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"絵本・児童文学"でZOOM読書会

徳島から読書を盛り上げる「金曜の会」、7月の定例会が行われました。

テーマは『絵本・児童文学』
今回のZOOM読書会では、オンライン参加が9名、書面での参加が2名と、計11名が集まりました。今回の紹介本でも推薦かぶりが少なく、絵本・児童文学界の幅の広さを感じました(テーマを二つ括ったからというのもあるかもしれませんが……)!
また正式にプロジェクトとして認可されましたので、今年もブックリストの作成を目標に見据えることになりそうです!


↓↓↓紹介された本一覧↓↓↓​

★紹介された本と、紹介者による短いコメントを記載しています。
★またタイトルにはAmazonなどへのリンクを貼ってあります!
★今回から、推薦本紹介の合間にかわされた、チョットしたお話を「閑話」として挟んでいます!


・Ky氏(書面参加)

宮沢賢治『どんぐりと山猫』


たぶん宮沢賢治の童話の中でこれが一番好きです。最初の「、、、山ねこ 拝」という手紙からして楽しい異世界のハイな気分がずっと漂っています。しかし非日常の世界から離れれば、「黄金のどんぐり」も普通のドングリに色褪せてしまうのが日常の残念なところです。子供の頃は、自分ならどうやってどんぐりたちの争いを鎮めるべきか考えたのですが、今となっては何も思いつきません。

松谷みよ子(文)、瀬川康男(イラスト)『いないいないばあ』

子供達が小さい時に買った絵本。子供たちが赤ちゃんから幼児に代わる時期に集中して一緒に声を出しながら読みました。繰り返し開いたり閉じたりしていたのでバラバラになりかけていましたが、テープで補修してどこかにしまってあります。
 友人に子供が生まれた時もこの本をプレゼントしています。カナダの友人には,英語版ではなく日本語版を送りました。なお「いないいないばあ」は英語圏では「Peekaboo」ですが、ニュアンスが少し異なっていますので、日本の「いないいないばあ」について、ネットで調べた説明を添えてプレゼントしました。

スティーブンソン『宝島』

夏休みの児童文学としては、『宝島』と『十五少年漂流記』のいずれかを推したくなります。今回は『宝島』を推しましょう。まずジョン・シルバーという複雑で面白い人物を登場させた時点でスティーブンソンに負けはない。なおシルバーをしっかり描きたい人は多いようで映画やアニメでのシルバーは、主役(ホーキンス少年)より魅力的に描かれています。

・Nk氏(書面参加)

イトゥルベ・アントニオ・G『アウシュヴィッツの図書係』

アウシュヴィッツ強制収容所に、囚人たちによってひっそりと作られた“学校”。ここには8冊だけの秘密の“図書館”がある。その図書係に指名されたのは14歳の少女ディタ。収容所という地獄にあって、ディタは屈することなく、生きる意欲、読書する意欲を失わない。その懸命な姿を通じて、本が与えてくれる“生きる力”をもう一度信じたくなる。実話が下敷きにあり現役ジャーナリストが第三者の視点で描いた至極の作品。

アーサー・ランサム『ツバメ号とアマゾン号(上下)』

ウォーカー家の4人兄弟姉妹は、イングランド湖沼地方で小さな帆船ツバメ号をあやつり、子どもたちだけで過ごす。湖の探検、アマゾン海賊(地元のブランケット家のナンシーどペギーの姉妹)との対決…自然の中で遊ぶ楽しさいっぱいの冒険物語シリーズ第1・2巻。小学5・6年以上。

ヨーレン(詩)、ショーエンヘール絵『月夜のみみずく OWL MOON』

月夜の雪の森へ父さんと二人でわしみみずく探しに出かけた女の子。その胸の高鳴りと大自然との交歓をみごとに描く詩の絵本。人が大きく成長するその瞬間というものは描きにくいものだが、この詩により子ども時代に味わった興奮、確かな手ごたえが如実に伝わる。こうして人は一歩踏み出しその一歩を次の一歩に繋げ、次世代にも繋いでゆくことが実感できる。

・Ob氏

ヴィルヌーヴ夫人/ボーモン夫人『美女と野獣』

ディズニーや絵本として「ボーモン夫人」のものが有名だが、原作「ヴィルヌーヴ夫人」のものは大人向けで長い。ふつうは野獣が見にくい姿をしているが性格が良く聡明。その内面に美女が引かれている。原作では、野獣はどちらかといれば「頭の悪い」野獣。誠意だけがある。こちらでは「人間の誠意とはどういうものか」ということが問われており、美女にとってのハードルが高い分、人間の誠実さとはこういうものだということが示される。そこには実際に裏切りなどを経験し、波乱の半生を送った作者の経験が垣間見える。また後半では、野獣になるに至った経緯が長々と書かれている。
全体として、いい話だが裏話的な原作があるのがいい。

ジャン・ド・ブリュノフ『ぞうのババール』

子どものために買ったが自分が気に入ってしまった一冊。
冒頭から突然お母さんが人間に殺され、町に逃げてくる展開が衝撃。そこで親切なおばあさんに助けられ、ゾウの国に戻って幸せになるという話。作者は肺結核で余命が長くないと思っていたよう。子どもへの読み聞かせから生まれた物語であるが、作者の余命のことをふまえると、自分が死んでしまった後の子どものことを案じつつ書いていたのではないかという、展望というか、願いのようなものを感じた。
また著者と交友のあったピアニスト、フランシス・プーランクによる読み聞かせ音楽も必聴。

アレクサンドル・アファーナシエフ『ロシアの民話』

昔読んで、大学生になった折に読み返したくなった一冊。たまたまその時、トルストイの民話集を手に入れたが端まで探しても目当ての民話が載っていなかった。よもや勘違いかと思っていたが後年、アファーナシエフの原作だとわかった。民話集の中でも「イワン王子の火の鳥と灰色狼」「不死身のコスチェイ老人」が記憶に残っている。王子の失敗に付き合いつつも人(?)のいい狼のキャラクタが魅力的。

・Kd氏

キャレン・レヴィス『チャーリー、こっちだよ』

今年六月に翻訳が発売された新作絵本。
市立図書館スタッフのおすすめだったので借りてきた。体が悪くなったりした動物たちが安心して暮らせる牧場が舞台。そこに目が悪い馬のチャーリーが入ってくる。もう一人の主人公は心に傷を負ったおじいさんのようなヤギのジャック。ジャックはチャーリーのことを気にかけ、声をかけて、目の代わりとなり手助けをする過程でチャーリーと親しくなる。チャーリーはジャックにほかのヤギと仲良くするように言うがジャックは拒んで喧嘩する。その後嵐が来て、助けるイベントを挟んで親密に。チャーリーはついに両目とも失明するが……
若く元気というより、弱っていく中で心も固くなっている登場キャラクタには、大人が共感できるところが多い。

ビアトリクス・ポター『ピーターラビットの絵本』

イギリスウサギのお話。田園地帯一式を絵本で儲けたお金で買って自然保護をする作者で有名。内容としては野菜を巡って人間と戦ったりと、思うほどには、ほのぼのしていない。レタスを食べると眠ってしまうシーンがあって、睡眠効果があるかはわからないが、絵本を読んでからはレタスにちょっと注目するようになった。

アン グットマン (著), ゲオルグ ハレンスレーベン (イラスト)『リサとガスパールシリーズ』

フランスウサギのお話。いかにもフランスっぽい、おしゃれな、こましゃくれたウサギ(ウサギ?)が出てくる。ハムスターを逃がしてしまったと思いペットショップに行くが、元のハムスターは戻ってきていて……という展開など印象に残っている。ピーターラビットとは対照的で、若い女の子が好きそうな会話が繰り出される。

★閑話~動物が活躍するのはどうして?

Mi「動物が活躍するのはどうしてですかね? 人間だとだめなのか」
Hn「書く側の事情としては、人間で書くと日常見えるものが多すぎて、心理描写やリアリティにおいて距離を取るのが難しいのかもしれない。書きたいテーマがある時には描写対象と距離を取った方がいいけれど、人間だとノイズが生じることもありますね」
Mi「そういう事情は時代小説にもいえるかもしれないね」
Kd「あと、キャラクター性という面でも動物を使った方が、個体の差がビビットに、はっきりと見えているのでわかりやすさとスケール感を確保できるというのもありますね」

・Id氏

小杉未醒『新訳絵本西遊記』

画家でもあり、放庵の別名を持ち執筆もしていた著者の、明治四十三年、百年前の作品。4ページに1枚、彼の作った版画が載っている。漫画みたいな雰囲気、空白の多さなどがいい。文章は最初書かないつもりだったが、いろいろややこしい事情があったので自分で書いたとのこと。

田中 貴子 , 渋澤 龍彦 , 花田 清輝 , 小松 和彦『百鬼夜行絵巻を読む』

河鍋暁斎の絵などもあるが、メインは土佐派の百鬼夜行図。
昔の妖怪がぞろぞろ出てくる。そこに花田清輝や澁澤龍彦ら文筆家のの文章が加わる。妖怪はいわゆる付喪神(古物が魂を得る)が主に描かれており、琵琶や草鞋の闊歩する姿が見られるほか、キツネやムジナも載っていて、見飽きることのない一冊。
関連してバルトル・シャイデス『幻想の中世』においても土佐派の付喪神絵が取り上げられており、こちらではヒエロニムス・ボスとの比較がなされていて興味深い。スフィンクスや鵺など、異なる動物を組み合わせた幻獣は世界各地に存在するが、無機物との融合、擬人化などは前者に比して珍しく、「ボスの絵の化け物が日本の土佐派の絵の中に入っていても不思議ではない」というようなことを記されている。

萩原朔太郎『猫町』

詩人・萩原朔太郎の作品。散文ではあるが(散文詩?)、物語チックでもある。知っている街の中で迷ってしまい、いつの間にやらきれいな街に入ってしまっていて、そこにネズミが一匹走ったかと思うと、周りが突然猫だらけ。人の形をした猫と書かれているが、版画では顔だけが猫、身体の方は人間の格好をしている。

★閑話2~絵本との出会いは?

Mi「海外作家さんが多い印象ですかね」
Kd「国内作家だと馬場のぼるさんとかいいですね」
Hn「かこさとしさん、ヒグチユウコさん、ヨシタケシンスケさんとかも」
Mi「そもそも絵本や児童文学との出会いはどこ?」
Ob「どこでしたかねー。買う側になってみて、いいなと思う本を置いても、読んでくれなかったりするんですよね」
Yo「幼稚園では読み聞かせなどありますね」
Hn「こどものとも(福音館書店の絵本月刊誌)とか愛読しましたね」
Mi「昔は子どもという概念自体が杜撰だったけれど、今は0歳からプランニングされていたりしますよね。私の場合は絵本を読まなかった代わりに大人の立ち話などをよく聞いていました」
Ob「親も忙しいですからね。私は親が自分のために買った本をよく盗み読みとかしていましたね。それこそ澁澤龍彦とか。子どもはそういう経験の中で読書傾向を発達させる側面もありますね」

・Mi氏

レベッカ音羽『My Awesome JAPAN Adventure』

アメリカの小学生が日本へ来た四か月間の生活日記、という体をとっている。だがとにかく字が多い、情報量が多い。これは文化の違いだろうか? 

ルース・クラウス (著), マーク・シーモント (イラスト)『はなをくんくん』

こちらは冬、冬眠していた動物たちが目を覚まし、鼻をくんくんさせてある一点にあつまっていく……というお話。王道の作品です。

ヨシタケシンスケ『ぼくのニセモノをつくるには』

売れっ子作家の一冊。絵がかわいい上、内容も哲学的。自分って何だろうというところを掘り下げていく。 興味を膨らませていく書き方が上手い。いわゆる王道の絵本のイメージと、字を使っていくスタイルの融合という感じ
Ob「発想が非常に独創的なので、そういうところに食いついていくのかな」
Td「Miさんは他にも読まれた?」
Mi「哲学的な本を探して外国の本を読んだがつまらないものが多いです」

・Td氏

F.エマーソン・アンドリュース (著), ルイス・スロボドキン (イラスト)『さかさ町』

すべてがさかさまの世界。子供が楽しんで働き大人は遊ぶ。学校に通うのは休日だけ。憶えることより忘れることが大事。品物と一緒に値段分のお金がお客に渡される……コロナの状況下でさかさになったルールのことを考える。最近仕事が大変でストレスが溜まっていたが、この本を読むと楽しく、仕事を見直すきっかけにもなった。一生懸命仕事するのに拘らなくてもいいなと思うと肩の荷が下りてむしろ集中できるようになった。

スーザン・バーレイ『わすれられないおくりもの』

アナグマが死んで、遺されたものは悲しむが、次第にアナグマが遺してくれたものは自分の中に生き続けることに気づいていく。多くの人が別れと喪失を経験するが、ふと「あのひとこう言ったよね」というようなことが思い起こされるようなこともあり、絵本ではあるが、深い。

オリヴァー・サックス『タングステンおじさん』

子供のころ「タングステンおじさん」という実際のおじさんに指導してもらい、秘密の実験室で実験に夢中だった日々をつづった様子は、うらやましくほほえましい。量子物理学をはじめとした化学の歴史も感じさせる。ノスタルジックでありつつ、児童にもお勧めしやすい一冊。

・Ne氏

シェル・シルヴァスタイン『ぼくを探しに』『ビッグ・オーとの出会い』

かけらの話であるが、これが男性女性という枠なく、一読して「これは私だ」と思った。続編ではかけらの方の物語が描かれる。翻訳に際しては片方が男性的、片方が女性的という風に解かりやすさを優先して描かれているが、性別役割はナンセンスに感じる。かけらと一緒になり、同一化していくのではなく、それぞれに転がっていけるのがいいよね。

ヴェルヌ『神秘の島』

海底二万里につながる話。『十五少年漂流記』の大人版のような作品。はじめ連作だと知らずに読んだので、海底二万里につながる展開が出てきたときにはびっくり仰天した。背景に南北戦争がある。北軍の捕虜が飛行船に乗って逃げていたところで落ちたのが、舞台となる島。とにかくいろんな知恵を絞り、五人の男たちが生き残ろうとするのが魅力的。

・Hn氏

北野勇作『この世界は何だ!?じわじわ気になる(ほぼ)100字の小説』

いつでもどこでも読める超短編作品集。単なる短編ではなく、文字をつづったことのある人なら「ぴったり100字」で物語を立ち上がらせる難しさと凄まじさが分かるだろう。内容も一筋縄ではいかず、作者がすべてを喋ってしまうのではない、読者の方で100字の前後に広がる「小説側の」世界に思いを馳せ、想像力をはたらかせられるところに魅力がある。親子で会話をしながら読むにも、たまの隙間時間に一人で読むにもピッタリな一作。

新美南吉『うた時計』

フォア文庫での紹介だがほかにも新美南吉の短編には名作が多い。『ごんぎつね』『手袋を買いに』など有名作品はもちろん深みとやさしさがあり、いつ読んでも同じところに戻ってこれるすごさがある。またその背後にも隠れた名作が沢山ある。幼少の、男女を交えた遊びを通して、主人公にとっての「うつくしさ」の機微を描く『花をうめる』、親子関係という大きな物語が終始一貫して主人公の「外側」で展開され、主人公が物語にとっての他人となっている『うた時計』などがおすすめ。

あまんきみこ『車のいろは空のいろ』

タクシー運転手の松井さんが乗せた、奇妙なお客さんたちにまつわる短編集。教科書に載った作品で知っている人が多いかも。本会にて何度も推薦しては毎回惜しくも落選しているので今度こそ推したい一冊。
「大人も読める」「大人でも楽しめる」児童文学とは何なのかを少し考えるが、考え出すと難しい。本書は、平易な文体で、想像力と情景の描写力に優れ、つまり子どもの力でも入り込みやすい。一方で、大人、という枠組みを超えた「私たち」に「何かしら」が突きつけられていると強く感じる作品群でもある。それはひとえに作者の、作品そのものや読者への、切実さ、真摯さのなせるわざだと思う。読み手を舐めていない作品は何歳が読んだってすごい。

・Yr氏

ミヒャエル・エンデ『モモ』

現代社会批判の形で読まれることが多いが、国内外の哲学者にも愛読される。モモの受容のもう一つの流れとして「相手の話を聞く」ことが挙げられ、カウンセリングなどに必要な「傾聴」能力をモモは持っているのではないか(河合隼雄)などと言及される。

マーク・トウェイン『ハックルベリーフィンの冒険』

語り手の言文一致体の特徴が心地よい野心作であり、文学史に位置付けられるのも、米国のフロンティア・スピリッツを見る人がいるのも、納得できる一作。

トーベ・ヤンソン『ムーミン』シリーズ

童話としてはしっくりこない部分もあり、何を寓意としているのかわからない登場人物も多く出てくる。単純な道徳話よりも奥深く広い作品。改めて文庫で読んでみると、いろいろと気づきも多い。知名度ほどには読まれていない印象で、この際触れてみるのもいいかもしれない。


終わりに

子どもの頃に本を読んでもらった人、大人になって子どもに読み聞かせた人など、さまざまな視点からの紹介になりました。
皆さまの推し本、懐かしの本はありましたでしょうか。
幼稚園でよく触れる『三びきのやぎのがらがらどん』『エルマーの冒険』、小学校ではやりがちの『ダレンシャン』『デルトラクエスト』、独自のユーモアと世界観を持つエドワード・ゴーリーロアルド・ダールの作品など、名前の挙がらなかった名作も後になって沢山思いつくところです。果たして無事に選書できるのでしょうか……

次回の開催は8/21日、テーマは『詩集・歌集』となります。
それではみなさま、よい読書沼ライフを……

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