【小説】pretend play
【pretend play】
お題:『恋愛ごっこ、してみませんか?』
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眼下に広がる光の渦。それは街を縫うように走る車のライトであり、行き交う人々を照らす街灯であり、尚も仕事を続けるオフィスの明かりであった。そんな光景を見下ろしながら、私達は乾杯の挨拶を交わす。
「今日は誘ってくれてありがとう」
「いいえ、こちらこそ」
チン、と軽くグラスが触れ軽やかな音が鳴る。淡い澄んだ水底を思い浮かべるような鮮やかな色をしたカクテルへ、唇をそっと宛てがう。
「じゃあ、始めましょうか」
グラスの縁を指でなぞりながら、彼は微笑んだ。
「『恋愛ごっこ』を」
◇
付き合っていた恋人と別れ、さてどうしたものかと思案していた丁度その時、図ったようなタイミングで彼から連絡があった。
彼とは大学時代からの付き合いで、所謂腐れ縁というやつだ。同じサークルで、彼は後輩だった。恋人にはならなかったが、まあ。若気の至りというやつで何度か肉体関係を持った事もあった。けれどお互いにそれ以上の関係は望まず、私と彼は社会に出てそれぞれの道を歩む事になった。私はそれで良かったし、彼もきっと同じ気持ちだっただろう。
そうして暫く音沙汰が無かったのに、このタイミングでの再会。意識する必要は無いが、何も感じない程自分の感情に無関心では無かった。
「それで、どうしたの」
彼からの連絡は、メッセージではなく電話で、しかもその後会えないかと来たもんだ。彼の、相手への配慮が少し欠けている所は嫌いではなかった。私もそれに応じると分かっているからこその無遠慮なのかもしれないが。
『いや、最近連絡していなかったので。丁度恋人と別れましてね。簡単に言えば暇なんです』
「奇遇だね、私もだよ。恋愛は嫌いじゃないし、出来る事ならしておいた方が、人生に潤いと艶が出る」
『じゃあ、どうでしょう。恋愛ごっこ、してみませんか』
◇
「それでこのバーへ? 段階を踏んでいるのかいないのか、相変わらずよく分からない奴」
そう言いながら脇腹を小突いてみせると、彼はくつくつと笑いを噛み殺すように口元へ手を当てる。独特の仕草は大学時代から変わらない。
「これでもお膳立てはしているつもりですよ。付き合う前に雰囲気の良いバーで一杯飲んで、相手の気持ちを誘うのです」
「お膳立て、って言ってしまう辺りがなあ」
「それは相手によりますけど」
つまり、私に対しては言っても問題ないと思っているのだ、彼は。さっぱりとした本性を私以外に見せた事があるのか。強いて言うなら、それで恋人が出来るのかと些か不安になる。
「で、言い出しっぺの君の事だ。ごっこ遊びのシナリオは考えてきてくれているんだろうね?」
「ええ勿論」そう言いながら、彼は傍に置いた鞄から何やら取り出して、私の前へ差し出す。「これを」
差し出されたのは綺麗に梱包された小袋だった。見るからにプレゼントラッピングされたそれを手に取り、彼と交互にそれを見た。彼は手を差し伸べて「どうぞ」と一言。
「おいおい、これは想定外だよ」
「でしょうね。言いませんでしたから」
そういう所だぞ、と喉まで出掛かったが既の所で飲み込む。黙って開けてみると、指先に固いものが当たった。すぐに何かが入った箱であると理解し、中を開けてみる。
「これは、ネクタイピン?」
「はい。学生時代からネクタイをよく身に着けていましたよね。いつかプレゼントしたいと思っていたので」
そんな所に目が行っていたのか。彼の心遣いに感心しつつ、箱から取り出して手のひらへ乗せてみる。バーの明かりに照らされて金色に輝いているが、きっと本体はシルバーで出来ているのだろう。
「こんな。プレゼントまで貰ってしまって。ごっこ遊びの割には本気過ぎないか?」
「でしょうね」
同じ台詞を二度繰り返す。若干のわざとらしさを訝しみつつ彼の顔を見遣る。私を見つめるその眼差しがあまりにも真っ直ぐで、私はますます混乱していく。
「なあ、何度も聞くが、これはごっこ遊びなんだよな? 私達は——」
「ええ、そうですとも。けれど、ごっこ遊びから本物へ変わる事は、ままあると思いますよ」
私は唖然として、手に取ったネクタイピンを箱へ戻した。おいおい、どうしてそんな事を言うんだ。今更。大学時代だって、そして今に至るまでの間だって。何度でも同じようなやりとりをしてきたのに?
「その言葉の意味、分かって言っている?」
「はい」
彼は一瞬も躊躇わず、すぐに首肯して見せる。まるで戸惑っている自分の方がおかしいとでも言うように。確かに大学時代を思えば随分と丁寧にプロセスを踏んではいるが、一つの終着駅である恋人同士になる、はお互いに(当たり前なのだが)経験した事が無い。
私はもう一度、ひと呼吸置いてから彼へ問うた。
「私達が恋人になるって事は、つまり」
ごっこ遊びに留めるには重過ぎて、本気にするには覚悟が足りな過ぎる。混乱する。言葉に詰まる。箱へ触れる手が僅かに震える。付かず離れずの関係が心地良かったのに、どうして。寂しいから? それもあるだろう。それならいっそ身体の関係だけでいいのに。どうして。
「ええ。同性愛だって事は、理解しています」
頷き、まるで自分へ言い聞かせるように瞳を伏せる彼。
「貴方が好きでしたよ。大学時代から」
呼吸が止まる。心臓の鼓動が耳をつんざく。どうして、どうして。何度も心の中で繰り返す。忘れ掛けていた胸の苦しさが私を襲う。遊びだった筈なのに、どうして。
「どうして今更、好きなんて言ったのさ。ずっと好きだったのなら、どうして他の人と付き合ってみたり、私へ想いを告げずにいたりしたのさ」
すると、彼は緩くかぶりを振ってみせ、それから小さく笑った。
「さあ、何故でしょうね」
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