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政治的でないランボーという怪作『ランボー/ラストブラッド』

結果から言えば劣化版『デスウィッシュ』か、『96時間』みたいな話だった。

政治的でない『ランボー』が作られてしまった時点で、凄まじいポリコレへ配慮が垣間見える。

ランボーは死んだ。ポリコレが殺したのだ。

結果、ピンボケな描写の数々には呆れてしまった。
冒頭、保安官にランボーが何者か認知されているのだが、再登場する訳でもなく杜撰なランボー上げ要因で終わる。第1作が保安官との因縁を考えると、ストーリーに関与するかのような思わせぶりな登場にも関わらずだ。
本筋も老境に差し掛かったとはいえランボーが迂闊過ぎたため事態が悪化してしまったりする。
敵役のマルティネス兄弟は、仲が悪い設定で描写の殆どが割かれているのだが、終盤を見るに重要な設定ではない。
人身売買には女性も関与していたが、ほとんど掘り下げられず、メキシコ警察もグルだが、ランボーの制裁をうける事もなく……
いかにも悪者そうな演出を繰り返すがかつてのランボーのように「悪事への制裁」というカタルシスがないのだ。

そもそもメキシカンカルテルが弱すぎる。
メキシコで銃撃戦はともかくいくらなんでもアメリカ国内での犯行なら逮捕は覚悟の上という事になる。その割にはランボー襲撃のパートでの彼らの武装はいささか軽火器中心で、こいつらがランボーをなめているのか、製作者がメキシカンカルテルを舐めてるのか、いずれにせよ期待外れ感は否めない。VシネマのカチコミにM4持たせた程度だもん。

いっそ、武装ヘリコプターや、メキシコ警察を投入していれば、もっと欲を言えば腐敗したメキシコ警察vsマトモな警察という構図があればまだ、ランボー3や4みたいでシリーズらしいといえばそうらしい展開にもなっただろう。

しかしランボーに政治を持ちこむな!と日本のネトウヨの如く悪逆なポリコレによって全てはピンボケで描かなければならない。

シルベスタ・スタローンも、映画の出来に満足出来なかったらしく、「撮影スケジュールがタイト過ぎた」「続編の可能性が無いわけではない」と、公開早々に不完全燃焼を表明しており個人的には反省点を生かした続編を作って頂きたい。

ラストバトルの舞台がランボーの家という後味の悪いものだったが、これは功を奏している。死んだ養女との思い出もなにもかも破壊してしまう訳だ。個人的にはこの徹底ぶりは、評価する。

というのも、牧場主ランボーのパートは出来がかなり良い、シリーズを通して知っているとランボーはアメリカに生まれながらアメリカに捨てられた孤児のような状態だったのだが、アメリカ人として人生を再生する事に成功していた。

その上でランボーは現実のベトコンと同じ戦い方をした事も言及しなければならない。老境に差し掛かりかつて米国最強の特殊部隊の兵士だったランボーの戦争は終わるどころか戦況が悪化していたのだ
ホームアローン残酷版とか言われているのだが、ランボーシリーズを観ていたらこんな感想は出てこないだろう。そこまで非政治的な感想が支配的なのは、Twitterジャパンが電通の支配下「政治的は娯楽の邪道」という上意下達の元に成り立っているからだ。

ランボーは政治的でなければならない。
是非は別として、政治的敵対勢力を暴力で駆逐し勝者として正義を示し、君臨はせずむしろ何も得ることは無く去るのだ。

日本アカデミー賞よ、映画秘宝よ、日本に必要なのはネトウヨvs新聞記者ではない。
ネトウヨvsランボーなのだ。

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