「やさしさ」の真意を知った話

私はいわゆるHSPであり、且つ他人が恐ろしく見え、親しくない人とは会話をすることも難しいという、重度の人見知りでもある。HSPの説明は省略するが、以下にwikiのリンクを掲載しておく。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

そんな自分のことが大嫌いで、HSP向けの書籍を買い漁り解決を目指した時期もあったが、書いてあった解決策は往々にして「自尊心を保つ」考え方が根底にあるような気がして、どうしてもスッと受け入れることができなかった。

しかし、何を読んでも、どれだけ調べても、薬物療法を試しても変われなかった自分が、現在はほんの少しだけ自分を好きになり、臆することなく他人と接している。

これは自分にとって良い方向へ状況が変わっていることの証跡として。そして、HSPや自己嫌悪、人見知りやコミュ障に悩む同士への一助となれば幸いだ。

思考が外に向いている

HSP向けの自己啓発本を読んだ際、解決には至らなかったものの、自己分析はできた。そして、その結果行きついた結論はこれに尽きた。

何をするにも、まず他者の意見や評価が気になるのだ。日常会話一つをとっても、例えば「トマトは好き?」と聞かれた時、頭の中では瞬時に「この人はどうしてそんなことを聞くのだろう」、「トマトを嫌いな人もたくさんいるし、好きと言って気分を害してしまったらどうしよう」など、言外の意を察しようと必死に思考を巡らせてしまう。

後から考えれば分かる。会話一つで好きも嫌いもない なんてことは。

しかし、できるだけ他人の意に沿うよう心掛け、分からない時はできる限り当たり障りのない対応をしてしまう。そして毎日寝る前にその対応が悪くなかったか、一人反省会を開催しては、自己嫌悪に陥るのだ。

こんなことを繰り返していては人間関係が上手くいくはずもなく、自分自身も疲れるに決まっている。

【優しい人】の驚くべき思考

自分が恵まれていた点は、ただ一人、信頼し相談できる友人がいたことだ。

その人は周りに自然と人が集まる魅力を持っていて、誰に対しても愛想が良く、頼られたら助けてあげていた。自分もこの「優しさ」に惹かれ、よく悩み事を相談していた。「もしコミュ障を治せたらなりたい人格は?」と聞かれようものなら、いの一番に名前を挙げるだろう程度には憧れていた。

しかし、よくよく話を聞いてみると、親しくもない他人を助けるのは【誰のことも信用していないから】だと言う。

信用も期待もしないからこそ、他人に優しくできるのだそうだ。仕事も同じで、人に任せて失敗されるくらいなら助けるし、荷が重そうであれば巻き取る。その結果、外からの評価も相対的に上がるのだそうだ。

常に他者目線で物を考えてしまう自分にとっては、目からうろこだった。もちろん、血も涙もない冷徹人間というわけではなく、その人にも大切にしている人や信条はある。

「嫌われるのはまだ怖い」けれど…

HSPについて勉強していた時、どれだけ他者本位の考え方をしても、その動機が「嫌われたくない」である以上、自分はなんて自己中心的な人間なんだろうと思った。そしてそのことが自己嫌悪に陥る一因でもあった。

しかし、「他人に優しい」と思って尊敬していた人ですら、他者を愛さず、むしろどこまでも自分勝手に生きているのだと知った。初めはショックを受けたが、これも「個性」であり、その人の「本質」であるということを受け入れることから始めた。

自己評価が低い故に自分を好きになれないくせに他人には嫌われたくない、行動や思考の一つ一つを誰かに委ねないと不安になってしまう、そんな醜いところが自分の本質であり、人格形成の成長期を終えた今、これを変えることは不可能に近い。「不可能に近い」という言い回しをしたが、持論で言えば不可能だと思う。その人を形成している一番深いところにあるものが「本質」なのであって、簡単に変えられるものをそうは呼ばないと思うから。

そういう考えに至ったのが2018年。そこから少しずつ、自分の嫌いなところも好きになることはできずとも、まず認めて受け入れる努力をするようになった。

そして3年近く経った今…

未だに他人は怖いし、言外の意は気になるし、嫌われるのは嫌だ。

けれど…自分や他人の本質について考え続けた結果、上っ面の「意見」よりも、その人のもっと深いところにある気持ちや、根底にある考え方が気になるようになった。
また、力を抜いて、もっと自由な思想で生きてもいいんだ と多少は思えるようになった。

今なら「トマトは好き?」と聞かれたら、まずは「好きです」と、自分の本音を答えられる。その先に言われることが気になるからだ。少し歪んでいるかもしれないが、こんな形でも他人への恐怖に少しは打ち克ち、興味を持てるようになったことはかなりの成長であると言えるだろう。

また新たな心境の変化があれば、ここに追記したいと思う。

同じように悩んでいる人も、悩みに向き合う自分なりの方法を見つけられますように。

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