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美大予備校での3つの特訓、感性とアートの関係性

かん‐せい【感性】
1 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「感性が鋭い」「豊かな感性」2 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。

前回、時代性と人々の感性の使い方について考えてみた。
ここで「誰でも感性は持っている」と書いたけれど
感性はアートに従事する人だけが持つ
特別な感覚だと思っている人は多い。

ではなぜ感性とアートは密接な関係なのか?
感性ってどんなものか?
わたしがアートと本格的に向き合い始めた美大受験生の頃
自分の感性がどう変化していたのかを参考にしながら
もう少し深く考えてみようと思う。

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わたしは高2になる年、美大予備校に通いはじめた。
そこでは まいにちまーーーいにち
3時間〜8時間、デッサンなどの実技制作をして
作品を完成させ、それを講師が講評する。
泣いたり、喜んだり、本当に濃い毎日。
感情ブルンブルンな私を諦めず
叱咤激励してくれた講師には本当に感謝している。
この現役〜浪人の3年間の修行のような日々で
講師が教えてくれた3つの特訓がある。

1.深い観察と情報収集

高3になりわたしが選んだ彫刻科では
石膏像の他、モデルさんや動きまわる鶏やうさぎなど
生きているものをよく描いた。
そこで講師に毎日のように
『(いきものの)外側じゃない、内側がどうなっているのかを描け』
と言われた。
わたしは最初、これがさっぱりわからなかった。

モデルさんを見た時、私たちの視覚には
皮膚や目、髪の毛など外側の物質しか映らない。
当たり前だけど内臓や骨、筋肉など中の物質は見えないのに
目に見えないものをどうやって描くの???と思っていた。

でも日々の特訓の中で
うさぎのふわふわな背中を触ってどこまでが毛なのか探ったり
解剖図や人体の骨格標本などの文献をみて
実際のモデルさんの体の凹凸と照らし合わせたり
自分が描く位置からは見えないところから
形がどうやってつながっているのか回り込んで確認したり
視覚や触覚をフル稼働させて
とにかくモチーフをよ〜〜〜〜〜〜く観察した。
「なぜ?」「なぜ?」を繰り返し
情報をあらゆる角度からたくさん集めることを心がけた。

すると、徐々にモデルさんの体をみて
筋肉がどのように緊張して、骨がどのような角度で接続し
どちらの足にどのくらい重心がかかっているか など
「外側」から「内側」が見えるようになってきた。
そしてそれが全てつながりを持っていることにも気がついた。
現象から根拠を探り、本質を見つけることができると
説得力があるデッサンが描けるようになった。

2.メッセージ性

ある程度技術に自信がついてきた浪人時代。
「このデッサンで何が言いたいの?」
と問われるようになった。
毎日のように絵を描いて技術がつき、写実性がそれなりに上がっても
魅力がない作品だと酷評されたこともある。

自分が作品を鑑賞する時
たしかに写実性の高い作品はわかりやすく「すごい!」と感じる。
けれど、そういったいわゆる「うまい作品」だけじゃなく
「伝わる作品」「魅力ある作品」「自分の世界がある作品」
そういう作品は見る者に言葉にしがたい感動を与える。
年齢も国籍も時代も宗教も超えて
相手の感性を震わせて
言語をすっとばして心に語りかけることができる。
そして、それがずーっと心に残る。
17歳のとき、イサムノグチの彫刻作品と会った時の衝撃は今でも忘れない。

でも、どうやったらそんなメッセージ性のある作品を作ることができるのか?
すごく難しかったけれど
表現者としてモチーフを前にしたとき
まず自分の感じた印象を大事にするように心がけた。
例えばうさぎ。
「やわらかそう」「あたたかそう」「かわいい」「落ち着きがない」...。
内容はなんでもいい。
自分が描いているうさぎにむかって
「やわらかくなれ〜〜〜〜〜〜」
「やわらかくなれ〜〜〜〜〜〜」と
とにかく自分が一番強く感じたことを念じながら描いた

すると、なぜか見る人にそれが伝わった。
「このうさぎ、とってもやわらかさそう」
紙一枚から、見る人の五感に伝える作品ができた。
逆に自分も人の作品をみた時、作者の性格や精神状態がなんとなく感じ取れる
なんてこともあった。
イサムノグチとは比べものにならないけれど
そういう作品を介した小さな伝達ができた時
とても嬉しかったのを覚えている。
そしてわたしが美大に合格した勝因もこれだったように思う。
入試の課題は「手の模刻(粘土での立体制作)で愛を表現しなさい」。
「これが私の感じる愛です!!!」と念じまくったら
作品は時間不足で全然仕上がらなかったけれど、高得点で合格した。

自分が何を感じたか?
技術だけじゃなく、伝わるメッセージがある作品は強さがあり、印象に残る。
そして伝えようとすることに比例して
相手のメッセージを受け取ることもできるようになる。


3.客観視と批判的観察

最後に、制作中一番気をつけなければいけないこと。
集中して描いていると、絵がバランスを崩し始める時がある。
描くことが好きな人ほど、その傾向は強い。
描く行為に没頭してモチーフと印象が離れてしまったり
実際に見えないものを自分の解釈だけで完成させてしまったり。
さらに時間が経つほど自分の絵に思い入れが生まれ
どんどん客観視できなくなっていく。

その間違いに自分で気づくため
制作中は何度も絵から離れ、自分の作品を客観視する。
時には友達の絵と並べてみたり
画面を逆さまにしてみたり。

色味のバランスはとれているか?
形が合っているか?
構図はどうか?
このまま進んでいいのか客観的に確認しながら
とにかく批判的に自分を疑い、自分の作品を見つめ直す
その作業を何度もはさみながら手を加え、デッサンを完成させる。


こうして自分との対話を何度も繰り返しながら完成した作品は
自分の内面性がある形になって、外に出てきたもの。
まるでもう1人の自分のような
自分の赤ちゃんのようなものだな、と思っていた。


1.深い観察と情報収集によって、現象から根拠を探り本質を捉えること
2.自分の感じたことを大切に、それを一生懸命伝えようとすること
3.自分を疑い、客観視によって自分を批判的に見ること 

私が受験生時代に叩き込まれたこの3つの特訓の狙いは
表現者を目指すものとして、基礎的な技術の体得だった。
でも今考えると、もっともっと大事な基礎力
冒頭に描いた「物事を心に深く感じ取る働き」と
「外界からの刺激を受け止める感覚的能力」を養う
感性を活性化させる訓練だったのではないか。

作品が、他者に向けたメッセージとするならば
メッセージを伝え、受け取る感性は電波みたいなもの

電波がなければどんな素晴らしいメッセージでも、発信も受信もできない。

十代の頃の私はこの特訓によって、明らかに感性が豊かになったと思う。

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15年後の今、私はアーティストとして生きていない。
でもこの3つの特訓の成果は、今も私の人生を支えている。
アーティストにならなくても
人が生きていく上で様々なことに精通する本質的なスキルにつながるからだ。

例えばサービス業では、相手の求めているサービスを理解するために
観察と情報収集は欠かせない。
プレゼンが必要な仕事では、上手な資料を配布することはもちろん大事だけど
プレゼンターが「わたくしごと」として伝えるメッセージがあるのとないのでは伝わってくるものが全然違う。
そしてこの複雑でスピード感のある社会で、物事の本質を捉えること
自分を見失わずしっかり生きていくために自身を客観視することは
自分の座標と道筋を確認するのにすごく役に立つ。

さらに活性化した感性から生まれる仕事は
アーティストがつくる作品のように
他者の心に強く訴えかける魅力あるものになるのだと思う。


感性はアートのためだけじゃなく
どんな領域においても大切な感覚であり
絵がうまくなくても特別な才能がなくても
感性を活性化することは、だれでもできる。
だって感性を持ってない人なんていないから。

だから感性を稼働させやすいアートの世界は
社会にもっと開かれるべきであるし
美大とかアーティストとかだけじゃなく
たくさんの人が日常的にアート活動をして
ぜひ感性をもりもり活性化してほしい!

そのほうが、仕事、人、そして社会が
もっともっと面白くなる。

#アート #感性   #美大 #美大受験 #特訓


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