスの男子とは、ちょっと違うなって思うよ。でも、それが「好き」ってことなのか、わかんない。美希を見てたら考えるのが怖くなって、ずっとフタをしてた。考えないように、してたのに…。
 劇場から逃げるみたくここまで来ちゃって、百合子も杏奈も、きっと心配してる。それに、あの人も…。でも今戻ったって、答えなんて出ない。ていうか、あれ。ここ、どこだ?公園…?
 ほんの少しだけ冷静になったとたん体から力が抜けて、転がるように芝生に滑り込んだ。バクバクが止まんない…わけわかんない所まで走って来ちゃったんだ。きっと、そのせい。…え、てか、さむくね?ずっと走ってたから気づかなかったけど、止まったらすっげーさむいじゃん…。いろいろしんどくてもうダメかもって思ったとき、ポケットの中から音がした。着信は、このみからだった。

 『昴ちゃん!?無事?無事なのね!?あなた今、どこにいるの??』

 なんて言ったら良いんだろうと身体を起こすと、川を挟んだ向こう側にスカイツリーが見えた。だから、そういう公園とだけ答えて、フードを深く被った。


Part2.Pについて

 『ええ、隅田公園でまるくなってるの、さっき見つけて車に乗せたわ。昴ちゃんはこのまま家まで送っていくから、あとはお姉さん達に任せて、プロデューサーは安心してちょうだい』
 「そうでしたか…。無事で良かったです。すみませんが、歌織さんにもよろしくお伝えください」

 昴がいきなり劇場を飛び出してしまって、もしや私たちがなにか気に障ることを言ったんじゃないかと、慌てふためく百合子と杏奈を落ち着かせるのに手いっぱいになっていた。ちょうどその時、レッスンからあがった歌織さんとこのみさんが控え室に入って来たのは幸いだった。2人にことの経緯を説明すると、歌織さんが車を出してくれて、ついさっきようやく発見に至った。
 それにしても昴があそこまで思い詰めていたなんて…。“プリムラ”の時だって、恋が何なのかわからないなりに、彼女は精一杯歌っていた。『玉子焼き作るのがウマいのと、アイドルは関係ない』って、オーディションで本人は言っていたけれど、調理する姿がピタッとハマってると思ったのは嘘じゃない。そのオーディションは昴がはじめて勝ち取った「試合」だったから、彼女がもっと輝ける仕事を持って来たつもりだった。美希の公演でバックダンサーをやった時、いつも通りにしていたから気にも留めていなかったけど…、もう少し、もう少しだけ気を配っておくべきだった。

 夜も更けてきて、昴にどうやって劇場へ戻ってきてもらおうかと思案していた頃、なんと本人から電話がかかってきた。恐る恐る液晶をタップすると、しばらく沈黙が続いた。

 『………』
 「……大丈夫か?」
 『…………あの、っ、…、今日は、ごめんなさい』
 「寒気は?」
 『…へいき』
 「百合子とあn」
 『百合子と杏奈には、もう連絡した。明日会ったら、またちゃんと、謝るから…』
 「そうか」
 『……………』
 「なぁ昴。昴が嫌だったら、今回の仕事は___」
 『やる』
 「…え?」
 『オレ、やるよ。いや、やらせてほしいんだ』
 「大丈夫なのか?」
 『それでなんだけど…。逃げ出しておいて頼みごとなんて、わがままなのはわかってる。でも、今まで逃げてたものに向き合いたいんだ!』
 「…わかった。どうすればいい?」

 とりあえず、明日劇場の調理室に集合することになった。食材はぜんぶ自分で用意すると言うから、領収書をちゃんと貰うように伝えておいた。

 翌日。昨日までの陽気が、嘘みたいに冷え込んだお昼前。そう言えば、今日から冬まっしぐらだって、天気予報で言ってたっけ…。
 「今度の仕事で作りたい料理を決めたから、その練習に付き合ってほしい」というのが、昴からのお願いだった。料理に関しては素人もいいところだから、自分に何かできるとは思えないが。果たして。
 劇場の階段を降りていくと、新鮮な野菜の香りが漂ってきた。どうやら、もう来ているらしい。扉を開けて目に入って来たのは、いつもとちょっと雰囲気の違う女の子。一瞬目が合うと、ちょっとだけ気まずそうに目線を横へやった。

 「お、おはよう。プロデューサー」
 「元気そうだな」
 「う、うん」
 「それで、見てればいいのか?それとも、審査員役になって__」「一緒に!」
 「一緒に、作ってほしいんだ。オレが当日作ってみようと思ってる料理」
 「えっ」
 「わかってる。当日は、オレ一人で作る。だから今日も、だいたいは自分でやるつもり。でもそれでも、隣に立っててよ。そしたらオレ、わかる気がするんだ。だから…」
 「…わかった。いいよ。じゃあ、何からやったらいいんだ?言っとくけど、普段一から作るなんてほとんどしないから、あんまり期待するなよ?」
 「うん!」

 キラキラした目がようやく戻って来た。すると昴は、慣れた手つきで髪を掻き上げると手首のヘアゴムを使ってひとまとめに結った。「プロデューサーもはやく手洗えよ」なんて言いながらだ。やれやれ、一時はどうなるかと思ったが、なんとかなりそうだ。

 「なぁプロデューサー、ごま油取ってくれよ」
 「おう。にしても、こんなものまで使うんだな」
 「勝ちにいくんだ、当然だろ?って、手が止まってるぞ。はやくジャガイモ剥いてくれよ」
 「お、おう…」
 
 受け取ったごま油を鍋底に垂らすと、昴はごぼうと豚肉の小間切れを炒めはじめた。部屋中に、食欲をそそる香りが広がる。何ができるんだろうと想像を膨らませている横で、昴はもう次の作業に入っていた。人参が等間隔で切られていくのが、まな板へ落ちていく包丁の音で分かった。

 「ゴボウと豚肉はさ、野菜よりも先に火を通すんだ。どうよ、良い匂いするだろ?」
 「………」
 「…なんだよ」
 「いや、本当に手際良いな」
 「べ、べつに。慣れてるだけっつーか」
 「なんだってそうさ」
 「そうか…、そういうもんかな」
 「そういうもんだ。オーディションの時も言ったけど、これだって昴の立派な個性なんだよ」
 「……ジャ、ジャガイモ。はやく…してよ」
 「あぁ、悪い悪い」

 鍋に水を注ぎ、火を通したあと小皿に移しておいたゴボウと豚肉を再び鍋の中へ。さらに人参と大根、そして普段料理していないのが一目瞭然なジャガイモを次々に入れていった。最後に豆腐を加え、お玉の中で味噌を溶かせていく…。弱火でじっくりコトコトと。鍋のフタが、美味しそうな音を立てていた。

 「なぁ昴。歌織さんとこのみさんから、何か言われたのか?」
 「……!」
 「正直言うとな、こんな早く立ち直るとは思ってなかったんだ。むしろどうやって声をかけようか、ずっと考えていたところに昴の方から電話が来てさ」
 「……良い』って」
 「ん?」
 「『すぐわかるようになるから、焦らなくて良い』って、そう言ってくれた。まぁ…その、めちゃくちゃ怒られたんだけど。とにかく、そういうことだから、やってみようって思ったんだ」
 「…そうか。おっ、いい具合に煮えて来たんじゃないか?フタ、取ってみるか」
 「あ、待って!!」「…それは、オレが取るから」

 昴がフタを持ち上げた瞬間、凝縮された空気が部屋中を満たしていって、なんだか懐かしい感じに包まれた。どうすればいいかなどと偉そうに言ったものの、いよいよジャガイモを剥いて同じくらいの大きさに切るのを頑張っただけであった。これで完成かと思いきや、どうやらそうではないらしく、彼女は生姜を細かく刻みはじめた。

 「へぇ、これが『拘り』なのか?」
 「うん。寒い時期になると、オレの家じゃだいたい生姜入れるんだ。ちょっと入れるだけなのに、すっげーあったまるんだ」
 「食べる人のこと、たくさん考えてるんだな」
 「あのさ…サンキュな、プロデューサー。今はこれで良いって、そう思う」

 最後に味見をして、昴手作りの豚汁は完成した。それをお椀に丁寧によそって、みじん切りにしたネギを乗せて出来上がり。お椀から立ち込める湯気が、これは美味しいに違いないと、そう告げているかのようだった。優勝、できると良いな。

 誰かのことを考えるのは、とても大変なことだと思う。でも、だからこそ、時間をかけて作るものは尊い。昴と向かい合って座って、そうして祈るように手を合わせた。

 「いただきます」

おしまい🥎

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