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便利すぎる! デジタルの力で飛躍的に向上した私の学習環境

デジタル化によって起きたありがたい変化やうれしいできごとは数え切れないほどあります。

たとえば、今、私がこうしてnoteというプラットフォームに記事を書いていられるのも、デジタル化があってこそ。

そんなふうにたくさんある「よかったこと」から、今日は学習の機会が広がったこと、特に、私の趣味の語学において、ひじょうに勉強がしやすくなったことをお伝えします。


ネイティブの英語を聞くのが困難だった

私は1959年(昭和34年)生まれ。

学生時代、英語を学んでいましたが、ネイティブが話す「リアルな英語」を聞く機会がひじょうに限られていました。

学校に、ネイティブのALT(Assistant Language Teacher)なんていなかったし、街で外国人を見かけることもなく、せいぜい、NHKの「ラジオ講座」か、たまにNHKの教育テレビで放映される字幕放送の映画で聞くぐらい。

FEN (Far East Network 米軍極東放送網)が受信できる場所に住んでいなかったし、短波放送が入るラジオも持っていませんでした。

そのせいかどうか、英語が全くしゃべれず、短大の英語科で、はじめて、英語をしゃべる人たち(宣教師)が話す、今思うと、かなり不自然でゆっくりした英語が聞き取れませんでした。

授業で先生が「今、何時ですか?」と英語で質問したとき、意味はわかりましたが、答えられなかったんです。

「今、1時半です」などと言えばいいのですが、それが言えませんでした。

短大の英語科の授業で、ですよ。

受験で難しい英語の問題を解いて、合格して高い入学金と授業料を払って受けているその授業で、ですよ。

あまりに屈辱的だったので、今でもよく覚えていますし、きっと一生忘れられません。

今や生の英語に触れ放題

その後、20代の半ばに、英会話学校に通いましたが、授業料がとても高かったのを覚えています。

プライベートレッスンだと、1時間6000円なんてふつうにしました。

ところが今はどうでしょう?

オンライン英会話なるものがあり、月に7000円ぐらい出せば、回数無制限で英会話のレッスンが受けられるというではないですか?

しかも自宅でのプライベートレッスンだから交通費は不用です(ネットにつなぐお金は必要ですが)。

つまり、かつて私が、1時間のプライベートレッスンに払っていた料金で、1ヶ月分、レッスンが受けられるのです。

お金を使いたくないなら、こうした有料レッスンを受ける必要すらありません。外国にいる人たちと、ランゲージエクスチェンジできるアプリがあるし、YouTubeには、ネイティブのしゃべる英語があふれています。

このように、今、とくにお金を出さなくても、ひじょうに語学に取り組みやすいのですが、すべてデジタル化のおかげです。

スマホで学習できる便利な時代

もう1つ、語学でありがたいのは、スマホがあることです。

私は語学の音声はいつもスマホで聞いていますが、昔はカセットテープやCDを使っていました。

わざわざ専用デッキにカセットテープやCDを入れ、再生しないと音が聞けなかったのです。

1980年代にウォークマンなるものを手に入れ、この小さな四角い物体にカセットテープを入れて通勤電車の中で英語を聞けるようになりました。

「なんて便利なの!!」と涙が出るほど感激しましたが、今は、再生する機器を持ち歩く必要はありません。

スマホがあれば、ストリーミングでいつでもどこでも好きなときに聞けます(Wi-Fiに接続する必要はあるけれど)。音声をダウンロードしておくこともできます。

もはや、カセットテープもCDも不用なので、私はこうしたメディアはすべて捨てました。

私は音楽も好きなので、一時期、音声を記録するメディアをくさるほど持っていましたが、全捨てして、本当にスッキリしました。

スマホでは教材のみならず、YouTube、Netflix、外国のラジオ放送、ポッドキャストも聞くことができます。自分の声を録音することもできるし、AIと会話を楽しむこともできます。

仕事や家事で忙しいので、私は机の前に座って学習することはあまりありません。

掃除をしながらスマホで音声を聞いたり、お茶を飲みながらポッドキャストを聞いたりします。

朝のスロージョギングや散歩のときも、スマホでポッドキャストやオーディオブックを聞いています。

忙しくても学習できるのは、手のひらサイズのデバイスで、世界中の情報やサービスに瞬時にアクセスできるからです。

iPadでノートを取り放題

iPadで学習できるのもデジタル化のおかげです。

私は、ノートテーキングに関してはずっとアナログ派で紙のノートを使っていました。

読み返すためにノートを書いていたわけではなく、手で書いたほうが多少は記憶するだろうと思って書いていたので、1冊埋めたら、わりとすぐ捨てていました。

それでも、単語や英文日記を書いたノートやカードがこれまた大量にありました。

でも、今はiPadを使っているので、ノートはいっさいたまりません。

しかもiPadには、本や音声も入れておけるし、YouTubeやNetflixも視聴できます(当たり前)。

重たい本を持ち歩かなくても、これ1つあれば、学習が完結します。

今の学生が、学校にタブレットを持っていっているのかどうか知りませんが、私が高校生のときは、毎日重たい辞書を学校に持っていきました。

英和辞書に和英辞書、古語辞典に教科書にノートにお弁当。

私の学生カバンはいつもぱんぱんでまるで巨大な卵焼きのようでした。徒歩と電車で通学していましたが、よく腕がもげなかったものです。

だいぶ後になってカナダに留学し、生徒がロッカーに教科書を入れっぱなしにしているのを見て(カナダの教科書はハードカバーで大きくて重いものが多い)、自分の高校にロッカーがあれば、毎日あんな重たい思いをしなかったのにと思いました。

今は、必要な辞書はスマホやタブレットにすべて入ります。この2つとあと身の回りのものを少し持っていけば、授業を受けられるのです。

私はずっと自宅にいるので荷物を少なくする必要はありませんが、紙の辞書やノートも少数の例外を残して、全部捨てしました。おかげで狭いアパートの小さな本箱にすべての本と書類がおさまっています。

大きく進化した学習環境

こんなふうに私の学習環境はデジタル化によってとてもよくなりました。

そんなにお金を出さなくても、やる気と少しの時間があれば、世界中の情報にアクセスできるなんて、なんてありがたい時代でしょうか。

もちろん、デジタル化はポジティブな変化だけをもたらしたわけではありません。

スマホ依存やサイバー犯罪、情報過多によるストレスの増大など、社会問題も起きています。何より、電気とWi-Fiがないと、スマホもタブレットもただの四角い置物です。

アップルペンシルもときどき調子が悪くなるので、すぐに書ける紙と鉛筆を捨てるわけにはいきません。

ですが、デジタル技術と数々のデジタル機器が私の学習の機会を増やしてくれたのは事実です。

デジタル化の課題もありますが、私はこれからもデジタルツールを活用し、語学を含め、毎日新しいことを学びたいと思っています。

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