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偏見映画レビュー#1『Summer of 85』と『Call Me by Your Name』の比較考察

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※注意※

このnoteはあくまでいち観客である筆者の妄想と偏見です。「こんな見方もあるよね~」くらいで捉えていただけると嬉しいです。また、文中には両作品のネタバレを少なからず含みますので、まだ視聴されていない方でネタバレを見たくない方はここで回れ右をすることをオススメ致します。


先日、公開したばかりの『Summer of 85』を観に行きました。

(もちろん感染対策をして)

私はこちらの映画をかなり楽しみにしていて、公開日をGoogleカレンダーにまで入れておりました。(笑)

興味を持った元々の理由は、数年前にドはまりした『Call Me by Your Name(邦題:君の名前で僕を呼んで)と設定や雰囲気が似ている=面白いのでは?と思ったため。

しかし、鑑賞後思ったのは・・・

「観る前は似てると思っていたけど、全然似てなかったわ(良い意味で)」

でした。

そこでここからは、

・2つの作品が似ていると感じていた理由(仮説)

・実際に観てみてどうだったか(検証)

・なぜ全然似ていないと感じたのか(考察)

について書いていきたいと思います。もちろん、どちらが優れているかという意味での比較考察ではなく、どちらも大変素晴らしい作品であるという前提の下でそれぞれの魅力をお伝えするレビューを書けたら、という意図ですので、ご承知おきください!


仮説:2つの作品が似ていると感じていた理由

まず、そもそもなぜ私が『Call Me by Your Name』と似ていると感じ、『Summer of 85』を観るという行動に至ったのか、について書きます。

列挙するとこんな感じ。

①ひと夏の恋を描いている(しかも、一生忘れられない程の大恋愛)

②年上の青年と少年の恋を描いている

③どちらもハッピーエンドではない

④年代設定が近い(1980年代)

まとめると、「1980年代の夏という舞台設定の中で、年上の青年と少年が出会い、惹かれあって大恋愛をして、夏の終わりとともに切ない(苦しいとさえ言える)エンディングを迎える」というざっくりした骨組みが共通していることが分かります。

つまり、「大きな構造が似ている=話の流れも似ているだろう=面白いに違いない」という単純な思考回路で、私は『Summer of 85』を観に行ったんですね。(『Summer of 85』の原作や監督、俳優さんのファンの方々には申し訳ないです)

しかし、冒頭でも述べたように私の安直な予想は大きく裏切られることになります。


検証:『Summer of 85』を観てみてどうだったか

もし、作品をご覧ではない方であらすじを知りたい方は下記公式サイトのSTORYをお読みください!

まず触れたいのは、主人公の二人――アレックスとダヴィドの恋が映画の中ではもう過去のものになっており、アレックスがダヴィドの墓を損壊したという器物損壊の罪を問う自分自身の裁判のために書いた手記から、観客が二人の出会いからアレックスがダヴィドの墓の上で踊るに至るまでを追体験するという形が取られていることです。

物語は「現在=裁判を控えている状態」と「過去=手記の中」を行ったり来たりしながら進み、最後はアレックスの判決が確定し、ダヴィドを喪った悲しみに囚われていたアレックスが罰則である社会奉仕活動にきちんと従事し(学校にも通えていることが示唆される)など、恋と死を乗り越えてたくましく前へ進もうとしている姿が描かれて終わります。

ラストでは作品の重要なモチーフソングであるロッド・スチュアート『Sailing』をバックにアレックスがダヴィドのヨットでノルマンディーの海へ出ていくのですが、夕日に照らされて輝く海や、一回り成長したアレックスの横顔が大変美しく、胸が打たれて涙が止まりませんでした……。

もう1点触れておきたいのは、アレックスとダヴィドの別れのきっかけとなる女性、ケイトの存在。

彼女は夏休みを利用しイギリスから来た21歳で、アレックスとダヴィドの仲を知らずにダヴィドと関係を持ってしまいます。また、ダヴィド亡き後はアレックスが死体安置所に入りダヴィドに会うための手助けをするなど、アレックスの良き理解者となります。

ケイトの登場自体は物語の序盤なのですが、終盤までぱったりと出てこなかったため、途中まではケイトがそんなに重要な役割を果たすことになるとは思っていませんでした。(笑)

むしろ、登場時点ではアレックスと良い仲になってしまうのではないかとヒヤヒヤしました。それはそれで展開としてはありだったのかもしれませんが……。

以上、ここまで触れてきた2点

その1:主人公2人の恋愛がすでに過去のものであり、現在から当時を振り返るという作品の構造

その2:ケイトの存在とケイトが作中で果たす役割

が、私が『Summer of 85』を観て、その後「良い意味で全く異なる作品だったな」という感想を持つに至る上で重要になるポイントになります。


考察:なぜ『Call Me by Your Name』と『Summer of 85』は似ていないと感じたのか

さて、ここまでで筆者が2つの作品が似ていると考えた理由や、実際に作品を観てみてのポイントについて書いてきました。

ここからはいよいよ、両作品が似ていないなと感じた理由について考察していきたいと思います。

※『Call Me by Your Name』の内容についても触れておりますので、あらすじなどを読みたい方は下記公式サイトへどうぞ!

私が最終的に「全然違うやん」と感じたのは、具体的にはラストシーンを受けて抱くであろう感情が全く違っていたからでした。

前述の通り『Summer of 85』では、ダヴィドの死を乗り越えようとするアレックスがヨットで海に出ていく=物理的にも前に進んでいるシーンで幕を閉じます。鑑賞後は爽やかで、温かな気持ちになる方が多いのではないでしょうか。

一方で『Call Me by Your Name』のラストシーンでは本編から時が経ち冬になっており、主人公のエリオが狂おしいほど焦がれた男性、オリヴァーの結婚報告を電話で受け、暖炉の前で呆然としている姿が描かれます。このラストを映画館で観た時、私はエリオが感じたであろう絶望を想像し、またキラキラしていた夏のシーンとの落差でかなり苦しい気持ちだったことを覚えています。

どちらも愛する二人が結ばれないというエンディングであるにもかかわらず、これほどまでに受けた印象が異なるのはなぜなのでしょうか。

それは、エンディングの時点で残された側=アレックスとエリオが異なる悲嘆のプロセスにいるからではないかと考えられます。

悲嘆のプロセスとは、人が死別や失恋など、大切な人との離別のショックを受けてから立ち直るまでの心理的段階を指しています。

(参考:https://sendai-shinri.com/2231/、『心のケア15|悲嘆のプロセス12段階 アルフォンス・デーケン』、仙台心理カウンセリング)

『Summer of 85』のアレックスはダヴィドの死後、ダヴィドが死んだということを受け入れきれず、ケイトの力を借りてダヴィドの死体を確かめるために死体安置所へ行きます。アレックスはそこで猛烈な衝動に襲われ、ダヴィドの死体に飛びついてしまいます。また、ダヴィドの墓の上で踊るために初めて墓地へ行った際にも衝動に襲われ、ダヴィドの墓の土を手で掘ります。

作中でアレックスはこの「衝動」のことを振り返り、ケイトに「怒っていた」と告白します。この一連の流れは、悲嘆のプロセスで言う否認(喪失を受け入れられない状態)~怒りと不当感(なぜ自分がこんな目に合わなければいけないのか)を辿っていると言えるでしょう。

その後、アレックスはダヴィドとの約束を果たし墓の上で踊っている最中で警官に逮捕され、裁判を待つ身となります。社会福祉士から繰り返し墓の上で踊った理由について話すよう求められるも拒否をしていたアレックスは、恩師に「書く」ことを勧められ、ダヴィドとの出会いから墓の上でのダンスまでのことを綴り始めます。

この、辛い気持ちを文字にして外に出すことによってアレックスは悲嘆のプロセス⑩受容を経験することができ、ラストでは立ち直りの段階を迎えることができるまでに至るのです。観客もアレックスと一緒に悲嘆のプロセスを辿るため、穏やかな優しい気持ちでエンディングを迎えることができます。

一方、『Call Me by Your Name』はと言うと、受容に至る前の無気力段階でエンディングを迎えてしまいます。観客は、失恋した後のどうしようもない無力感や辛さをエリオと分かち合いながら終わるのです。

アレックスが悲嘆のプロセスを辿り、見事立ち直りの段階まで至ることが出来た大きな理由が、「検証」の所でも触れたケイトの存在です。

ケイトはアレックスとダヴィドの破局のきっかけではありますが、それ以上にアレックスにとってはダヴィドとの関係を話せるかけがえのない人物であり、アレックスが悲嘆のプロセスを上がる手助けをしてくれる女性です。ケイトがいなければ、アレックスはダヴィドの墓の上で踊ることはできなかったのではないか……と思います。

『Call Me by Your Name』でも主人公のエリオの周りには、エリオに恋心を寄せるマルシアという少女がいます。もしかすると、エンディングの後で彼女がケイト的役割を果たすのかもしれませんが、映画の中ではあくまでもエリオとオリヴァーの関係に対しては、二人の恋をより魅力的に見せるスパイスのような立ち位置に留まっています


まとめ

『Summer of 85』と『Call Me by Your Name』は舞台設定や物語の骨組みの部分では似ています。

しかし、主人公たちがそれぞれ失恋(『Summer of 85』では死別も)を乗り越えるまでに、悲嘆のプロセスをどこまで辿れたのかが異なっていることにより、鑑賞後に受ける印象が全く異なるものになっている結果、私は「似ているけれど、似ていない」という感想を抱くに至りました。

考察の部分でも詳しく述べていますが、2つの作品を観た後の気持ちは本当に違います!どちらも恋愛の素晴らしさと痛みを描いた名作ですのでぜひどちらも観ていただきたいのですが、個人的にはその時の気分(スッキリして終わりたいか、一緒に悲しみに浸りたいか)などで選ぶのがオススメです!



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