見出し画像

車屋紳太郎〜開花宣言〜

朝起きて、歯を磨き、ご飯を食べ、日が暮れるのを待ち、歯を磨き、寝る。

私の休日のスケジュール。

まるでニートのような、いや、ニートだってもう少し立派な生活を送っているであろう。

とにかくやることがない。びっくりするほどやることがない。

そんな私のモノクロの休日に、少しだけ色を添えてくれたのがDAZNだ。

現在、世界各国のサッカーリーグは無期限の中断を強いられている。

そんな中、DAZNは過去の試合をフルマッチで放送してくれている。

私が見たのは、08-09シーズンのエル・クラシコ。つまり、バルセロナvsレアル・マドリー。

余談だが、「レアル・マドリー」と表現するか「レアル・マドリード」と表現するかは、中高生の時期に「ワールドサッカーダイジェスト」を毎月買っていたか、「ワールドサッカーキング」を毎月買っていたかで変わってくる気がする。

まぁその話は今度ゆっくりするとしよう。ちなみにサッカーキングはバルセロナのことをその昔「バルセローナ」と表記していた。ネイティブ。

このクラシコ、当時就任1年目フサフサの(何がとは言わない)ペップ率いるバルサが6-2で完勝。

当時中1だった私は、この試合をニヤニヤしながら見ていたことを思い出した。

現在小学5年生の方は、このゲームが開催されたとき生まれてないと考えるとちょっと震えるが、いや、西野カナほど震えはしない。とはいえ、中島美嘉のPVくらいは震える。結構震えている。

…フットボールの話をしよう。

この約10年前のゲームにスタメンで出ていて、現在も同一のプレーをしているのは各チーム2名。

バルセロナにはこのシーズンから10番を付けたメッシと、マンUからレンタルバックしたジェラール・ピケ。

レアルには髪の毛がめちゃくちゃ大人しいマルセロと、当時SBだったセルヒオ・ラモス。

2006年にセビージャから加入した若き日のセルヒオ・ラモスの主戦場はSBであった。

圧倒的な身体能力と長い髪の毛を武器に、超攻撃的SBとして名を馳せていた。(今でも我先にPKスポットに入るのはその辺の名残りかもしれない。)

若かりし日のラモス。個性的な髪型である。そうでもないか。

余談中の余談だが、奈良ちゃんはラモスが好きらしく、よく彼のゴールパフォーマンスを真似している。おっと、この話は奈良にフォーカスを当てたnoteでするべきだった。


話を戻すと、個性的な髪型(そうでもない)のラモスはこのクラシコでも完璧なクロスを配給。

当時中1の私が「何でこの選手はスタメンなんだろうか…」と思っていた(その後完全にフィット)アビダルを一瞬で抜き切ると、そのクロスは細くて長髪なイケメンFW、ゴンサロ・イグアインの先制弾に結びつく。今となっては正反対風貌…おっと誰か来たようだ。

このSBセルヒオ・ラモスを見てて思うが、当時のSBはとにかくフィジカルに優れ、ボールテクニックはそれほどでも、力技でなんとかする選手が多い。(アビダルとかアビダルとかアビダルとか。)

事実、ラモスも1対1の状況でまたぎもせず、揺さぶるわけでもなく、強引に直線で仕掛けていくシーンが何度もあった。

彼のそのスタイルは、クレ(バルサファンの愛称)である私からしてみれば驚異以外の何物でもなかった。

当時中1の私の目には、その強引なスタイルの彼を左サイドバックのエリック・アビダルが抑えられるとは思えなかったし、左WGのティエリ・アンリがカバーに戻るとも思えなかった。その前シーズンのロナウジーニョなんて以ての外だ。


話は飛んで2016年。当時スピードとフィジカルを武器にサイドバックとして輝いたラモスはCBへコンバートされ「世界最高のCB」の評価を得ていた頃、遠く離れた日本の地で、まさに当時の彼のような選手がブレイクを果たした。

サイドこそ違えど、左サイドバックを務めていた車屋紳太郎は自身のスピードと身体能力を武器に、その名を瞬く間に轟かせた。


縦に速い。車屋のブレイク。

車屋がサイドバックとして開花したのは、2016年シーズンの夏頃だっただろうか。

サイドでボールを受けると、ひたすら縦に仕掛けるそのスタイルはフロンターレの新たなストロングポイントとなった。

サイドの車屋にボールが入るたび、スタジアムが沸く。彼はその期待に応えるかのように仕掛け、何度も決定機を作り出す。

元々筑波大出身だったこともあり、足元の技術は折り紙付き。

多少難しいボールでもピタッと止めてギュッと持ち出す。そのスピードで相手を千切る。

まさに、若かりし日のセルヒオ・ラモスのようなプレースタイルであった。

2016年、アウェイ湘南戦で決めたJ初ゴールも裏街道で相手を抜き去り、ゴールへと流し込んだ、彼らしい一撃だった。

逆サイドのエウシーニョがオフザボールで神出鬼没な動きを魅せれば、車屋はボールのあるところで違いを魅せる。オンザボールの仕掛け人。そんなイメージであった。

2017年には左SB車屋のクロス→右SBエウシーニョ。こぼれ球を狙ってるエドゥアルド・ネットという「今、絶対後ろがどうなっているか確認してはいけない。」的な形の攻撃がパターン化され、幾度となくこの形からチャンスを演出した。

そんな攻撃的な車屋だが、守備でも持ち前のスピードで相手の自由を制限していた。

攻撃的過ぎるが故、ネガティブトランジション(攻撃→守備への移り変わり)のポジショニングは若干怪しいシーンもあったものの、逆サイドのエウシーニョがもっとよく分からないところにいたのであまり悪目立ちはしなかった。

もっと言えば、ネットは自分のミスで大カウンターを食らっているのにもはや歩いていた。そして無茶苦茶なアフターでイエローを貰い、75分過ぎには不貞腐れた表情をしてベンチに下がっていた。

上述した通り、車屋はスピードに長けている選手なので多少のポジショニングのズレは自身でカバーできる。そこは彼のストロングポイントでもあった。

日本代表にも選出され、初優勝の立役者となった2017年は彼にとって素晴らしいものであったに違いない。

2つのポジション

2018年になると、左SBとして不動の地位を築きつつ、CBとしてプレーすることも増えてきた。

そもそも彼はCBのプレイヤーだったのだが、プロ入り後はヤッヒーのコンバートにより、ほとんどSBとしてプレー。

プロ4年目にして本職であるCBとして出場の機会を増やした。

冒頭で引き合いに出したセルヒオ・ラモスは「スペシャル・ワン」ことモウリーニョによってCBにコンバート。今日までレアルのキャプテンとして名を馳せている。

CB→SB、SB→CBというコンバートは別に珍しい訳ではないが、近年はSBの「専門性」が高まってきた為、あまりSB→CBというコンバートは見られなくなった。

余談だがバルサの、そして私の中の「永遠のcapitão」であるカルレス・プジョルも元々はSBの選手だった。

そんな中、元々CBのプレイヤーだったとは言え、近年では珍しく、CBでもプレータイムを伸ばしたSBの車屋。

そんな彼は過去のインタビューで「CBで勝負がしたい」と言っていた。私は意外だなぁと思いつつも、彼にそのような拘りがあったことになんか嬉しさを覚えた。

あのインタビューから数年経ったが、今はどう思っているのだろうか。

ちなみに谷口も同時期のインタビューに於いて「ボランチで勝負がしたい」と発言していた。

育った環境が似ていると思考も似るのであろうか。

ただこの「センターバック車屋」は、ビルドアップこそ谷口・車屋の熊本兄弟で盤石であったものの、やはり車屋の「スピード」という部分が攻撃面に於いて活かせないのは痛手であった。

加えて、当時の我が軍のCBは飛んできたボールにスピードを活かして対応するといった場面はほとんど無く、実際には相手FWとのエアバトルが仕事の大半であった。

このわずか1文の「エビデンス」の為に2018年シーズンの失点を復習するという、狂気じみたことを私は今さっきまでしていた。

やはり、ほとんどがクロスorロングボールのエアバトルに負けての失点であった。

例外は、落ちてきたジョーの縦パスが起点で中央を崩され、前田直輝に失点を許した名古屋戦くらい。ヤッヒー恐るべし。

ちなみに、神戸戦で三田がゴラッソを決めた後目の前のフラッグ目掛けて膝スラを決めたが、そこがGゾーン手前で「あっ…でももう取り返しつかねぇ…」みたいになってたのは笑ってしまった。
みんなもゴールパフォーマンスをする場所には気をつけよう。

話を戻すと、CBに入った車屋もまずまずのパフォーマンスを見せたが、誰の目から見てもSBで起用した方が活きるのは明白であった。

その後、謎に10試合ほどベンチ外だった奈良が復帰。車屋は再度、左SBに戻ることとなった。

2018年シーズンはベストイレブンに選出。代表招集はコンスタントにされていたものの、W杯出場とはならなかった。しかしCB、SBとして安定した活躍を魅せた。


プレースタイルの変化

そんな車屋は、2019年シーズンも左SBとして開幕スタメンに名を連ねた。

しかし、前年まで我が軍不動の右SBだったエウシーニョが退団。

そのエウソンの穴はあまりにも大きく、我が軍は代わる代わる右SBのスタメンを交代。

遂には左SBだった車屋を右SBで起用。

右SBがハマらないなかで、鬼木監督は一縷の望みに頼る形で車屋を右で起用した。

しかし、この起用の理由はそれだけでは無かった。

彼とポジションを争っていた登里が好調をキープ。

ハーフスペースと呼ばれる、ピッチを縦に五等分した時の2レーン目、4レーン目にスルスルと侵入してボールを受ける「ポジショナルプレー」を披露。鬼木監督はこれを高く評価した。

その為、ノボリは継続して左SBで起用。車屋は右に「回される」形となった。

この間、車屋の良さでもあった「縦への仕掛け」は鳴りを潜めた。

彼は左利きなので、右サイドでクロスを上げるためには一度切り返して、ボールを持つ足を変える必要がある。

つまり、ゴールに対して後ろ向きでクロスを上げる必要がある。

その結果、相手をちぎっても切り返すことで再度相手と「衝突」するリスクが上がってしまう。

その為彼は仕掛けるのでは無く、彼の前にポジションを取るスペシャルな選手「家長昭博」のサポートに徹しているように見えた。

個人的に、彼のその判断は非常に賢明であったと思う。止める・蹴るの技術に秀でる彼のサポートを受けた家長はプレーし易かっただろうし、サッカーに於いてそのような役回りは必要不可欠だ。

しかし、"あの"強引な仕掛けを持つ車屋を知っているサポーターからすれば物足りなさはあったであろう。

そして何より、本人自身が1番物足りなさを感じていたであろう。

"俺はもっとやれる…"

右サイドでサポートに徹する彼のプレーからは、そんな葛藤を感じた。


そんな彼を取り巻く環境は、彼自身の力によって変化する。

夏場を過ぎたあたりで奈良・ジェジエウの負傷によって"再び"CBとなると、その後左SBに"復帰"。

そこで、彼はかつての「スピード」を武器とする力強いドリブルとは違うものを我々に披露した。

ハーフスペースに侵入した車屋から何本も出てくるキーパス。

縦への素晴らしい、美しいパス。

まるで、バルセロナのSBジョルディ・アルバを見ているかのようであった。

アルバはSBでありながらチャンスメイクが得意な選手。あのメッシに「自分のことを1番理解してくれている」とまで言わせたプレーヤーだ。

時折サイドに開いてクロスを供給しながら、タイミングを見てハーフスペースに侵入し縦パスを送る。

そのボールの質がまた素晴らしかった。

恐らく、彼は決して仕掛けられなくなった訳ではない。

CBでプレーし、右SBでプレーし、更には代表を経験する中で見出した一つの答え。

「記録に残るプレー」

恐らくこれではなかろうか。2016年、ブレイクしたときの車屋のドリブルは素晴らしかった。見ていてワクワクした。

しかし年々増えている彼のシュートシーンを見ても分かるように、彼はもっと決定的な仕事、記録に残る仕事にトライしている。

サッカーとは「ゴール」を奪い合う競技である。本質を見失わずにそこに拘れる選手ほど成長するのは言うまでもない。

より、怖い選手になるために。より、素晴らしい選手になるために。

車屋は「サッカーの原点」と向き合った。そこから逃げ出さなかった。

2020年シーズンは現在無期限の中断を強いられている。

今季2試合はノボリがスタメン。車屋はベンチから戦況を見守った。

今季、密かに私は車屋に注目している。注目というより彼に期待している。

彼は昨年苦しみながらも「自分の形」を見つけた。

自分の形を身につけること。それは言わば木々が「蕾」を付けるようなもの。

この蕾が花開くその時が必ず訪れる。

突貫ドリブラーから「技」を身につけたチャンスメイカーへ。

より「怖い」選手へ。車屋紳太郎の開花宣言は、すぐそこだ。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?