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美しき廃墟の温泉リゾート

 ジョージアの廃墟の温泉リゾートの街・ツカルトゥボに着いて、僕と友人が頻発していたキーワードは「犬とおじさん」だった。

 「犬」について。ツカルトゥボの街には犬が非常に多いのだが、彼らはすべからく大型犬である。そんな犬の話のうち、まずは野良犬の話。痩せて毛並みもあまりよろしくない彼らは極度の人間慣れをしている。街を歩いていると、一匹の野良犬が駆け寄り、歩く先々をぴったり真横に着いてきたことがあった。その後、別のさらに大きい野良犬の横を通り過ぎた時の出来事。最初の野良犬は、現れた大きい野良犬を見て、僕の後ろに回り込み隠れる。僕が動くと彼も動く。大きい野良犬は僕の後ろの野良犬に向けて吠えて回り込む。二匹の野良犬が僕の足元をぐるぐる回りながら吠えあい、僕も下手に動けなくなる。その場を去ろうと試みたがその喧嘩は10分ほど続いた。そして大きい野良犬に軍配があがった。ほっとしたのも束の間、今度は大きい野良犬が僕たちに着いてきた。まじかよ。

 次に飼い犬に関して。柵に囲まれた家にはたいてい番犬がおり、家の前を通過しようとすると、柵や門の中からこちらを睨み、追っかけ、永遠に吠え続ける。柵や門に体当たりはしないし、それらを飛び越えてこちらに噛みついてくるようなことはない。単に訓練をされた忠実な番犬である。でも犬に吠えられるのは怖い。

 「おじさん」について。この街でのおじさんの二大娯楽はバックギャモンとトランプであった。僕らは平日の水曜日から金曜日にかけてこの街を散策していたのだが、地元のおじさんが娯楽に興じている姿を本当によく見た。公園のベンチでトランプをするおじさん、街角で立ちながらバックギャモンをするおじさんとバックギャモンを見物するおじさんが溢れていた。娯楽に興じるならばまだ分かるが、娯楽見物おじさんが、次の順番を待ってウキウキしながら他人のゲームを眺めているのはどういうことか理解しかねる、と友人にしたところ「あれはゲーム実況動画を見る心理と同じ」という一言で腹落ちをした。他には、丘の上の家が点在するエリアを散策していると、庭の柵に肘をかけてたたずむおじさんに度々出会った。彼らの先には丘と空しかないが、飽きずに眺めている姿を含めた空・丘・おじさん、はきわめて絵になる風景だった。友人とは、そのおじさん方はさすがに退職をしたおじさんであって欲しい旨の話をし、また、仮に10年後・前に彼らが何をしている・していたのだろう?という議論をしたが、一瞬で議論は終わり、きっと今と同じことをしている・いたのだろうという結論に至った。いずれにせよ、贅沢な時間の使い方をする人が多い地であった。

 では本題。

 コーカサス地域・ジョージア国の中部にあるツカルトゥボ。ジョージア第二の都市クタイシから北へ直線距離にして約10kmのところに位置する小さな村である。

 古くは7-9世紀にはこの地の「不滅の水」の存在が確認され、1920年に化学的に有用なラドン源泉の地であることが証明された。1926年から温泉リゾートの設計開始、1931年には温泉リゾート地としてソビエト連邦グルジア政府に認定された。さらに時は流れ、1950-51年に公園内にスパを作り、その周りに住宅や療養地を作る都市設計プロジェクトが開始され、その構想に基づいて現在の街が作られた。

 1950年のソビエト連邦はスターリンの時代。公園のど真ん中に位置しており現在も稼働中のスパ「No.6」は1950年にヨシフ・スターリンのために建設され、実際に1951年にはスターリンもこの地を訪れた。

 ソビエト連邦時代には太陽と医療を求めてロシア人がこのリゾート地に南下し、最盛期には12.5万人がこの街を訪れたが時代は流れ、ソ連は崩壊し、ロシアからの観光客はこの地を訪れなくなった。

 現在は温泉を求めて宿泊する客は年間700名程度となり、多くのスパ施設は取り壊しもされずに廃墟となった。加えて廃墟のホテルには、1989年から開始されたジョージア北西部のアブハジア紛争による難民が住み着いた。

 スターリン時代の建築にアブハジア難民が今を生きる地として、友人から「旧ソ連の温泉リゾートの廃墟と、そこを「村」に変えた難民たちの話」の記事の紹介を受けて行きたくなった。壁マニアの別の友人とも合流しジョージアを回っているのだが、この地のことを伝えたところ、即決で行くこととなり、ジョージアの旅の二大目的地の一つとして向かうこととした。限られた時間と訪問地の中で、マニアックな辺境の訪問を二つ返事で即決してくれる友人には大変感謝している。リンク先の友人記事も見てください。
※ちなみにもう一つの目的地はチアトゥラというマンガン鉱山の街であり最高の街であったが、その話はまた今度。

 実際、壁の獲れ(撮れ)高は素晴らしかった。友人との行動でふとした瞬間に僕の気づかぬいい壁に出会えたし、この街に連泊をした稀有な観光客は我々を除いてなかなかいないだろうが、連泊をした価値はあった。連泊をしなければ出会えない壁や場所が沢山あったし、面白いほどに壁が獲れた。壁の獲れ高という人生で初めて使ったワードは今後も不意に使ってしまうくらい会話の中で何度も飛び交ったし、実際にツカルトゥボは感動しっぱなしの場所であった。

すみません。ようやく本題に入ります。写真、見てください。


「ホテル・ツカルトゥボ」の遠景。山に沿って建てられた10階建てのホテルは7階までが廃墟でスケルトン(骨格だけが残る状態)になっており、8-9階にアブハジア難民が住む。

「ホテル・ツカルトゥボ」の7-10階にあるスケルトン。コンクリートの床・壁・階段はむき出しになり、草が生い茂る。

 公園内にある廃墟のスパ「No.8」。一人用のスパが円を描くように並び、さらに一つの円が一枚の花びらであるかのように、複数の円が並ぶ。


街の北部に位置する「サナトリウム・イヴェリア」のホテルのロビー。床の穴はかつてガラスがあったらしい。この建物の目の前には真新しいサッカースタジアムができ、再開発していることが伺える。


公園内にある廃墟のスパ。名称不明。

街の西部に位置する廃墟ホテルのロビー。名称不明。

街の西部に位置する廃墟ホテルのエレベーター。

いい顔をした壁たち

 最後に。廃墟のホテルにはスターリン時代の空気感とアブハジア難民の生活感が漂い、街には再開発の香りが漂う。今は絶妙のバランスの中でどちらも共存しているがそれらがいずれ見られなくなるXデーが来るだろう。刻一刻と迫るその日を迎える前に、前者の空気感を味わっておけたため、大満足の旅となった。そして訪問を検討する方にはなるべく早くの訪問を推奨する。いい壁、あります。

サポート頂けたら、単純に嬉しいです!!!旅先でのビールと食事に変えさせて頂きます。