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ミャンマーから考える日本再生ー地方創生とは何かー

FBの思い出を見ると、丁度4年前、2015年4月に佐賀県庁に転職し入庁した時の投稿が目に入った。

日本を変える、志を胸に
夢と希望に満ちた投稿に、我ながら青臭く、恥ずかしく感じる。当時はお金なんてどうでもよかったし、時間が惜しかった。衰退へと向かう日本を案じ、なんとかしなければならないと本気で考えていた。

「日本を地方から変える!」


第2次安倍政権時に掲げられた地方創生。安倍総理大臣記者会見で発表された光景を見て、胸が高鳴るのを感じた。僕はその半年後に新卒からお世話になったリクルートを6年で退職した。あと半年勤務すれば年収1年分の退職金を手にすることができたが、金よりも時間だった。

「今しかない」

何より、日本を救うことが最優先だった。

当時、僕は長野県小布施町という人口1万人の町に居た。リクルートから出向という形で2年間、この町役場で働いていた。担当は、若者の交流および、移住促進だ。単純な考えだが、町役場(日本でも最先端の地方活成功した町)という現場を経験した民間出身の人間が県庁という大組織に移れば、市町と県をコネクターとして上手く結びつけ、地方創生を一気に進められるのではないだろかと考えていた。実際、長野県に居た際もそうした溝は常々感じていたからだ。

なぜ佐賀県庁だったのか
正直、どこでも良かったというのが本音だ。佐賀県には縁もゆかりもないのが証拠である。基準としては、既に高い成果、もしくは人気のある県に行っても意味がないと感じていた。例えば、福岡県なんて環境に恵まれすぎていて、誰が県知事をやっても一定の成果というか、やってもやらなくても現状維持で十分である。おそらく県民だって県知事の名前を知っている人はいないのではないだろうか。

①人気がない県(でもポテンシャルはある)
②市町村の数が少ない県(長野は70以上あり、収集つかない)
③尖っている。危機感がある

上記3つを条件にグーグルで「人気のない県」と検索すると佐賀県がトップに出てきた。更に珍しいことに、履歴書の提出方法が手書きの郵送ではなく、ワード記入のメールで申し込みが可能だったことは大きな決め手となった。何故なら締切前日だったために、長野県に住んでいた僕は郵送では絶対に間に合わなかったからだ。こうして僕は佐賀県庁で夢であった地方創生を果たす切符を手に入れたのである。

尖った県、佐賀県

佐賀県は端から見ても尖っていた。ご存知の方もいるかもしれないが、ネット上で佐賀県の知名度を一気にあげた取り組みが人気ゲームソフト『ロマンシング・サガ』とのコラボレーションであるロマンシング・佐賀である。ダジャレもいいとこだ。こんな冗談みたいなコラボを本気で取り組んでいたのが佐賀県だった。僕は痺れた。ここだったら民間出身の僕でも馴染めるのではないかという期待があった。実際入庁後は、ロマ佐賀グッズを片手に、佐賀・フロンティアと掛けて、単身アジアのフロンティアミャンマーまで佐賀の宣伝をしに行った程、この企画は大好きだった。


また、どこまで佐賀がぶっ飛んでいるのか他にも試しに面接では私服で、且つ、リュックサックと片手に週刊少年ジャンプを持って挑んだが、問題なく面接を通過することができた。公務員試験も無勉強の一発勝負だったが、何故か合格していた。明らかに何かがおかしい佐賀県、これは褒め言葉である。就職したい職業ランキング絶対的1位の公務員という職業にこんなにあっさりなれてしまうものなのだろうか、佐賀県の懐の大きさを感じ取った瞬間である。すごいぞ佐賀県。

志半ばの退職
しかし結果は。1年後の2016年の3月末には退職することになってしまった。僕は今、ミャンマーにいる。地方創生成らず、だ。理由は色々とある。ここでは敢えて述べないが、望まない退職ではあったのは事実である。悔しい気持ちでいっぱいだった。今でも当時お世話になった方々には年に数回、ミャンマーから佐賀県を訪れ会うことにしている。僕が髪を切る美容院も、佐賀市内にある美容室だ。美容師の方からは「この店で一番遠いところから来るお客さんです」と言ってくれた。なんだか、年に2000万円掛けて日本からの出張ベースで専属スタイリストをイタリアまで来させて髪を切らせていた中田英寿になった様な気分だ。ふふふ。

志半ばではあったが、地方への想いは消えたわけではない。ミャンマーに移住してからも最大都市ヤンゴン市と僕の地元である福岡市の姉妹都市提携の記念セレモニーでは、僕が作った企画書がコンペに勝ち、市長同席のイベントをオーガナイズすることができた。ミャンマーでは月1くらいの間隔でミャンマーの地方を巡り、改めて地方の魅力は世界共通であることを学んだ。

日本の地方創生は、アジアから。単身ミャンマーへ。
小布施町とそして佐賀県で移住担当として仕事をしていく中で、ひとつの疑問があった。「国内の配置転換のように移住を促進したところで、日本の総人口は全く変わらず、マクロ的には人口減少の根本的な解決にはならず、ただ税金を無駄遣いするだけである。」というシンプルな問いだ。

当然、僕の視線はアジアへと向かうと同時に一つの考えが確信へと変わった。

「アジアとの関わりなしに日本の地方創生はない」

しかし、そこにはひとつ大きな問題がある。僕はアジアで生活したことが一度もないのだ。海外生活だって、せいぜい1ヶ月英国に滞在した程度だ。そんな人間が「アジア!アジア!アジアの時代だ!」と声高に言ったところでなんの説得力も持たないのは目に見えていた。

「行くしかねぇ、アジア」

どうせ行くなら、普通の国に行っても面白くない。タイは日本人も多く、日本の生活に疲れて逃れたバックパッカーの最終地のような場所で、同類に見られるのだけは嫌だった。もっとハードで、日本人の少ないところがいい。ミャンマーは2012年に民主化を果たしたばかりで、つい最近まで鎖国しており、軍事政権だった国だ。ここなら日本人も少なく、おまけにとんでもなくハードな生活が待っているに違いない。アジアを体験するにはもっていこいだ。

ミャンマー創生から、日本の地方創生へ
そんなこんなで始めたミャンマー生活も今月で3年目を迎える。

「アジアの時代」

日本では連日、テレビや新聞で「外国人労働」の話題が挙がっていると聞く。3年前に僕が想像した世界観が今まさに近づき実現しそうな勢いだ。日本人観光客は4,000万人を突破した。これも3年前には考えられなかった数字である。僕にできることは、このミャンマーの経済発展に貢献し、ミャンマー創生を通して、日本にカオスを生み出すことだと思っている。変化は混沌から生まれると信じているからだ。ミャンマー、ひいてはアジアの発展が、日本の衰退を止める一つの手段と捉え、現在日本に住む外国人が100万人と言われる中で、10年後、20年後には1000万人くらいになるような世界を具体的につくっていきたいと思う。

もちろん、外国人への拒否反応があるのは知っている。しかし世界は在るべき方向に向かって進んでいくとするならば、どんな抵抗があろうとも、猛スピードで落下していくものは誰にも止めることはできない。だったら最前線で、そんな世界を共につくっていきたいと改めてそう思った4月の始まりである。

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中学・高校は通わず、旅三昧。地方活性に携わるべく、大学卒業後に大手人材系企業に6年勤務し(内、2年間長野県小布施町役場に出向)、その後佐賀県庁に転職。現在はミャンマーへ移住しアジアライフを満喫中。座右の銘は「自ら機会をつくりだし、その機会によって自らを変えよ。」

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