【Q9.東京最北のバス停から東京最南のバス停まで】 2.竹芝桟橋から小笠原諸島・父島まで
出港・一日目昼
旅行会社「ナショナルランド」の窓口を探し、必要書類を提出する。HISから送られたメールに添付されていたPDFを、予め印刷しておいたものだ。今から乗る「おがさわら丸」の往路の乗船券と、復路の乗船券の引き換え書類を受け取る。復路の引き換え書類は帰りの便の乗船直前に、父島の二見港に提出するものなので、それまで絶対に無くさないようにと念を押される。オリジナルのクリアファイルに入った状態で、そのまま渡された。
バレンタインデーが近いとのことで、お菓子を貰える。
10時になると、乗船手続きが開始される。等級が高い船室から、順番に番号が呼び出され、誘導に従い乗り込んでいく。最初は、七〇〇番台からだ。最も等級の高い、特一等船室だろう。自分は、下から二番目の等級である、二等寝台、四〇〇番台の客なので、最後の方だ。10時12分になって、呼び出しが始まった。
ターミナルから乗船口、船本体までの距離が近い。自分は一昨年、苫小牧から大洗まで、商船三井のフェリー「さんふらわあ」に乗ったのだが、乗船時も下船時も、船と陸を繋ぐ蛇腹状のタラップがとにかく長かった記憶がある。その時と比べると圧倒的に短い。
爽やかな挨拶を繰り返す船員達に迎えられて船内に入ると、まずは自分の船室を確認し、荷物を置く。今から24時間、この場所が自分の住処となる。
二等寝台のブースには、カーテンで仕切られた二段ベッドが両側に設置されている。つまり一ブースにつき、二×二の四人分の就寝スペースがある。「さんふらわあ」の「コンフォート」の寝台と同様のレイアウトだが、横幅が少し狭い気がする。また「さんふらわあ」にはモニターが各寝台ごとに設置されていて、救命胴衣の使い方や、船の現在地などを放送していた。「おがさわら丸」の二等寝台にはそこまでの設備はない。
荷物の中から当面必要なものを取り出し、甲板へ向かう。出港の瞬間は、是非この目で見たい。誰もが同じことを考えるので、既に人が多い。
乗客が立入可能なデッキ(甲板)は八階、七階、六階に設置されている。臨海部の多彩な景観を楽しめる。竹芝客船ターミナルの、至近を走るゆりかもめ。東京港の倉庫群。羽田を離発着する旅客機達。レインボーブリッジとフジテレビ社屋。東京港ゲートブリッジ。青海のコンテナ埠頭に林立する、巨大コンテナクレーン群。中央区辺りのタワマン。そして少し遠慮がちに姿を見せるスカイツリー。
定刻通り、11時00分に出港。おがさわら丸は岸壁を離れると、まずは方向転換のために、ゆっくり回転運動を始める。船首を東京湾の出口に向け、進んで行く。日の出の倉庫群を進行方向右側に眺めつつ、レインボーブリッジに接近する。
その下をくぐる。壮観だ。人々は皆体をのけ反らせながらスマホやカメラを構え、そのくぐる瞬間を撮影する。自分もまた、その一人となる。
甲板上から船の後方を眺める。巨大な航跡が海面を泡立てる。東京都心部の巨大建築物が次第に小さくなっていく。
二月にしては大分暖かいが、今日は風が強い。屋上のようになっている最上階の甲板で、親指と人差し指でスマホを直接持って撮影をしていると、突風に吹き付けられスマホが落下してしまう。そのアクシデントが二度起きる。のみならず、眼鏡も強風で飛ばされ、下の階層の甲板にまで落下する。幸い、近くに居た親切な人に拾って貰えたが、左の鼻当てが脱落し、行方不明となってしまう。この旅行中は、ずっとその状態に耐えるハメになった。それでも、海没しなかっただけでも不幸中の幸いだ。
最上層のデッキは明らかに危険だ。遮蔽物があって風がやや弱い、下の甲板に移動することにした。
船はやがて、多摩川の河口、羽田沖に差し掛かる。空港を離発着する旅客機達を、至近距離で眺めることができる。距離が近いので、姿も飛行音も大きい。ここもまた、撮影スポットだ。
羽田の方角には富士山も姿を現す。飛行機と富士山との構図にテンションが上がり、撮影意欲が更に刺激される。
京浜工業地帯の心臓部、川崎の工場群。鶴見つばさ大橋。川崎沖を通過する際には、後方にアクアラインの海底トンネルの排気塔が見られる。横浜の港湾施設、ビル群。半月型の有名ホテル。観覧車。ベイブリッジ。横浜港。
洋上には貨物船、漁船。おがさわら丸の速度は、巨大貨物船より速いようで、同じ方向へ進む船を、何度か追い抜く場面がある。時折海鳥が映り込む。
順調に進む船上から眺める西側の遠景には、富士山が変わらず存在し続けている。葛飾北斎「神奈川沖浪裏」は、この辺りの洋上から見た景観だろうか?
三浦半島には、おそらくは米軍横須賀基地のものと思われる巨大建造物が見えてくる。
東京湾の最も狭い部分、房総半島の富津と三浦半島の観音崎の間を抜けると、浦賀水道だ。その先はいよいよ、太平洋となる。
「おがさわら丸」に乗ったら、やろうと計画していた事が一つある。スマホのアプリを用いて、緯度と経度を一時間ごとに測定することだ。アプリ自体は、主に鉄道の速度を計測するためのものだが、座標を表示する機能もある。おそらくは、ある二点の座標をGPSから取得し、その距離と移動時間から速度を割り出す原理なのだろう。
アプリによると、12時の時点ではまだ東京湾内に居る。浦賀水道に出たのが13時頃、太平洋にまで出たのが14時頃だった。
外洋に出たからか、波が高くなる。おがさわら丸の甲板は、ビルの六階から八階ぐらいに相当する高さがあると思われるが、そんな高さにまで波しぶきが届く。霧状になった波しぶきが午後の太陽光線を受けると、小さな虹が生じる。
本州の陸影が見えなくなっても、富士山だけはしばらくの間、その姿を誇示し続けた。
三浦半島を過ぎると、西側には伊豆半島と伊豆諸島が見えてくる。伊豆七島を順番に眺めながら、太平洋の風に吹かれて酒をやる。昨日の奥多摩から引き続き携えてきた、ウイスキーの小瓶が空になる。船内の自販機や、売店「ドルフィン」にて適宜酒とツマミを補充する。この売店にはスポーツ新聞や土産物も売っている。
船内には記念スタンプが置かれている。当然押す。
ガテン系と飲み交わす一日目夜
夕方になり、波が荒くなってきた。良く揺れる。風が強くなり、雨もパラつく。最初は最上層の甲板が立入禁止となり、やがて全ての甲板が閉鎖された。七階ラウンジの窓際カウンター席に座り、売店で適当に買い足した酒を呑みつつ夕日を眺める。ラウンジの丸窓にも、塩が付着している。
七階ラウンジをウロウロしていると、ソファー席に座っている三人組のオッサンに呼び止められた。大分酔いが回っているようだ。腕に刺青の入った太った坊主の男がリーダー格。三人組の中では最も冷静で、常に薄笑いを浮かべているのがインテリタイプのナンバー2。そして最年少かつ最も深く酩酊しているのが、イキりタイプの絡み酒のイケメンだ。喰いきれなくなったツマミを喰えと言うので、枝豆とおでんを有難く頂戴しながら彼らの話を聞いた。
三人は、インフラ整備の仕事をしているのだという。大手携帯会社の、通信設備を建てる仕事を請け負っており、伊豆諸島や小笠原にもしばしば赴くという。大将格の坊主の男は、一人親方から自ら立ち上げた会社の社長となり、現在の拠点は中部地方に構えているとのことだ。最年少のイキッたイケメンは、元々は坊主男の下で働いていたが、独立して今はやはり自ら立ち上げた会社の社長なのだという。このイケメンは酒にも自分にも酔っていて、一人で勝手に興奮して、絆、絆とやたらに連発する。
今回の小笠原行きもやはり仕事の出張で、島で使うトラックは別の船で配送済みとのことだ。「小笠原には何度も行っている、八丈島までは飛行機があるから直ぐに行けるが、小笠原は遠くて大変だ」とのことだった。八丈島へは、やはり調布飛行場から行くのかと聞いたら、そうだとのことだった。
離島のインフラ整備の仕事とは、純粋に興味深い。もっと深堀りして、詳しく聞いてみたかったのだが、相手は強かに酔っぱらっており、また自分のヒアリングスキルもそこまで高いわけではないので、余り詳しい話は引き出せない。残念だ。
観光客以外にも、島民やビジネス上の出張者を乗せていることが、「おがさわら丸」の貴重な所だと考える。ビジネス客もホワイトカラーからブルーカラーまで幅広い。金持ちの客しか乗っていないクルーズ船では、おそらく得られない機会だ。航空機では、このように、見知らぬ不特定多数の人間と、一つの卓を囲んで長く会話をする時間はないだろう。
最年少の若社長はテンションが上がるとテーブルに肘をつく癖があり、その度に肘でトレーをひっくり返して、テコの原理で自分自身の顔に当てるという動作を繰り返す。何回も何回も同じ事をしている。一連の動作が古典的なコントみたいで面白い。娘さんが三人居るという。
そんなことをしているうちに、夜になる。
「おがさわら丸」には「さんふらわあ」のような大浴場は付いていない。シャワー室はあるが、今回は使わなかった。また、毛布はレンタル制となっていて、希望者は4階ロビーに常駐している係員に三百円を払って借りる。自分も借りた。だが、この旅行が楽しすぎて気分が高揚しているのと、船の揺れとで中々眠れない。船全体が揺れるのもあるが、私が寝ている二等寝台のエリアは、エンジンが近いためにその振動音が伝わってくるのだ。おそらくは船の構造上、排煙塔に隣接しているのだろう。加えて、隣の人間のイビキが中々に大きい。
4階のレストランは、営業時間終了後にラウンジとして開放される。若者集団がテーブル席に集って、何かのカードゲームをしている。窓際のカウンター席で、一人読書をしている人も居る。自分もカウンター席に座り、小さい丸窓から夜の海を覗き込む。
船内の壁に展示されている、小笠原村の歴史パネルや、この船の情報を何となく見る。
一時間ごとの位置計測は続けている。SNSが繋がらない洋上においても、速度計アプリとグーグルマップの位置情報システムは機能し続けている。だが、自室である二等寝台エリアは、船内のかなり奥まった所にあり、電波が繋がらない。
毎正時になるたびに、慌ててスリッパをつっかけてロビーまで歩いて行き、窓際にスマホを近づけ、電波を拾う。ロビーの椅子では、深夜になっても若者達が話し込んでいる。やはり、非日常感に気分が高揚して眠れないのであろう。
何度もやっているうちに、ちょっとしたコツに気がつく。船窓にコツンとスマホの角を接触させると、電波を捕まえやすい。
測定によると、八丈島を通過したのは18時から19時の間であり、伊豆諸島最南端の有人島、青ヶ島を通過したのは、20時と21時の間であった。以降は小笠原諸島まで、全くの無人地帯を航行する。地図上で、その印象的な名前だけは覚えている「ベヨネース列岩」に最も接近するのは22時頃だが、無論肉眼では見えない。通常の日本人が、肉眼で見る機会が無い日本領土の一つだろう。翌日の午前1時から2時の間に通過する、鳥島も同様だ。
午前4時台は寝ていたため、欠測となる。
また午前5時台は、海洋上のため、どうしても電波がどうしても拾えなかった。
午前6時になると、グーグルマップ上に小笠原諸島の姿が表示されるようになる。
クエスト9.「東京最北のバス停から最南のバス停まで」の座標情報(おがさわら丸往路を一時間ごとに測定)
二日目朝・父島二見港入港
日の出の時刻となる。左舷甲板には、人が集まっている。残念ながら、日の出の時刻は水平線まで雲が覆っており、太陽の姿を確認することは出来ない。太平洋の壮大さを感じることは、出来た。
4階のレストランが、朝食の提供を始める。ラストオーダーは、8時半だ。9時になると、船内の全ての売店は、営業終了となる。
左舷甲板に、再び人だかりが出来る。皆、真剣な面持ちで、高級そうなカメラを海面に向けている。近くの人に「鯨でも居るのですか?」と尋ねると、鯨ではなく海鳥だとのことだ。自分もスマホのカメラを起動し、その姿を探してみたが、見つけることは出来なかった。
そうこうしているうちに、左舷にはやがて、小笠原諸島の島影が見えてくる。
おがさわら丸往路の2日目午前には、小笠原諸島の自然や文化について船員がレクチャーしてくれる。自分も、その周囲をウロウロして、話を聞いたり聞かなかったりする。
嫁島、媒島、聟島から成る、聟島列島。媒島はこの文字で「なこうどじま」と読む。嫁島と聟島の間にあることから、名付けられたという。
昨日出港時の東京湾と異なり、風は穏やかで暖かい。
聟島列島に次いで見えてくるのが、兄島だ。兄島の向こうには、小笠原諸島の中心地である、父島がある。この船の目的地だ。
洋上に鯨の尾が見える。何度か潮を吹き上げる。そのたびにギャラリーから歓声が上がる。歓迎の挨拶のようだ。ホエールウォッチングは、小笠原観光の目玉の一つなのだが、早くもそれが達成出来たことになる。幸先が良い。
甲板の柵には、乾いた塩がこびりついている。波と太陽光線は、共に虹を作り、塩を残す。
11時00分、父島二見港に入港。予定時刻通りだ。
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