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ランダムウォークの到達点

 南極の記事がnote編集部のまとめに掲載され、トロフィーをもらえ、実はかなり嬉しい気分に浸ってます。読者の皆さんのおかげですので本当に感謝しています。サウジアラビアの記事以来です。

 この記事はこの2年間、いろんな場面での偶然に身を任せていた趣旨を描いた旅のプロローグとエピローグですが、おそらく記憶が曖昧になっているであろう30年後の自分に向けて書きます。

「赤坂でトーゴ料理食べませんか?」

 唐突だった。友人からグループSNSで連絡が来た。2018年の4月の話だ。
 一般的に、トーゴ料理と聞いてイメージできるものはないだろう。料理にとどまらず、トーゴの首都やアフリカにおける位置を分かっている人もかなり少数派であろう。大多数の人はトーゴと聞いてもオセアニアの島国かアフリカの国かその程度の認識だろう。そしてグループSNSのメンバーにとってもそれは同じであった。
 しかし僕にとってのトーゴは2009年に訪れた非常に印象に残っていた国だった。西アフリカの沿岸部に位置する南北に細長い国。西に隣接するガーナから東に隣接するベナンまで通過するだけならば2時間もかからずに通過できてしまう国。南部の沿岸部に位置するロメにはブードゥー教の最大の市場があり、北部にはバタマリバ人のクタマクという非常にユニークな世界遺産がある国。ある土曜の朝にバス停の近くではキリのような鋭利な刃物を持った5~6人の集団が腰を曲げてダンスをしていた国。解体された血だらけの牛が車のボンネットからごろっと落ちてきた国。朝食にフランスパンを食べミロを飲み欲し、コップから目を離すとその一分後にはコップの中に100匹のハエが入っていた国・・・。トーゴで過ごした日々の記憶の一片がどさっとフラッシュバックしてきた。全身で感じた思い出は、単なる事象だけではない。10年という長い時の隔たりを経てもなお、実際に感じたあの時のトーゴの空気感を携えて僕の目の前に運んできた。
 僕は、ほぼ無意識に「行きます!」という返信をしていた。

「人生一度きり。やるなら今でしょ」

 桜が満開の時期を終えた雨の日。僕たちはトーゴ料理屋に結集した。幹事の友人はアフリカ好きの友人たちに声をかけていたらしく、4~5人が集まった。僕も久しぶりに頭を切り替えてアフリカトークに花を咲かせた。言語、宗教、人種、歴史、地政学から、各自がアフリカに渡航した際のハプニングや面白エピソードの話で終始盛り上がった。
 僕の心にしばらく残り続けたのは、僕よりも3つ下の男の子が2013年に学生時代にサハラマラソンに出場したエピソードだった。準備含めたら100万円弱はかかるが、日本から毎年30人余りが、世界から毎年800人余りが参加する稀有なレース。世界一過酷なウルトラマラソン。荷物を背負って毎日フルマラソン程度の距離を走るレースで、さらに中盤ではフルマラソンの倍程度の距離を走るコースが待ち構えている。全部で7日間約230キロ。現役の体育会ラグビー部の挑戦。過酷な練習。じつは制限時間は存分にあるため、主催者や参加者からは「いちばん勇気がいるのは参加ボタンを押する事」だと言われているレース。
 そして彼がサハラマラソン参加と引き換えに得られた「人生一度きり。何事もやるならば今でしょ」という確固たる哲学。

「サハラマラソンに出る人生と出ない人生、どっちがいい?」と友人。
「どちらかといえば、出る人生かな」と答える。
「来年のエントリー始まったんだよ。とりあえず、ポチろう」
「いま?」
「いま」
「さすがに早いよ。第一に、まだ生きているうちにチャンスはある。第二に、事業の収支担当をやってるから決算翌月の4月はサラリーマンとしてゼッタイ休めないんだ。」
「そんなことを言っていたら人生終わっちゃうよ。とりあえず、募集期間はあと半年あるからゆっくり考えてね」
「ありがとう。考えておく」
「本当に?」
「本当に。いまは酔っているけど、さすがにしばらく忘れない」
「とりあえず、フェイスブックグループに追加したからよろしく」
「まだ参加決定していないのに、丁寧にありがとう」
「9月までに、またリマインドする」
「丁寧にありがとう。いろいろ早いんだね」
「出て欲しいからね。決めるのは一瞬じゃん。あまり考えずとりあえず、って決めればいい」
「ごめん、やっぱ今は決められない。でもとりあえず決めるという考え方は一理ある。意味付けなんて後からでもできる」
「その通り」

 トーゴ料理屋ではトーゴ人の店主があらゆる料理について説明をしてくれたし、食べた料理はどれも美味しかった。名前が複雑だったせいか初耳の料理の名前は思い出すことができなかった。翌日からしばらくの間、僕の頭の中はサハラマラソンの事で占められていて、実際に申込期限の9月末までそのことを忘れることはしばらくなかった。

「一緒にアフリカ行きません?」

 2018年7月20日。僕は丸の内で仕事を終えた足で渋谷へ向かい、ハチ公前に立っていた。「いいね!」をくださいと叫んでいた。

 経緯はこうだ。6月に日比谷公園で開催されたアフリカイベント「Ima no Africa」のフォトコンテストで、友人の写真が最終選考の5人に残った。優勝賞品はアフリカ行きペア航空券。優勝条件は最終選考の5つの写真の中から最も多くの「いいね!」を貰う事だった。
 友人はフォトコンテストのファイナリストとなり二週間、ありとあらゆる彼の友人たちに向けて、件の写真に「いいね!」をリクエストした。そしてついに弾切れとなり、二位の状態で期限の前日を迎え、彼は僕に相談に乗ってきてくれたので僕は助け舟を出した。そこまでの彼の頑張りがある前提で、結果としてラストスパートは功を奏した。僕らは渋谷駅の前でアピールをし、知らない人から「いいね!」を沢山もらい、翌朝も友人達に依頼をし、朝十時の締め切りまでになんとか票数を増やし、大差で勝った。

 祭りの中に突如として現れる、本来、人々が持つパワーを軽く超えた熱狂。トランス状態。痺れる感覚。ラストスパートではそんな感覚を味わってそれだけで僕は満足をした。しかしそのトランス状態はおさまらなかった。彼からは翌日にアフリカ行きの打診があった。

 パズルのピースは現実には分かりやすい凹凸などないため、ひとつだけあってもそれがピースとは思わない。しかしいくつかのピースが目の前にあって、それがどこかで繋がるのではないかという仮説に確信を持った瞬間にそのピースはようやくピースとなるのだ。

 8年続けた会社には何の不満もなかった。待遇も人事制度も一切の不満はなかった。しかし人生が一回限り、かつ今が一番若いという点において、ふつふつと湧いてきた「いま」やりたい事と比べるには仕事は判断の俎上にすらあがらなかった。(一応付記しておくと去年までで多くのカオスな状態を抜けて事業基盤を構築し終わり、出るタイミングとしては適切だった)
 9月にはサハラマラソンの支払いを終え、10月には後任の収支・経営管理担当の優秀な後輩を部署に迎え入れ、翌年の事業計画を事業のメンバーが困らない程度には予算を確保して書き、引き継ぎ資料を作り退社準備に入った。これは体験した人しか分からないと思うが、それらは思ったよりあっけなかった。

「いま、やる」密度の高い集団

 サハラマラソンでの収穫は、「絶望の体得」「いま、やる」決断をできる人たちの出会いに他ならない。
 越えても越えても現れる砂丘。ボロボロの足と心。それは心理的安心感を持ちながらこの世で味わう事ができる究極の絶望とさえ思った。
 同様の目的を持った集団は強い。自走する社員だけがいるような組織やワンピースを思い浮かべたら容易に想像がつくだろう。それ以上に、同様の哲学を持った個人の集団が集まったチームは、果てしなく強い。ある意味においてダイバーシティに欠けるが、旧知の友人よりもあらゆるものをすっ飛ばして隣にいるという感覚がある。究極の絶望を味わいたくて来ている800人で、砂漠に挑むのだ。狂気すら感じるだろう。

 高額な参加費。4月上旬という自営業でも会社員でも公務員でも誰にとっても休みにくい時期での二週間弱の休暇。そのための体づくりや機材の準備。周囲の理解の獲得という工数(あるいは理解されなかったかもしれない)。

 それらを潜り抜けた集団。体がボロボロになりマメでまともに歩けないくせに灼熱の太陽の下を走る集団。風呂も入らないから臭いもなかなか可愛くないくらい発生してきて、でもみんな何故か楽しんでいる集団。ある意味では宗教じみているのだけど、800人の同質な集団に囲まれた僕たちは最高にハッピーだろうと考えることは当然の帰結だろう(むしろそれ以外考えることは、多分できない)。

 サハラマラソンは無事完走し、それから数日の充電期間を経て友人とエチオピアに向かった。

セレンディピティーが巻き起こる

 2019年5月末。南アフリカのダーバンでミニバスに乗り本を読みながら涙を流していた。

 今回はエチオピアから入ったアフリカ大陸、早くも南端まで来てしまった。10年間情熱を注ぎ続けたアフリカは32カ国訪問した。昔、西アフリカでフィールドワークをしていた頃にはいち地域のいち領域のいましか知らなかったが、今は人と会い、書物を読み漁り、脈々と続く時系列における人種や地政学や政治や経済などのあらゆるジャンルの、過去も現在もそしてこれから来る未来も語れるようになり、ようやく壮大なアフリカというふわふわした概念をマクロな視点で解像度高く理解できた、という境地に達した。得たかったものは物理的満足度ではなかった。訪問国数などではない。むしろそんなもの単なる記号で何にもならない。そうではなく、精神的な満足度だった。こればかりは最初から狙って得られるものではなく、セレンディピティーのように偶発的に僕のもとにやってくるものだった。そして複雑なシステムであるからこそ、境地の獲得には大いなるコストがかかった。でもその果実の大きさと尊さは僕にとっては計り知れなかった。

ついえない好奇心の到達点

 この時点で、僕には旅をしていること自体にそこまでこだわりがないことに気づく。僕にとっての旅はあくまでも手段であって、目的ではない。なんなら早く終わらせて仕事に戻りたいとさえ思った(社畜精神)。旅をしているように見えて実際はその地にまつわる本を読んで満足度を得ていた。まるでランニングしてる人が、単に手足を動かしていて実際はランニングではなく音楽に没入し満足度を得ているように。
 新たに興味出てきたのはバルカン半島、中東、中央アジア、旧ソ連、など、恥ずかしながらぜんぜん知らない知識を埋め自分のモノにし自分の言葉で語れるようにする事だった。

 旅にこだわりがないといいつつ、時間がある前提で、場所記憶や感覚の記憶は長期記憶に適しているので(そして時間もあり沢山の本をのめり込んで読むことができるから)、相変わらず旅を選択することとなる。いや、僕みたいな種類の人間は、旅をしなければいけなかったのだとさえ思う。

 そうしてバルカン半島、中東、中央アジア、旧ソ連などの国を回り、それらを対比することで自分の中のあらゆる事に折り合いをつけていた。そんなこんなで半年が経過した。フラフラしてたらついに南極に入り、好奇心は潰えないが流石に満足をしたと言わざるを得ない素晴らしい光景と本質を目の当たりにした。そうして、安全上の問題もなく、僕の好奇心は満たされて、旅を無事終わらせる事ができた。

さいごに

 あのとき、
・友人とトーゴ料理食べなかったら?
・サハラマラソン出場者に出会わなかったら?
・写真コンテストの友人を応援しなかったら?
・優秀な後輩が入ってこなかったら?
・サハラメンバーと会わなかったら?
・セレンディピティーが起きなかったら?
・南極に行かない決断をしていたら?

 僕はいまどうなっていたのかわからない。そう考えると本当に世の中は運と縁である。ランダムウォークの中に生きてるのだ、と感心さえする。

 世の中にたら?れば?はない。逆の意思決定をしていたら?などと思いを馳せることは思考実験としては良いが、後悔することは精神的にも良くないし時間は不可逆のため後悔自体は単なる時間の無駄遣いに他ならない。
 僕もこれからどうするか分からないですが、この世界の片隅で生きていこうと思います。今回の旅は本当にこれで終わりです。

 それにしても旅の最中にnoteに出会えてよかった。思考を体系化構造化して言語化することができる。しかも綺麗に振り返る事ができる。この文章も旅を終えて一息つこうと思ったが、一息つく前にnoteというプロダクトに愛が芽生えたので一気に書きました。

♡あるいはコメントが次のnoteを書く活力になります。ぜひ感想など教えてください。

それでは。

サポート頂けたら、単純に嬉しいです!!!旅先でのビールと食事に変えさせて頂きます。