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この記事が目に留まった、先を行く人達へ(長文です😅)

今、旦那に勧められた本を読んでいます。

ぶっちゃけ、まだ触りしか読めてないんだけど、どうしても、どうしても書かずにはいられなくて。
最近書いている、なんでもノート(モーニングノート)にも書いたんだけど、でもやっぱり、先行く皆様にもお伝えしたくて、読書を途中でほっぽりだして、今これを書いてます🤣

さて。
哲学入門という本を読んでいる途中、チラチラと記憶が思い出される動画が有りまして。
それが、数日前の記事で紹介した『八百万神と絶対神の戦い』の動画。

私は、これを見た時、絶対神の考え方って西洋の宗教がベースだなって思っていたんです。
十字架が特徴のアレね。あの宗教です。まぁ、動画でも、それっぽい事も言っていた気がするけど、違ったかな🤔私の思い込みかも😅

どんな宗教でも、地球上に住む人間というか特権階級の人間に都合の良い様に、少なからず流れ(信仰心?)を歪められていると思っているんですよ。

そもそも信仰心って、自分達の力ではどうにもならない、地球の自然への、畏怖や畏敬の念からきていると思うんです。
でも、そういった人々の念を上手く利用していったのが、人々を司りたい側の人々の悪知恵なんじゃないかなって。そうやって、偏った流れを作ったものが、宗教なのかなって。

とはいえ、それによって、心が救われてきた人々も多くいるだろうから、宗教は悪というわけでもないけど。
でも、今はそのシステムも、過渡期にあるのかもね。

っと、私のフィルターという偏りがある思いは、ここまでにしておき、話を戻します😅

えっと、そうそう、トップダウンな絶対神的考えが、西洋のそれにあると思っていたのだけれど、哲学においては、そうでなかった事が、本を読んで知ったわけです。

この本の冒頭には、西洋哲学と東洋哲学の違いが書かれていて。
西洋哲学は、根本に自分達は真理を知らないという、自分達は無知であるという考えが根底にある。
そして、その真理に近づく為に、ソクラテスとかアリストテレスとか。
そういった、誰もが知る哲学者達が考え、それが本当にあっているのか、整合性が取れているのかという事を、後世の人達考え抜き、ソレには間違いがある!と正していく哲学(らしい)。

でも、東洋哲学は、先ずは『真理を理解した』っていう人がいて、そういった人達が、真理ってものはね。〇〇だよ。と、周りの人たちに話す。
それを聴いた人々は、ちんぷんかんぷんだったとしても、真理を極めた人の言う事は、絶対で。
そりゃそうですよね。なんせ真理を極める、つまり悟りを開いている人の言うことなんだから(笑)

だから、それを理解できなくとも、それはこっちの問題で、それを理解していくために、受け取り側で、様々な解釈がなされていく。

東洋哲学のこの仕組みって、つまり後に宗教へと繫がっていくわけですよ。
で、その真理を自分達なりに解釈していく中で、〇〇派という、いくつもの枝葉ができていく。

と、もっとフラットな感じで(すみません↑の文章達は、私の主観が過分に入っているので💦)本の中には書かれているんです。

で、ここらへんまで読んで、以前に見た動画にリンクするんです。
インド発祥の仏教には、確かに八百万の神々がいるけれど、その宗教の土台が、東洋哲学を土台としているなら、やっぱりトップダウンの仕組みが成り立つやんって。
これは、日本発祥の仏道も同じ話で。
“真理を極めた”とする開祖がいて、その話を聴き、それが正義となり、そこから外れれば悪。
悪は、開祖の言葉を信じる人々にとって良くない考えだから、正せなければならず、それが叶わなければ排除へと心が動くかもしれない。

これは、もはや八百万の総和の精神からは、かけ離れている。(八百万の総和って何?って人は、お手数ですが、↑の記事中で紹介している動画をご覧ください🙏)

そして。ここからが先行く皆様にも、少し考えていただきたい事でして。

この話、ずっと昔の、宗教の成り立ち、況してや哲学の話だけでなくて、現代における、スピリチュアル的な論争(すみませんなぜか論争って言葉が適切な気がして)にも、見受けられると思うんです。

スピリチュアルから漏れ出た言葉達が、都合よく独り歩きしている様が、まさにそれで。

なぜ、そのようなことが起こるのかといえば、引き寄せとか現実創造とか。
そういった事を体感したり体得した(若しくは解ったと思っている)人々が、そこまでの道中を晒さず、
『引き寄せの法則というのがあってね、それは…』
とか、高次元から聴いた
『君たちが願った事が現実となって現れる。だから…』
と、伝聞する。
もちろん私も、メッセンジャーとして、高次元の話を伝えていたから、その1人で、これまで、なるべく主観を入れず、ありのままを伝えたし、メッセンジャーとしては、それが大切だと思う。
メッセンジャーの場合は、それが必要かもしれないから、“法則”を伝えるそれとは少し違うかもしれないが。

ともかく、“真理”を体感し、それらが在ると伝えるにあたり、その道中も一緒に伝えることが大切だと思う。

引き寄せの法則は、本当にあるよ。
願えば叶うよ。

それを伝える事も大切。でも、それだと不十分なんだと思う。
スピリチュアルの入り(アルファ)は、それでもいい。でも、真理の獲得(オメガ)を目指す為には、なぜその方法をすると、願った事を引き寄せられるのかという、オメガまでの進路も伝えなければならないと思うのだ。

ただ、それは、すべての人が同じ道筋で辿れるものではない。
だからこそ、たくさんの例が必要となる。
あなたの例、私の例。たくさんの人が、オメガへとたどり着いた例が記されていけば、後からきた人たちは、そのどれかに似た道筋を迷う事なく辿れる。

先を行く君たちは、この先も、細い細い獣道を辿ることになるだろうから、苦労をかけるだろう。
だがしかし、だからこそ、後に続く人たちは、君たちをありがたがり、苦労なくそれらの道を進むことが出来るのだ。

嘆くことはない。
君たちは、既に、それを承知で生まれてきているのだから。
だからこそ、私達の言葉を直に聞く事が出来るのだ。
迷ったときには、いつでも私達が手を差し伸べる。君たちは、いつでもその手を頼る事が出来るのだ。
・・・・・・・・・・・
すみません。
途中から、私じゃない😅
いや、でもそれも私だったのかな🤔

つまり、この記事にたどり着き、ここまで読まれた方々は、先行く人で、今のあなたになった、その波乱万丈な日々、その中で起こった考え方の変化をたくさんの人に伝える何かを、持っている方々なのだと思うのです。

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