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トルクメニスタンを通過して

中央アジアの北朝鮮

 世界に「〇〇(大陸・地域)の北朝鮮」と呼ばれる国がいくつかある。いわゆる圧政の君主独裁国家だ。
 中央アジアの北朝鮮は、タイトルにあるトルクメニスタンである。では南米の北朝鮮はどこだろうか?ヨーロッパは?アフリカは?この記事の一番最後に具体的国名を列挙していくので、頭の体操ということで想像しながら読んで頂きたい。あえて書いたが、一党独裁国家ではなく、君主(大統領・国王など)独裁国家について想像してほしい。
 答え合わせをする国々は、東アジアにいる我々向けに分かりやすく北朝鮮が使われているわけではなく、世界どこへ行っても「〇〇の北朝鮮」と呼ばれている。それほどに北朝鮮はたいしたものである。世界中どのエリアでも独裁国家の代名詞になる負のブランド力の高さと言ったら頭一つ抜けている訳だから。

 話をタイトルのトルクメニスタンに戻す。自由旅行の認められていないトルクメニスタンでは、観光ビザ取得には招聘状が必要である。招聘状の発行にはホテルと車の手配及び日程の確定が必要であり、僕や他の長期旅行者にとっては、観光ビザ取得が金額的にも手続き的にも現実的ではない。したがって第三国へ抜けることを前提としたトランジットビザを取得する長期旅行者がほとんどである。

 そして実際にトルクメニスタンを本当にトランジットしてしまうのは大変もったいない。この国には地獄の門なる観光地(とんでもスポット)がある。1970年代、旧ソ連時代に天然ガスの掘削をしている最中に掘削装置の下の地盤が崩壊し地面にクレーターができた。そのクレーターから有毒ガスが出ている可能性を恐れた当時の科学者は、被害を抑えるためにそこに火を放つ。そしたら穴からメタンガスが吹き出し続けたことで火は消えずに燃え続ける事態となり、四十数年経った今でも火が燃え続けていて、ぽっかり空いた穴から火が出る異様な光景から、この地は地獄の門と名付けられている。

入国・クフナウルゲンチ

 トルクメニスタンの隣国、在ウズベキスタンにあるトルクメニスタン大使館に出向き、第三国のビザ(僕の場合はイラン)のコピーを渡し、入国・出国の国境と滞在先のホテルを指定し、10日程度待った後にビザを受け取る。有効日数は希望した入国日から5日。日本の1.3倍の国土面積の土地を抜けるには少し短いように思えるが、東西でも南北でも移動をしていれば2~3日で抜けるのは妥当という論理だろう。
 僕の場合はウズベキスタン国境からトルクメニスタンのクフナウルゲンチという世界遺産の街へ入国し、「地獄の門」のあるダルヴァサの側道を通り、イラン国境にも接する首都アシガバードへ向かってそのままイランへ抜けるという、観光とも疑われかねないコースを指定した。ホテルはもちろん観光を疑われないためにも、見どころが何もないアシガバードに指定。
大使館職員も入国審査官も「観光?」「ダルヴァサ?」という質問を不意に仕掛けてきたが、それらの言葉を出した瞬間にビザ発給及び入国は拒否される。何それ美味しいのか?というくらい不思議な表情をしていたら、意外にも面倒なことは何一つなく入国ができた。しかしながら、自由な観光を認めない徹底したスタンスを見せる彼らに、僕も徹底して「通過」してやろうと決め込んだ印象深い出来事であった。
 入国して最初に訪れたのはクフナウルゲンチという世界遺産のある村。12世紀当時はアムダリア川の沿岸に位置する、かつてのホラズム・シャー朝の首都で、シルクロードではウズベキスタンのブハラに次ぐ人口を抱えた都市だった。しかし、チンギス・ハンの西征でホラズム・シャー朝が侵攻された際に激しい抵抗をしこの街は破壊されてしまった。当時破壊されたミナレットをはじめとする建造物群が世界遺産登録されている。なお、先述のブハラも時を同じくしたチンギス・ハンの西征で街を破壊された。
 乗り合いタクシー乗り場はなんと世界遺産の建造物群の真横ということで、通過目的の僕の目に入ってしまう。(言いがかりをつけられても言い訳ができる!)と思い、何枚か撮影。

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11世紀に建てられた、高さ60mと中央アジアで一番高いミナレット

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修復されたモスク

ダルヴァサ・地獄の門

 乗り合いタクシーがクフナウルゲンチから300kmほど南下しダルヴァサの村のチャイハナ(喫茶店)に立ち寄る。夜も遅いのでこの辺りで休むことにした。たまたま「地獄の門」に近い村だ。村の人は僕を見ては、幹線道路からオフロードに入り8kmほど進んだ「地獄の門」へのジープのチャーターを20~40ドルで提案をしてくる(選択肢がほぼチャーターしかないためとにかく高い!)が、観光ではないからと辞退。チャイハナで一休みした真夜中、満月の灯りだけが地上に存在する砂漠の中を一人で歩いてみる。月は他の星の主張をかき消し、はっきりとした月影を作るほど明るく、地面にはラクダや小動物のフンや足跡、棘のある植物、蛇や小動物が潜む穴、自分の影がはっきり見える。月の位置と北斗七星をコンパス代わりにして北へと進む。途中からぼんやりと赤い光が見えてきたので向かう。そうして1時間超の道なき道を歩き、たまたま地獄の門にたどり着いた。夜も遅いので地獄の門を眺めながら犬と一緒に夜を越した。

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 朝になり地獄の門を去り、太陽の位置を頼りに砂漠をさまよいチャイハナに戻り、アシガバード行きの車に乗り込みダルヴァサを去った。

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アシガバード・出国

 砂漠の中の一本道をひたすら南下。ドライブ中に助手席でスマホを取り出すと、何度か運転手に制止された。明らかに対向車やスピードチェックの視線を気にしている(砂漠の中では問題なく写真を撮らせてもらった)。さらにガソリンスタンド(CNGが1L=7円で販売されているのだ。実際にペットボトルの水よりも安い!)を撮影する場合は駄目だと言われたため、僕も注意深くなっていた。

 200kmほどドライブを続けると、砂漠の中に突如現れたのがアシガバード。何千本という街灯が平坦でまっすぐな道に並び、街中の建造物はすべて緑と白で作られていた。空港の近くには整然と作られた、全部が同じ形をした一軒家。整然としすぎていて吐き気すら催した。街中も大統領のモニュメントがいたるところにあり、警察もいたるところに居た。独裁国家では何が起こるかわからない。政府系の建物は撮影禁止ということだがどれがどれだかわからないし、なんなら整然としすぎていた一般住宅をカメラに収めることも憚られるくらい異様な住宅の光景であった。そもそも「通過」目的で入国をしている僕には写真撮影自体が許されているかどうかわからない。
 かといって、事前にインターネットのドライブに画像を送ることもできない。この国はネットも検閲がかかり、FacebookもTwitterもInstagramも見られない。検閲がかかっている国(中国、イラン、ベトナムなど)においてはだいたいVPNを抜け道にネット接続をできるが、この国はVPN接続自体ができないようになっていう周到さである。
 トラブルを避けるためにも街中で写真は撮らず、タクシー移動の際にスッとスマホを出して撮影をし、出国時にも念には念を入れて写真は全消去(消去フォルダに移動)して徹底して準備をして出国手続きを迎えた。
 しかしながら写真チェックどころか荷物チェックさえされずに出国をした。過去に中国の公安やギニアの腐敗警察に手厚い「歓迎」を受け、猜疑心が最高レベルに達していたのだが、拍子抜けするくらいにあっさりしていた。

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削除済みフォルダにあった写真たち

 かなり注意深く行動していたが、無駄だったのだろうか。いや、念には念で行動をしていなかったら仮に見つかった時大変だったから間違っていなかっただろう。そしてnoteにまとめて公開することを考えたら、腹心はどうあれ最後まで通過目的で入ったことを主張しておこう。比喩としての地獄は見ることができ、直喩の地獄は回避できたし、仮に逆であれば相当に辛かったかっただろう。とにかくめでたい――。
 そんな事を回顧する頃には既にイランへの入国を済ませ、次なる目的地であるイスラム教はシーア派の一大聖地・マシュハドに向かっていた。イランでは助手席でスマホをいじっていても何も言われない。ネットもつながるし警察もいない。加えて観光目的で入国をしているから安心だ。取り急ぎトルクメニスタンの記憶をまとめ、安心し助手席でうとうとしていたら眠っていて、目覚めた頃には辺りは暗くなり、僕はマシュハドに到着していた。

 最後に、冒頭に述べた君主独裁国の答え合わせ。南米の北朝鮮はベネズエラ。ヨーロッパはベラルーシ。アフリカはエリトリア(東)と赤道ギニア(中央)。明日から使えるムダ知識が一つ増えたと思う。ではこれにて。

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