独学で、別職種からフリーランスのデザイナーへ。100%営業なしで仕事できています!【広報チーム/野村理美】
フリーランス協会で働く人を紹介する「突撃!フリーランス協会の中の人」。
今回は、イベントやアンケート告知用のバナー画像から、チラシ、冊子、ノベルティ、名刺まで、フリーランス協会のあらゆるクリエイティブを手がけているデザイナーの野村理美をご紹介します。
いつも穏やかでほんわかしているのに、ポップで楽し気なデザインも、カッチリ真面目な法律の解説も、目的や趣旨をシャープに捉えて、必ず期待通り(期待以上)のアウトプットを出してくれる野村。
フリーランス協会のクリエイティブとしての全体のトンマナは一貫しつつも、決して一つのスタイルにはまることのない引き出しの多さとアイディアの豊富さで、事務局メンバーから絶大な信頼と尊敬を集める野村に、外部ライターが突撃インタビュー!
紙からWebまで、幅広く提案できるデザイナー
──はじめまして! 理美さん、事務局内では「さっちゃん」と呼ばれているとか。
野村:そうなんですよ。協会にもう一人「サトミ」さんがいること、私を事務局に誘ってくれた協会事務局長の中山が高校の同級生なことから、当時の呼び名のまま「さっちゃん」でやらせてもらっています(笑)。
──皆さんに親しまれている様子が伝わってきます。さっそくですが、いまのお仕事の全体像を教えていただけますか?
野村:フリーランスのグラフィック・Webデザイナーとして活動しています。具体的にはロゴや名刺、チラシやパンフレット、Webサイトなどのデザインやディレクションを行うことが多いです。
協会の仕事はだいたい全体の3割ほどで、残りの7割は個人で受けているクライアントワークです。そのなかには、自分が運営に参加している地域の子育て支援団体での仕事も入っている感じですね。
スタイリッシュ×抜け感のバランスを探って
──協会ではバナーや冊子のデザインに活躍されているとのこと。最近、印象的だった仕事にはどんなものがありますか?
野村:最近では、代表のまりさん(平田)とクリエイティブ・ディレクターの山崎晴太郎さんが10月に始めたPodcast番組、「WHY ARE YOU~プロが惚れ込むクリエイターのXXX〜」のカバーデザインですね。悩みながら作ったのですが、最終的には皆に気に入ってもらえてよかったです。
──もしよければ、そのカバーデザインの着想から完成までの舞台裏をお聞きしてみたいのですが……!
野村:まず打ち合わせの場で、いろいろなPodcast番組制作を手掛けられているプロデューサーの野村さんから「Podcast番組はいろいろなアプリで開かれるので、音楽のアーティストの楽曲ジャケットと並ぶ可能性もあるよ」と教えていただいて。だからスタイリッシュな感じが求められるけれども、一方でかっこよく仕上げすぎてもスルーされてしまう課題がある、と聞きました。
そこで、「スタイリッシュだけど遊びや抜け感がある」、「フリーランス協会のカラーも入れつつ、でも濃すぎないほうがいい」という、絶妙な塩梅が大事だねと皆で話しました。
そこから他番組のカバー画像なども参考に、自分でイメージを膨らませていって、最初に提案したのがこの3案です。
皆さんからは、「文字の並びはC案の3×3がおもしろい」「B案のネオンは80年代をイメージするので40代くらいのリスナー層に合うのでは」などのフィードバックをいただいて。C案のレイアウトをもとに、B案のネオンっぽさを取り入れ、何度か調整を繰り返していきました。
アプリやWeb上で他の番組カバーと一緒に並ぶ様子をシミュレーションししながら、最終的に完成したのがあのカバー画像です。
アイデアは抽象的に保存し、“浮かばせて”おく
──いまの初回提案もそうですが、事務局メンバーから「さっちゃんはデザインの引き出しが幅広い」との評判を耳にしていまして。日頃のインプットではどんなことを意識していますか?
野村:地方在住のため、街中でクリエイティブな広告を目にできる機会は少ないと感じています。東京に行くとその違いを実感しますね。だからこそ、積極的にインプットする時間を取るようにしていて、インプットの場所として気に入っているのが本屋です。
本や雑誌のカバーや中身のビジュアルは、地方でも都会と同じものを手に取れますから。もともと本屋好きなこともあり、子どもの習い事送迎の合間など、週に2️、3回は本屋へ行くのが習慣になっています。
本や雑誌に限らず、広告もチラシも、見るものすべてがヒントになります。いいと思ったデザインは「なぜいいと思ったんだろう」を考えて、頭の中に浮かばせておくんです。
ビジュアルでカチッと保存しておくと真似になってしまうのが怖いので、アイデアを残すときは、なるべく抽象的に残すようにしています。
──抽象的に残すとは?
野村:たとえばさっきの『WHY ARE YOU』なら、画像ではなく、「ネオンっぽい文字」や「四角形の中に1文字ずつ入れて並べる」など、要素を抽出して言葉にして、頭の中やメモに残しておくという感じです。
抽象的な要素が頭の中にある状態で、進めている案件や、これから制作に入る5つくらいの案件を考えていると、「あ、この要素はこの制作物にこう使える!」と、新しいアイデアが生まれるときがあるんです。
出産を機に子育て支援団体にも参加し、11年
──二児の母でもある理美さん。地域の子育て支援団体では、どんなことをしているのでしょう?
野村:2つの団体に関わっています。1つは静岡県東部の子育て情報サイトを運営する「ママとね」で、母親や親子向けのイベントや情報発信などを行っています。もう1つは、私が住む静岡県長泉町が拠点の「長泉ママラッチ」。地元のママライターが取材をして、まちの魅力を発信しています。
──特に紹介したいプロジェクトには、どんなものがありますか?
野村:「ママとね」での活動は11年ほど続けているのですが、毎年、編集として関わっている「トツキトウカ SHIZUOKA EAST」という詩集制作プロジェクトがあります。ママやパパ、おじいちゃんやおばあちゃんから赤ちゃんに贈るメッセージを、写真と詩でつづる詩集です。
2014年から毎年10月10日に2万部を発行し、静岡県東部の自治体の母子手帳配布窓口、子育て支援施設、産院・助産院などで配布していただいてます。
私自身、第一子の出産直後は孤独を感じ、つらい時期がありました。でもその後「ママとね」に出会い、活動に参加するなかで、明るい気持ちを取り戻していくことができました。当時の自分と同じような気持ちを抱えているママたちの心がこの詩集を読んで、少しでも明るくなってくれたらいいなと思い、このプロジェクトを続けています。
謎解きとクライアントワークの、共通項?
──ちなみに「ママとね」が運営する図書館では、理美さんが「謎解き図書館」なる取り組みをしているとか……?
野村:そう、私、趣味で謎解きをつくるのが好きなんです。「ママとね」の運営する棚貸しの私設図書館でも、自分が借りている棚に、謎解き問題を置いていて。リアルの謎解きイベントも何度か開催したんですよ。
──謎解きが好きになったのは、いつから?
野村:昔からクイズやパズルが大好きで、問題が出題されると我先に!と解きたがる子どもでした。
謎解きの問題を作り始めたきっかけは、コロナ禍に子どもの休校が続いて友人たちと始めた「zoom学童」。zoomで3、4軒の家をつないで遊ぶのですが、そのコンテンツとして、私が謎解きを作ったのがきっかけです。
物語の中で子どもたちが謎を解き進めていくと、最後には家の中に実在する場所の名前が出てきて、実際にその場所を探すと、それぞれの家で隠しておいたお菓子が発見できる……というコンテンツ。
最後の謎が解けると、子どもたちは「え、ここにあるの?!」とダッシュで探しにいくんです。わくわくした表情を見ていたら、私も「もっと謎解き作っちゃおう」と火がついて、「謎解き図書館」も始めました。
──楽しそう! そして理美さんの「謎解き」への愛を感じます。
野村:デザイナーの仕事と謎解き、両方に共通すると思うのですが、私、お題を出されるのがすごく好きなんですよ。
よくデザインとアートの違いとしても語られることですが、私は自分の中から「こういうものが作りたい」というタイプではなく、何かお題をいただいて、それに対して考えて何かを作ることが昔から好きで、わくわくするんですよね。だからきっと、クライアントワークのほうが向いているのかもなと思います。
ヘルニア手術を機に、デザイナーとして独立を決意
──ところで、デザインのスキルは学校などで学ばれたのでしょうか?
野村:いえ、独学なんです。また独立前はいくつかの会社で働いてきましたが、デザイナーという職種で働いていたことはありません。
──独学で、別職種からフリーランスのデザイナーに。理美さんのキャリアストーリー、くわしくお聞かせください!
野村:大学時代は友人と、歌を中心に音楽活動をやっていました。当時は音楽をやっていきたい思いがあり、就職活動をしないままに卒業して。卒業後はギターとベース、ドラムを加えてバンド活動をしていました。
「自立して生活する」が親との約束だったので、バンド活動の傍ら、音楽に関わりながら働けるアルバイトを探して、エンターテインメント系の会社で2年ほど働きました。担当は主に映画関係でしたが、隣の部署では音楽も扱っていてライブに行ける機会も多く、いい環境でしたね。
その後、縁あって映画会社の派遣社員として2年ほど働きましたが、結婚を機に地元の静岡に戻ることに。会社もバンド活動もそこで区切りをつけました。バンド活動は「思う存分、やりきった!」という感じでした。
静岡に戻った後は通信教育の会社で働き、30歳のときに第一子を出産。育休中に「ママとね」にも出会い、そのご縁で企画会社に正社員として転職し、イベント運営や情報誌の編集などに携わりました。
第二子が生まれ、子どもが1歳と4歳のころは、保育園に毎日19時ぎりぎりにお迎えするような毎日を過ごしていました。すごく大変で、あまり記憶がありません……。
ハードな生活で無理がたたったのか、ヘルニアになって手術しました。手術で腰はよくなったのですが、片足に麻痺が残り、立ち仕事が多いイベント運営の仕事が難しくなったんです。
そのとき、「これはピンチだけど、チャンスでもある」と思いました。プライベートではずっとデザインに細々と関わってきたこともあり、会社を辞めてフリーランスのデザイナーになろう!と思ったんです。36歳のときでした。
複業スタイルで走り出し、2年でデザイン案件を100%に
──デザインとはそれまで、どんな関わり方をしていたのでしょう?
野村:大学3年生のとき、学祭の広報スタッフになりまして。本格的なパンフレットをどうやって作るのか聞いて、初めてIllustratorというデザインソフトの存在を知りました。
そのとき、「世に出ている素敵なデザインたちはほぼ全部これでつくられているのか!」と衝撃を受けました。私もそれが使えるようになりたい!とワクワクしたのを今でも覚えています。仲間に教えてもらいながら、制作物を作れたときは嬉しかったですね。
当時は写真にはまっていたので、写真展のチラシを作ったり、音楽活動のライブのフライヤーを作ったり。社会人になってからも、友達が働くお店のメニューやポップ制作を手伝っていました。ほとんどがボランティアですが、デザインすることが好きだったので、細く長く続けていました。
──スキルはどんな手段で学んでいったのでしょう?
野村:最初は友人に質問しながら教えてもらい、あとはインターネットで自分で調べました。デザイン関連の本もたくさん買いました。学校に通ったことはなく、本とインターネットがほぼすべてです。
──企画の仕事からデザイナーとしての独立を決意したとき、不安などはなかったですか?
野村:企画会社では情報誌の編集をやっていて、デザイナーに発注する側として関わっていました。発注からの具体的な流れや、大まかな金額のイメージを知ることができ、デザイナーの方の仕事を近くで見られたことで、自分がデザイナーになるイメージができていたのだと思います。
──独立後は、どのように仕事を獲得されていったのでしょう?
野村:初めの1年はデザインの仕事100%ではやっていけなかったので、前職でやっていた編集の仕事を業務委託で受けたりもしていました。独立後にフリーランス協会にも関わることになったのですが、協会でも初めは問い合わせ対応など事務系の仕事をやりながら、その合間にデザインの業務があればやる、というバランスで働いていました。
独立から2年ほどは、自分ができること、今までやってきたことも交えて仕事を始めつつ、少しずつデザイン案件の割合を増やしていくやり方で、いまはほぼ100%がデザインの仕事になっています。
──「デザイナー」と名乗るようになったのはいつからですか?
野村:肩書は独立当初から「デザイナー」にしました。覚悟を決めたほうがいいなと思って。夫の扶養に入るかどうかも一瞬迷いましたが、入らないほうが覚悟が決まると思い、最初から入りませんでした。
何を作るかより、「なぜ」作るかが大事
──デザイン案件を増やすにあたって、営業活動などもしましたか?
野村:営業はしたことがなく、ほとんどが友人や知人の紹介です。事務局メンバーも、皆フリーランス当事者でいろいろな仕事をしているので、そのつながりで依頼をいただいたり、子育て支援団体のつながりでも声をかけてもらったりしています。
──皆さん、満足度が高いからこそリピートや紹介につながるのだと思いますが、発注者側の視点を持つ理美さんが、フリーランスとして働く上で意識していることは?
野村:フリーランスは個人なので、発注側には「この方に連絡がとれなくなったら終わりだな」という感覚はあると思います。だから自分も、クライアントを不安にさせないように、返信はなるべく早く返す、進捗を伝える、などは意識しています。
──さらに事務局メンバーから、「さっちゃんは質問力が秀逸で、コンセプト策定の段階から伴走してくれるのが心強い」との声も届いています。
野村:わあ、嬉しいです。確かに「なぜ作りたいか」「何がゴールなのか」はきちんとヒアリングして、そこに向かっていく制作物を一緒に考える姿勢を大事にしています。
たとえば「ホームページを作りたい」と相談を受けたとき、話を深堀りしてみると、「その目的にはホームページより、SNSのほうがいいかもしれない」と思うときがあるんです。「チラシを作りたい」依頼も、よく聞いたら「名刺をチラシ風にするほうがいいかもしれない」とか。
「◯◯を作りたい」と相談を受けても、必ず「なぜ」に遡って話を聞く。場合によっては、違う手段についてご提案をする。ここには、企画やイベントの運営側で働いてきた視点が生きているのかもしれません。
フリーランスの魅力を届け、拠り所となるために
──協会では先に触れたバナーや冊子のデザイン業と並行して、自身のキャリアや働き方を伝える活動もされているそうですね。
野村:そうなんです。先日はゆかさん(事務局の黒川)が神戸市と企画した「自分らしく働きたい女性のためのフリーランスセミナー」という全4回のセミナーに登壇し、「独学でWeb・グラフィックデザイナーに転身」というテーマで、自分のキャリアについて話しました。
私、フリーランスになってすごくよかったと思っていて。子育てしながらの会社員生活が大変だったので、いまは子どもの予定に合わせやすいし、突発的に何かが起きても対応しやすいのが本当にありがたいです。
だから、フリーランスになりたい方がいたら「おすすめです!」と背中を押したい気持ちがあります。協会はそういう方の後押しをしたり、フリーランスになってからも、何かあったときの拠り所的な存在。その意義を実感しているので、自分もその活動に関われることが嬉しいです。
そんな思いでセミナーに登壇しましたし、今回の記事も、少しでも誰かの参考になったらいいなと思ってお話ししています。
──働き方を現在進行形で悩んでいる方々へ、伝えたいことは?
野村:私がフリーランスになって一番魅力的だと感じたことは、「自分の時間の使い方を、自分で決められる」ことでした。
人によって何を大事に考えるかはそれぞれですが、私にとっては、「時間の自由」がすごく大きな要素だったということに、フリーランスになってから気づいたんです。だから自分にはフリーランスの働き方が合っていた。逆に、たとえば安定を大事にしたい人や、オンオフを完全に切り分けたい人は、別の働き方が向いているかもしれません。
「自分にとって、譲れない要素は何だろう?」を真剣に考えると、その人にとって、ちょうどいい働き方が見えてくると思います!
穏やかな語り口ながら、「覚悟を決めたほうがいいと思って」や「ピンチだけどチャンスだと思った」など、端々から芯の強さや潔さが伝わってきた理美さん。
独学でデザイナーとして成功した背景にあったのは、「好き」なデザインを細く長く続けてきた時間。「好きを仕事に」が時に揶揄的に用いられたりもする昨今ですが、「覚悟を決めて」「好き」を選ぶ選択はあっていい!と確信させてくれたインタビューでした。