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独身と既婚と子どもと

私はハッキリ言って母とか嫁とかいう女達が嫌いだ
「誰かのために生きてる」という使命感が嫌いだ
そしてそれは正しいことであるという
正義感が苦しい

                  漫画『地獄のガールフレンド』より

先日子どもができたとグループLINEが流れてきた。けれど他の友人のようにキラキラした絵文字で祝福することなく『おめでとう』の一言だけ返した。
SNSを開くと友人の子どもの成長日記が並んでいる、気づけば数人そっとミュートにしていた。

巷では独身と既婚で価値観のズレがあると言われているが、私も例に漏れずこのズレに対応できないでいる。可愛くてしょうがないであろう自分の子どもの写真をUPする友人たちが悪いわけではない。冷めているのか、私の許容範囲が狭いのだろうか。”ふつう”の模範通りの人生が送れていないことによる後ろめたさみたいなものもあるのかもしれない。

しかし今まで30数年生きて来て決して悪い人生を送って来たわけではないし、私は私なりに楽しく生きてきたつもりだ。今の生活にも不満はないし、これからもきっとこのスタンスは変わらないだろう。

所謂結婚というものにあまり興味がない。
けれど悲しいことに社会はそれをあまり良しとしてくれない。法律や制度も家族4人基準で、子どもがいることによる支援制度もたくさんある。しかし独身にはそんな制度は存在しない。
もちろん国として子どもが大事なのはわかる、けれど独身にももう少し優しくして欲しいななんて思ったりするのは私だけではないはずだ。

人生は最大の暇つぶしだ、なんていうけれど要はどこに重きを置くかなのだろう。家庭が大事な人は結婚して子どもが生まれて自然と子育てが趣味みたいになっていくんだろう。私はそうではない。私は私が大事。自分の時間が大切。

事情があって今はいないのだが、一時期犬を飼っていたことがある。子犬だったので夜中トイレに起こされたり最初は慣れるまで大変だった。毎朝散歩のため6時には起き、夕方再び散歩、部屋は犬グッズで溢れ気づけば犬中心の生活になっていた。今犬のいない生活になっていかに犬に時間を使っていたか実感している。もちろん犬は昔から大好きだし、道端で見つけようものなら全力でワシワシしに行くほどだ。でも飼うとなるといかに時間と労力を消費するかが身に染みてわかった。もちろんいるだけで癒されるのは大前提だけど。
恐らく子どもができると同じような現象が起きるのだろう。インテリアに凝っていたけれどおもちゃだらけになる部屋、ごはんも子どもに合わせたメニューなど生活様式がまるで変わってしまうのだ。

言い方が悪いかもしれないが、犬を飼うのも子育ても要は人生の暇つぶしの一部なんだろう。子育てに関しては本能的な部分のあるけれど、今や100年と言われる長い人生の中でうまく時間を消費するためのものなのかもしれない。

私も結婚には興味がないとはいえ、これからどうなるかは果たしてわからない。もしかしたらご縁あって結婚して子どももこさえる可能性もゼロではない。でももしそうなったとしてSNSにUPするのは自分の子ども以外のことにしておこう。



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