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ザグロス山脈でピクニック

 イランのザグロス山脈にはサルアガセイエッド(Sar Agah Sayed)という辺境の村があるらしい。そこは「世界の半分」エスファハーンから西に約300km、ザグロス山脈の谷にあり、山に沿って家が何層にも折り重なり連なっている集落に、春~秋の間だけ麓町から人が移り住んで放牧生活を営んでいるらしい。そんな情報を知り、景色見たさに訪れることとした。

 僕がその地に向かおうとしたのは金曜日。エスファハーンからバス、バス、乗合タクシーを乗り継ぎ、計4時間ほどかけて到着したのがサルアガセイエッドの拠点の町チェルガド。
 チェルガドから午後のバスで目的地へ向かおうと試みたが、あいにく金曜日はイスラム教の休日でバスがない。翌日の土曜日も同様。他の選択肢として乗合タクシーがあるが、これは人が集まらない限り出発しない。そもそも目的地はザグレブ山脈の一番奥の袋小路になっており、そこまで行く人が大していないため、結局僕が4人分のタクシー代を払わない限りは出発しない。これも気乗りしないし値段も高め。
 エスファハーンに戻るかどうかなど、少し悩んでいるとジープのドライバーが登場「ここからはオフロードなので、バスもタクシーも快適ではない。俺のジープで往復すればいいではないか」。二日無駄にしてエスファハーンに戻るか否か、少し逡巡した後にジープを一人でチャーターする提案に乗った。これが最高に快適で素晴らしい思い出となった。

麓町のアリさんの家

 「まずはご飯を食べていこう」とのことでアリさん宅でごはん。中は一般的なイランの住宅であり、リビングは20畳程度と広め。床にはペルシャ絨毯、壁際にはクッションが敷き詰められている。ここで、食べきれない量の昼ご飯をいただきのんびりする。

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アリさんの家のリビング。僕の感覚からするととても広い

その日はすでに午後2時を回り、日が傾いてはいないが、今から出かけても暗いだけということで、アリさんの家に宿泊する流れになっていた。特に拒む理由もないので承諾し、夕ご飯もごちそうになり(これもまた食べきれないほどの量だった)、10畳ほどの広い寝室のキングサイズのベッドで寝かせてもらった。

サルアガセイエッド

 ザグロス山脈を横目に二時間ほど車を走らせると村に到着。まず飛び込んできたのがこの光景。家が山に張り付いている。そして、川が流れる谷間に位置するこの村には緑が沢山ある。車の窓を開けるとどことなく家畜のフンの香りがする。このあと村を散策したが、終始その香りが村を漂っていた。

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大きな道はなく、下階の屋根が上階の軒先となっている省エネ設計

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よく見ると同じ階に見える家々の高さが微妙に異なり、じぐざぐ歩けば上から下の階まで移動できるようになっていることが分かる

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村の下の入り口から撮影。ファミコンゲームのような二次元感がある。ジグザグになってるのがお解りいただけるだろう

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村の中から撮影。土の屋根の下は木によって支えられている

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村の軒先で出会ったこどもたち

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村から対岸をのぞむ

ザグロス山脈でピクニック

 サルアガセイエッドの村から麓町に戻る際に、ドライバーは川沿いで休憩をしようと言って荷物を取り出し車外に出て、丘にシートを広げ始めた。

 カバンからはティーポット、グラス、角砂糖、ナイフ、キュウリ、トマト、塩、チーズ、ナン(薄焼きパン)を取り出す。キュウリとトマトはナイフでヘタを取り、まな板を用いずに指とナイフをうまく使い、キュウリは輪切り、トマトはいちょう切りにする。チーズも適当なサイズにナイフで切る。そして手でちぎったナンに、キュウリ、トマト、チーズを載せて塩を振りかけてタコスのようにして食べる。とてもシンプルだが、キュウリとトマトには水気が十分にあるため、そのままで食べては少し固いと感じるナンを柔らかくしてくれて、かつ塩気が適度にあって美味しい。日本に戻ってピクニックする際にはぜひ真似をしてみようと思ったため、ここに詳細を残しておいた。

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 食べ物もさることながら景色がとてもよく、川のせせらぎを聞きながら僕たちはゆったりとした昼下がりを迎えることができた

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 サルアガセイエッドでの絶景は筆舌に尽くしがたいものはあったが、それと同じか、あるいはそれ以上にピクニックでドライバーとその娘さんと一緒に味わった時間と空気感が素晴らしかった。

おわりに

 一泊三食+ジーププライベートチャーター+絶景ピクニック付で、値段は約三十ドルと全く高くない。むしろ非常に安いとさえ思う。
(※麓町までの行きかたや、アリさんの家のホームステイ&チャーターに参加したい方は個別に連絡いただければ紹介します)

 学生時代だったらコスト最優先で旅をしていた。正確に言えば、最安値の交通手段を選ぶこと以外は意思決定の俎上に載ってこなかった。多分値段を聞くこともしていなかったように思う。それくらいギリギリの予算で旅をしていた。そして最低コストで旅を続けるために、何もせずに時間を浪費して待って過ごした夜もあった。しかし今はお金もそこそこ持ち合わせていれば時間の有限性も大切さも身に染みてわかっているし、一方で直近でやらねばならぬ予定などはないため選択肢は単に増えている。今回の旅で、満足度を取りに行けた自分を振り返って少しは大人になれていたのかと思った。 

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