
世界一周に向けて独立。迷ったら過激なほうを選ぶ【ジョブ創出PJ/中原俊郎】
フリーランス協会で働く人を紹介する「突撃!フリーランス協会の中の人」。
今回は、「求人ステーション」を中心にフリーランスの活躍の場を拡げる活動を展開するジョブ創出プロジェクトのメンバー、中原俊郎をご紹介します。

<プロフィール>
ジョブ創出PJメンバー/中原 俊郎(なかはら としろう)
1974年生まれ。大学卒業後P&G社にて法人営業を経験。その後リクルート社に転職し、転職エージェントとして21年経験。延べ500社以上の企業の採用支援、5000人以上の個人の転職相談に携わる。企業側・個人側両方のグループマネージャーも経験し、中途採用及び転職活動における現実的な解決策提案と伴走を得意とする。テレビやラジオ、ネットニュースなどのメディア出演も多数。2022年6月にリクルート退職後はフリーランス。
いつも親身かつ穏やかで一歩引いた聞き上手でありながら、内面には熱いハートとソウルを秘めており、ここぞというミッションで着実に盛り上げてくれると評判の中原に、外部ライターが突撃インタビュー!

世界一周は自分の人生の“最重要事項”
──こんにちは。さっそくですが中原さんは3年前にリクルートを退職され、いまはフリーランスで働きつつ、世界一周に向けてご準備中だとか……?
中原:はい。娘がいま高校3年生なので、大学受験が終わって卒業したら、3〜4年ほど世界一周しようと前々から決めています。もともとは娘が18歳になるのが、ちょうど私が50歳になるタイミングだったこともあり、そのころに退職しようと考えていました。結果的にいろいろなタイミングが重なり3年前倒しの47歳で退職しました。
それまで仕事を頑張りすぎていたこともあり、この3年間は、フリーランスとして仕事をしながら、娘と過ごしたり、自分の趣味に時間を使ったりしています。無事に受験が終われば、2025年の8月には出発している予定です。
──世界一周することは、いつから決めていたのでしょう?
中原:39歳のとき、父が亡くなったのが大きな転機でした。父はかなり自由人で楽しそうに生きていましたが、祖母(父の母)の介護が始まってからは、好きな旅行や釣りにもあまり行けていませんでした。祖母を看取り、「よし、ここから好きなことをやるぞ!」と言っていた矢先の74歳の時に、癌が発覚し、76歳で亡くなりました。
そのとき、「ああ、人はやっぱり死ぬんだな」と痛感し、残りの人生で自分は何をしたいのか、本気で考え始めました。「死ぬまでにしたい10のこと」をリストアップしてみると、「無人島にログハウスを建てて友達と住む」、「サウナ屋をやる」、「喫茶店のマスターになって、人が相談に来る場所をつくる」など、たくさん出てきましたね。

リストアップした項目を見返しながら、「本当に人生をこれにかけたいか?」を問い直していきました。人生かけるほどでもないなと思うものを消していったら、世界一周だけはどうしても消せなかったんです。
「あぁ、僕の人生の最重要事項は世界一周なんだな」と、腹の底から納得しました。そして行くならば、気力・体力があるうちに行こうと考え、娘が18歳、自分が50歳で実行しようと決めました。それが40歳のときでした。
──まさにいま、10年前の決意を実行しようとされているのですね!ところで、退職後の、ここ3年ほどのライフスタイルについてお聞きしたいです。いまは二拠点生活を送っているとか。
中原:はい、月の半分を東京、もう半分を家族がいる福岡で過ごしています。退職するまで、長く東京で単身赴任していたこともあり、東京には仕事のつながりも多いため、拠点を持ち続けています。もともと移動が好きなので、二拠点生活が肌に合っているんです。
最近は、大学時代のストリートダンス仲間との活動も復活。大学は関西だったので、福岡に戻る途中に立ち寄ってダンスチームの練習に参加することも増えました。もはや、二拠点ではなく三拠点ですね(笑)
セミナー講師から、サウナのプロデュースまで
──いまのお仕事内容を教えてください!
中原:もともと長年リクルートで人材採用にまつわる仕事をしてきたので、いまは主に、人材系のセミナー講師や新入社員研修のトレーナーを請け負っています。フリーランス協会では、フリーランスや複業・副業人材が、企業や自治体と円滑な関係を築けるように環境整備をする「ジョブ創出」プロジェクトに所属しています。それから、新たに「サウナ屋さん」の仕事も加わりました!
──サウナ屋さん……!?
中原:そもそものきっかけは、外国から一番大きくて良いテントサウナを購入したこと。自分がサウナ好きだったので買ったのですが、せっかくなら有効活用しようと、月に1度、キャンプ場でテントサウナを設営して、自分で薪をくべて、友人・知人限定で、時間貸しをする活動をスタートしました。

すると、テントサウナ仲間が古民家をリノベーションして民泊施設をオープンすることになり、2024年には、その民泊施設のサウナ部分のプロデューサーとして参画させてもらうことに!期せずして「死ぬまでにやりたいことリスト」に一度書いて消したはずの「サウナ屋をやる」の夢も叶ったという(笑)。

昇進しても、おもしろくなければ意味がない
──リクルート時代、3回マネージャーになり、3回とも、自らプレイヤーに戻ることを選択したとか。当時のエピソードをお聞かせいただけますか?
中原:リクルートに入った当初は関西営業部からスタートして、法人営業を担当していました。企業の経営者と話をして、数億円を動かすダイナミズムも感じられて、楽しさのあまり、仕事中心の生活を送っていました。
そのかいもあり、若くしてマネージャーへ。ところが、マネジメントが全然できなくって苦労しました。メンバーから「総スカン」を食ってしまい、心が折れてしまいまして……。
マネージャーを降りたのを機に、法人営業から個人営業に移ることを考え、「キャリアアドバイザーのプレイヤーとして始めさせてください」とお願いしました。初めてキャリアアドバイザーをやってみたら、僕にはその仕事がとても合っていて、おもしろさにはまっていきました。
プレイヤーとして成果を出すことができるようになると、またマネージャーへの昇進の話をいただきまして……。でも、またもマネジメントができず苦しみ、プレイヤーに戻してもらうお願いしました。
そして、プレイヤーに戻ったら、また元気になって成果を出すようになり、またマネージャーのお誘いが! 「3度目の正直かも!?」と思ってチャレンジしてみたのですが、やはりマネージャー業務はうまくいかない。
よくよく考えてみたら、僕自身、自由が好きで人に指図されたくないタイプ。だから、部下に対して指示を出すことが、根本的に苦手だったのだと気づきました。僕が描く理想の組織は、「みんなが好きに、自由にやりたいことをハイレベルでやるチーム」。ただ、その理想を叶えることは実際には難しく、苦戦しました。
3度目のマネジャー職へのチャレンジがうまくいかなかったので、さすがにプレイヤーに戻してもらうことも言い出しづらく。僕自身は、辞める覚悟でいたのですが、もう一度プレイヤーに戻らせてもらうことになり、41歳で東京本社のキャリアアドバイザーとして上京しました。そこからずっとプレイヤーで、6年ほど働いていました。
マネージャーとして指示を出すのは苦手でしたが、プレイヤーの先輩としてなら、背中を見せながら教えることができる。好きなようにやっている中原を見て、他のメンバーが「私もいろいろやってみよう」とチームが活性化していったようで、自分はマネージャーには向いていないけれど、チームのリーダー役であれば組織に貢献できるのだと思いました。
──昇進を目指す価値観から離れて、ご自身にあったフィールドで大活躍されていったのですね。
中原:もちろん会社員である以上、ずっと「昇進したい」という思いを持っていました。リクルートに入ったのも、ばりばり働いて自分の力を発揮したいという思いがあったから。
でも、3度目のマネージャーを降りたときに、「たとえ昇進しても、仕事がおもしろくなければ意味がない」という考えに変わりました。
いま思えば、最後のマネージャーのときは、メンタルが壊れかけていました。上司に報告メールを送るのが怖くて、5時間もパソコンの前で固まっていたことも……。
合わない仕事をやっていると、人ってこんなふうに壊れてしまうんだ、と痛感しました。一方、自分が楽しめる仕事であれば、成果もあがるし、何よりも幸せになれる。それを一番大事にすべきだと思いました。

いま辞めないと、きっと辞めない
──ところで、仕事を辞めることに迷いはなかったのでしょうか。約10年前に決めた決意を、本当に実行できる方は少ないのではと思うのですが。
中原:実際、世界一周は55歳や60歳でもよいのでは?と思ったこともありました。東京本社でプレイヤーとして働いた時期は、本当に仕事が楽しかったから。そのときの上司が、いま、協会の事務局メンバーとしてご一緒している黒川祐佳さん。最高の上司だったので、のびのびと仕事をさせてもらっていましたね。
一方、そのころ娘が犬を飼いたいと言いだしたんです。まわりには「犬を飼ったらお世話があるから世界一周できないよ」と言われましたが、娘がそんなに欲しいならと犬を飼うことしました。そうしたら、犬が本当にかわいくて、かわいくて。愛犬と離れたくないし、世界一周はあきらめて、海外旅行を毎年繰り返すような形でもいいかな、と考えが変わっていきました。
でも、飼い始めて1年ほど経ったころ、愛犬が急死してしまったんです。あまりに悲しくて、「これはきっと何か意味があることに違いない」と思わないと受け入れられませんでした。その意味を探すなかで出てきたのは、愛犬が僕に「世界一周しておいで」と言ってくれているのではないか、というものでした。

さらにちょうどそのころ、リクルートでの仕事も、自分のなかで目標にしてきたことが達成でき、卒業検定をクリアしたような感覚もありました。ふたつのタイミングが重なり、「いま辞めなかったらもう辞めないだろう」と、愛犬が亡くなった1週間後に退職届を出しました。

フリーランスの“いい仕事”に光を当てるアワード
──協会との出会いは、リクルート時代の上司だった祐佳さんのご紹介でしょうか?
中原:そうですね。僕が辞めることを祐佳さんが聞いて、声をかけてくれました。そのとき、協会での仕事の詳細は知らなかったのですが、信頼している祐佳さんからの誘いだったので、即決でしたね。
事務局に入ってからは、祐佳さんと同じジョブ創出プロジェクトで、フリーランス活用の相談窓口「求人ステーション」のコンシェルジュや、認定人材会社の審査、認定人材会社間の連携サポートなどに携わっています。
──毎年開催している、フリーランスパートナーシップアワードの本選の司会も担当されているそうですね。当日の会場の様子や感想などお聞かせください!
中原:このアワードは、フリーランスの方々と企業の方々がタッグを組んだ“良い事例”を共有する場。熱量のこもったプレゼンテーションはどれも見応えがあり、感動しました。

僕も会社員時代に「良い仕事」を発表しあうアワードがあり、表彰を受けたことがあります。そのおかげで、その後の仕事人生が変わったと言っても過言ではないほど、大きな出来事でした。まわりから認めてもらえたことで、自分に自信を持つことができたのを覚えています。
公の場で、自分の仕事が評価されるのは、フリーランスではなおさら嬉しいこと。今回のアワードが、表彰された方にとって特別な機会になっていたら嬉しいです。そして、このアワードで選ばれることが目標のひとつになって、企業とフリーランスの良いパートナーシップが生まれていく土壌がつくれたら、さらに嬉しいですね。
熱量の高い、フリーランス業界の今後が楽しみ
──プレイヤー、マネージャーとさまざまなご経験をされてきた中原さんから見て、協会の事務局メンバーはどう映っていますか?
中原:まさに理想にしていた「みんな好きに、自由にやりたいことをハイレベルでやる」を体現しているチームだなと感じています。
一人ひとりが主体性を発揮して、指示を待っている人はほぼいない。「これをこんなやり方で進めますが、どうですか」など、自分で考えながら進むので、ミーティングの発言やコミュニケーションの取り方を見ているだけでも、気持ちがいいです。

現場で自律的に意思決定できるのは、個々人が協会のビジョンを理解しているからこそ。またそれぞれが確立した専門性を持ち、協会以外にもさまざまな仕事をして自律しているので、仕事の進め方や発言にも余裕があるなと感じます。
──これからの協会に期待することはありますか?
中原:フリーランス業界はこれからますますおもしろくなると思うので、それを見ていきたいですね。25年前の人材業界における中途採用の転職市場は、「転職する若手は根性がない」などと当然のように言われていた時代。それが、今では中途採用の転職市場は、この20年ほどでずっと拡大し続けています。
いまのフリーランスという働き方に関する熱量も、25年前の転職市場と同じようなエネルギッシュさを感じています。時代の変化とともに働き方に対する価値観はどんどん変化していく。そんな変化を間近で体感できているのは嬉しいですし、今後が楽しみです!
【 私の道しるべ 】 「迷ったときは、過激なほうを選べ」
僕はもともとビビリだし、“計算”ができない無鉄砲な性格なわけでもない。そんな自分が迷う範囲内なら、後先も多少は考えたうえでの選択肢だと思うので、より過激なほうを選んだほうが楽しいよな、と思っています。
会社を辞めて世界一周するのも、自分が考えた選択肢のなかで、一番突飛で、やっぱりおもしろいよな、と思ったから。
思えば、僕が40歳で「50歳になったら会社を辞め、世界一周する!」と公言した10年前は、まわりから「そんなこと言ってもたぶん仕事辞められないよ。家族もいるし」と、否定的な意見が返ってきました。それが、いまは「自由に、夢を叶えているのが素敵ですね」と言ってくれる人ばかりなんです。
「こんなふうになりたいな」と突飛な考えが浮かんだとして、それは「今の時代」では非常識と思われるかもしれないけれど、“不正解”ではないかもしれない。10年後には、それが当たり前になっているかもしれない。
たとえまわりに否定されようと、今の当たり前が今後の当たり前とは限らない。
大事にしたいのは、自分自身の考え。だから、まずは自分を信じてみること。自由に、やわらかく、おもしろい方へ。僕は、これからも過激なほうを選択をしていきたいと思います!
キャリアアドバイザーとして活躍されてきたのも納得の通り、柔らかく話しやすい雰囲気でコミュニケーションをとってくださる中原さん。しかしその内容は深く哲学的で、取材中は人生哲学の授業のようなひとときでした。
一見突飛と思われる考えも、もしかしたら10年後には当たり前になっているかもしれない──。実体験からの言葉にこもる説得力。時や場所で変わる“常識”にとらわれず、自分を信じて、軽やかにいきたいものです!
ライター:渡邉雅子
PR会社勤務、フィジー留学を経て豪州ワーホリ中にライターに。帰国後ITベンチャー等を経て、2014年に独立。2016年より福岡在住。現在は糸島界隈を拠点にフリーライターとして活動。多様な働き方や、ソーシャルグッドな企業まわりの取材執筆が多め。ZINE制作、写真、絵本の読み語り活動も。海辺とおいしい野菜が好き。
Web: https://masakowatanabe.themedia.jp/
