見出し画像

さよなら、一人ぐらしの4年間

もうすぐ引越しをする。兼ねてから計画していた、彼女との同棲のためで、つまりそれは、4年間と8ヶ月を暮らした家を引き払うということだ。

実は10月の中頃から家を探し始めていた。初めて不動産屋に行った日に運よく二人で生活することが想像できる家がみつかり、とりあえず申し込みをしたのだが、その日の夜彼女が僕に本当にこの家でいいのか聞いた。不思議だった。楽しみにしていた彼女との同棲なのに、一人暮らしの家を思い出すと涙が止まらないのだ。結局そのときは、不動産屋さんに無理を言ってキャンセルさせてもらった。

大学入学をきっかけに上京し、初めて一人ぐらしをすることになった。上京初日、電灯すらない真っ暗な部屋で、キャンプ用のランタンを焚いて寝袋に包まった夜、何もない空間をきれいに保とうと決意したのは今でも覚えている。ずいぶんと当初の決意とはかけ離れ、家は汚くなった。実家で制服をポイ捨てしていた僕が、決意一つで変わると思ったら大間違いだぞ、4年前の自分。

一人ぐらしの部屋は、何もない、誰のものでもない空間から4年間をかけて少しずつ僕の部屋に変わっていった。特にキッチン周りはずいぶんと変わった。実家の味が恋しくて母からレシピを送ってもらって、ほとんどのものは作ったし、自分でもクックパッドを見たりして、いろんなものを作った。そのうち友達に飯を振る舞うようになり、多いときには週に3日は友達を呼んでいた。家に人を呼ぶために掃除をし、掃除をするために家に人をよんだ。初めての彼女ができたきっかけも、家でご飯を作ったことだった。ありきたりな流れだ。大学まで毎日チャリを飛ばして通ったし、夜は部活で疲れて死んだように眠った。試合に出られなくて泣いたのもこの家だし、フラれた時には彼女の残像が消えなくて帰りたくなかったのも、この家だった。思い返してみれば、この8畳間の部屋には僕の4年間が詰まってるのだ。

ところが、ここ半年はどうも様子が違う。家での思い出がどうにも希薄なのだ。

まず、家にいる時間が短くなった。今年の2月からは旅行、留学、鎌倉での住み込み、とほとんど家に帰ることがなかった。今の仕事になってからも、福島に1ヶ月研修に行ったり、彼女の家に泊まりに行ったり、家賃がもったいない!とうちの母親から怒られる始末である。家の浮気をしている、と彼女が言ったが、上手い表現だと思う。

浮気というだけあって単に時間的な問題ではなく、心の方も家から離れていっているように感じる。家に人を呼ぶこともずいぶんと減ったし、何より家が汚くなった。前は散らかした後でも、家のことを思って(?)綺麗に掃除をしていたが、家そのものに興味が薄くなったからか、何となく汚い場所が多くなってきた。埃と髪の毛がついたままの洗面台とか、ドアの裏の埃とか。まあそれなりに住めればいいか、という気持ちなのだろう。そこには、上京した初めての夜の、部屋に対する純粋な感情はない。

この家の役割はもうそろそろ終わりなのかもしれない、と感じるようになったのはいつからだっただろうか。人生のステージみたいなものが変わったとするならば、適切な容れ物も必然的に変わるものかもしれない。大学生の4年間を見守ってくれ、一緒に過ごしてきた部屋ともお別れをする時期がきたのだろう。

と、ここまで書いたのが引越し前のことで、今は引越しも終わりなにもない部屋でnoteを書いている。

上京した日と同じく物は何もないが、4年間の営みの証として床には傷がついているし、全体的に日焼けした感じなど、部屋も歳を取ったな、と思う。何もない部屋は、広いような狭いような不思議な感じがするし、つい一昨日まで自分が生活していたとは思えない。

今日、私はこの部屋にお別れを告げる。きっとこの部屋もすぐに新しい住人を得て、生活を送っていくのだろう。

4年間を過ごした友人として、思い出を記録に残したいと思った次第である。


カツ丼食べたい