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実家がなくなった。

実家がなくなった。

正確に言うと、単に親が引っ越しただけで。親の暮らしている現在の家を実家と呼ぶならそこが実家なんだろうけど。親元を離れて15年の僕はその新居に住んだことがなく、「実家」と呼べるほどの愛着はない。

正しい日本語で言うと生家か。

そう、生家がなくなった。22で上京するまでずっと生活をしていた生家がなくなった、去年。

親の引っ越しの理由自体は、自営業を営む父が家業を畳んだのと、姉夫婦の子どもたちがまだまだ手のかかる年齢で、共働きである長女夫婦にとっては両親が近くに住んでくれてた方が何かと助かるという理由で。それはとてもいい選択だと思うし、離れて暮らす親不孝者の息子としても、姉夫婦のそばで暮らしてくれる方が安心なのでよかったよかったと思っているのだけど。

こうして両親が僕にとっての故郷を離れたことで、僕自身が生まれ故郷に帰る理由がまったくなくなってしまったことに、寂しさとまでは言わないけど、何と言うのだろうか、僕はもうあの生まれ育った地元の駅に降り立つことはないのだろうかという、漠然とした喪失感に襲われることがある、不意に。

ぶっちゃけ特別地元が好きということはない。なんなら地元の友人なんて一人もつながっていないくらい身辺関係も整理していて。僕の人生にとって22年生活した地元はまるで心ときめかない文字通り不用品なんだけど。そんなこんまりメソッドでは片づけられない何かが、本当にそれでいいのと追い立ててくるわけで。

37になるまで感じたことのない郷愁の想いが、ふっとGoogleで「東大阪 布施」と検索させたりする。

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すると検索一覧のいちばんトップに見覚えのあるマップが表示されて。駅前のイオン(僕が住んでいるときはビブレだった)の文字に、あああああああああと言語処理できない感情が沸き上がってきたりする。

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1階に入っていたコムサイズム。僕が中高くらいのとき、世間でやたらコムサデモートが流行っていて。それより手軽な価格帯のコムサイズムは、おしゃれを覚えはじめる思春期の心にはちょうどいいブランドで。なんとなくコムサイズムの店内をうろつくだけで、中学生の僕はちょっと大人になった気分になっていた。ビートルズもコムサで覚えた(それにしても最近コムサイズムのコの字も見かけないけど、元気にやっているだろうか)。

4階には雑貨コーナーがあって、よくそこでおしゃれなペンや便箋を買った。なぜ10代の僕たちはちょっとおしゃれなペンを持っているだけで得意げな気持ちになれのだろう。教室で毎日のように話をしているのに、それでも話し足りないのか、いつも手紙を書いてはこっそり交換し合っていた。今では3行以上のメールを打つことさえ面倒くさい筆不精ぶりなので、当時の筆まめさ加減を思うと、我ながらリスペクトしかない。何をそんなに伝えたいことがあったのだろうか。

2階にはおしゃれな喫茶店が入っていた。子どもが入るにはちょっと敷居の高いその喫茶店。いつか見合う年になったらそこでチーズケーキを食べるんだと心に決めていたが、いざ20代になって久しぶりに会った女友達とその喫茶店でお茶をしたら、安っぽい椅子のつくりとチーズケーキのパサパサとした食感にげんなりした記憶がある。憧れは、いつでも勝手だ。

ビブレ(現:イオン)を北上すると、小学校がある。これはほぼすべての人がそうだと思うのだけど、もう卒業して四半世紀になるのに、いまだに校歌をソラで歌えるのが怖い。確か卒業してすぐはホイホイと中に入れたはずだけど、池田小の事件が起きて警備が厳戒になり、以来、一度も足を踏み入れていない。タイヤを塔のように積み上げて、そのてっぺんから吊るされたロープにしがみついて、ターザンのようにまわる遊具があって、すごく好きだったのだけど、あれはまだあるだろうか。そしてあの遊具の名前は何と言うのだろうか。

Googleマップをスクロールしていくと、どんどん思い出が甦ってくる。特に思い入れはないつもりだったけど、やっぱり22年間過ごした街は特別で。角の郵便ポストにも、茶色いサビが目立つガードレールにも、脱衣所に置いてある少年ジャンプ目当てで通った銭湯にも、思い出は染みついていて。そのどれもが、もしかしたらもう目にすることはないんだと思うと、なぜか自分がすごく大きな間違いを犯しているような気持ちになる。

かと言って、こんなことを思ったところで、たとえ帰省をしたとしても、訪ねる相手も用事もない故郷にわざわざ降り立つことは、たぶんないだろう。

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22年間住んだ家がどうなったのか、僕は知らない。親が引っ越しをする1年前に、お向かいさんちが取り壊されて、あたり一面が駐車場になっていた。そのときすでに僕はもう、22年間暮らしていたその家がちょっと他人に思えた。地主は同じなので、もしかしたら僕が住んでいた家もさっぱり取り壊されてなくなっているのかもしれない。

駐車場になったかつての生家を見たい気もする。でも見たくない気もする。見たら泣いてしまうのだろうか。でも案外平気なのかな、とも思う。

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生きていれば、いろんなことを失っていく。毎日のように遊んだ小学校の頃の友人も、生まれて初めてもらったラブレターも、靴下の片方も、気がついたらなくなっていた。

実家がなくなった僕は、実家があった頃の僕と、何か違っているのだろうか。何も変わらない気もするし、でも決定的に何か違う気もする。

そして、こんなことを考えていたこともきっといつか忘れてしまうのだろう。

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