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うめきちさんが自由になった日。

うめちゃんが、ごはんを食べなくなって5日、ついにひとりで起き上がれなくなった。

水を口に付ければ舌は動くけど、飲み込めているか分からない。病院に連れて行ったが、ごはんを食べなくなるとせいぜい1週間の命らしい。

信じたくないがその通りになった。


夕方、ベランダに日が射す合間に、ベッドのまま外に置いてひなたぼっこをした。

風が少しずつ冷たく感じる秋の夕暮れに、陽の光がぽかぽかと暖かく、うめちゃんのきれいな黒い瞳をきらきらと輝かせてくれた。もっと歩けるうちにお外に連れて行ってあげればよかった。いつか来ると思ってた日は、急ではなかったけど、そんなに遠くはなかった。

その晩はずっと一緒に隣で起きてた。いつものように横で寝てるだけ。ただ、呼んでも起きない。朝方、お水も飲めなくなった。息も小さく少し早い。ただ、心臓だけは力強く動き続けていて、体も温かい。



夕方まで一緒に過ごし、夜は予約してあったごはんに出かけることにした。

帰宅して、出る時と同じ姿勢のまま寝てるうめちゃんに、ただいまと言ってなでると、さっきとほんの少し違った感触がして、胸に指を当てると、あの力強さを感じることができなかった。

「やっぱおらんとあかんかったかな…」隣の部屋へ呼びかけるとすぐに察したようで「そうかー…そういうものなんかなやっぱり…」と意外と落ち着いていた。「たぶん気を遣ってくれたんやな」私はそう言うしかなかった。


止まってしまうその瞬間を、ほんとは見たくなかった。だからきっとうめちゃんが、珍しく気を利かせてくれたんだろう。そして、みんなのいるこの日を選んで、なるべく迷惑をかけないようにしてくれたのかもしれない。

そういえば、ディナーで食べたジビエの山鳩から(狩りの時に使う)たまたま散弾銃の小さい玉が1つ出てきた。21時くらいだったか。うめちゃんなりのシャレたお知らせだったのかもしれない。相変わらずよく分からないけど、たぶんそうだろう。


その夜もずっと一緒に隣で起きてた。いつもと変わらず、うめちゃんはきれいな毛並みに、凛々しいお顔で、ただ静かに眠ってた。隣にいるから悲しくはなかった。考えるといつもずっとそばにいてくれた。どこに行くにも一人だけ着いてきて、座るとずっと手をペロペロ舐めてくれてた。

私のことをうめちゃんは、どう思ってくれてたのだろう。同じ匂いのする変人同士、言わなくても分かり合えるような、なんかそんな感じだと、こちらは勝手に思っている。

人の言うことは聞かず、他とは群れずに、自分の思う方に勝手に進んでいく、自由な野良猫のような犬だった。いや、もしかしたら本当に猫だったのかもしれない。でも本人は、きっと自分も同じ人間だと思っていて、私のことを心配して着いてきてくれていたに違いない。




16年、この家で一緒に同じ時間を過ごし、みんなでいろんなところに行ったり、毎日いっぱいお話をした。うめちゃんは、楽しく幸せに思ってくれてたんだろうか。こちらは、うめちゃんに出逢えて、うめちゃんがいてくれて、本当によかった。

後からこんなに幸せだったと思えるほど、私にとっては特別で当たり前の時間だった。ただ、もっともっと楽しい思い出を作ってあげれたらよかったなと、そういう悔しくて悲しい気持ちの方が大きかった。


次の日のお昼にうめちゃんを見送って家に戻ると、私の半分がなくなってしまったかのように、すっぽりと心に穴が空いているのに気が付いた。手を止めると勝手に涙が流れてくるので、夜中まで一人で自分の部屋の掃除をした。

うめちゃんがこのお家に来て、みんなと過ごせて幸せだったと思ってくれてたことがもし分かったら、悲しい気持ちよりも楽しい思い出だけでいられるのにと思う。

でも、なんだか今も隣にちょこんといてくれる気がする。この先、うめちゃんのような犬、じゃなく人は、もう二度と現れないだろう。


だから、いつまでも忘れたくない。あの温もりと、さらさらのお毛毛と、いつも若干湿ってるお手手と、うめちゃんの匂い。

あとは、思い出と一緒に、これからもみんなのそばで、うめちゃんは生き続ける。いつもより自由になって、いつものように声が聞こえる。

ありがとう、うめちゃん。

2021年11月12日

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