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歴史・体・人のすべてを緩やかにつなぐ

TEXT BY MOMOKA YAMAGUCHI
PHOTO BY TAKAHIRO MIZUKO
※フリーペーパーSTAR*15号掲載記事より

ハブヒロシ(土生 裕)さんは東京を拠点に世界で活動してきた音楽家です。東京の荒川区から高梁市有漢町(うかん-ちょう)へ地域おこし協力隊員として移り住み、有漢の郷土芸能「長蔵音頭」の復活に取り組まれました。

音楽は社会にどのような影響をもたらすのか。土生さんが取り組まれた「長蔵音頭(ちょうぞう-おんど)」復活の話から音楽とまちと人との繋がりについて聞いていきます。

有漢町の郷土芸能
長蔵音頭

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Q:土生さんと音楽の出会いについて教えて下さい

 音楽との出会いは幼稚園から始めた習い事で、さまざまな楽器を習いましたが、中でも得意だったのが打楽器でした。昔から郷土芸能も好きで、大学を卒業した後は音楽活動をしていく中で、近代以降の音楽という枠からハミでた民俗芸能や郷土芸能の世界にのめり込んでいきました。

Q:郷土芸能のどのようなところに魅力を感じますか

 郷土芸能というのは人々の日々の営みの中から生まれてくるもので、そこで表現される型には必然性がありました。現代の人がただ形だけを真似したとしても本来の生命力が失われてしまっていることがあります。アフリカ、インドネシア、インド、台湾など様々な芸能に触れ合ってきましたが、基本的に郷土芸能は人々の信仰と密接に繋がっているので、そこで表現されているものは現代の商業音楽と比べて表現のひだが細かくまさに神業の領域でした。なので、やはり観光用に表現されたものは質が低くなる傾向があります。普通にテレビやネットを見てるだけでは出会えないような音楽性に惹かれていきました。

 郷土芸能は皆で楽しむものというのが前提にありますが、娯楽に溢れた現代においては、日本の郷土芸能は人々の興味が失われつつあります。
 高梁市有漢町に地域おこし協力隊員として移り住み、すぐに郷土芸能について調べ始めたのですが、やはり有漢町の芸能も既に失われていました。

Q:長蔵音頭の復活の経緯について教えて下さい

 高梁市有漢町の郷土芸能について調べると、昭和50年創刊の本に郷土芸能があったことが記述されており、本の編纂委員をされていた一人、101歳の蛭田(ひるた)先生から長蔵音頭の存在を教えていただきました。長蔵音頭の詞「長蔵物語」は神社にも祀られていたのですが、踊れる方はいなく、復元は難しいかと思われました。

 ですが、ある時「歌詞は違うが隣町の巨瀬町(こせ-ちょう)に伝わる古い音頭と同じだった」という話を聞き、巨瀬町で資料を調査し、その音頭に詞を当てたところ地域の老人が「まさにそれじゃ!」と言ってくれました。地元の祭りで披露すると皆さん音頭を思い出して踊ってくださり有漢町の郷土芸能「長蔵音頭」が少しずつ地域に浸透していきました。

Q:長蔵音頭とはどのようなものでしょうか

 長蔵音頭にもある四つ拍子は有漢町で一番古い300年以上前からある音頭で、昭和50年ごろ文化が消滅することを恐れた地元の人たちが、長蔵夫妻の物語と四つ拍子を組み合わせ長蔵音頭を作りました。

 長蔵物語とは天明の飢饉のころ有漢で実際にあった話で、村で庄屋をやっていた長蔵夫妻が、貧しさに苦しむ農民たちに容赦なく年貢を取り立てる代官へ訴えかけ、自らと妻を犠牲にして年貢の取り立てを止めてもらい、村を救ったという話です。
 村には長蔵夫妻のお墓があり、村人が絶やさず線香を供えていましたが、歴史の風化とともになくなり、その後長蔵音頭という形で復活、20数年前に音頭取りが亡くなったことで、再び消滅しました。

音楽は
時代を写すもの

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Q:長蔵音頭が消えってしまったのには、どのような理由があると考えられますか

 原因としては、昭和50年の高度経済成長をきっかけに全体の社会構造や生活様式が大きく変化したことにあるのではないでしょうか。

 盆踊りは隣村同士の男女交流の場としても機能していましたが、生活や交通、娯楽などの変化で交流の場も変わり盆踊りが機能しなくなったのです。盆踊りはこれまで共同体において最大の楽しみの一つでしたが、時代の変化によって音頭が滅びるのは避けられないことなのかもしれません。村の人口も減り、世帯も変わり地域全体で作り上げていた文化が続けられなくなったのです。

Q:「長蔵音頭」や郷土芸能を復活させることはこれからの社会にどのような影響があると思いますか

 長蔵物語には昔の知恵と勇気がこめられています。
 彼らの物語は、行き過ぎると全体主義にも捉える事ができますが、飢饉のなか自分と引き換えに皆のためと行動したこの物語は、お金と個人主義が強い今の社会では、中々受け入れづらいかもしれません。しかし、現代社会でも良い面と上手くいかない面があり、このような物語によって現代社会と相対化ができ、当たり前だと思っていたことが実は長い歴史や広い世界でみるとそうではなかったことに気付かされ改善へのヒントになることもあります。だから、今役立たないから捨てるのではなくて、貴重だと思うものは残していくべきですし、長蔵音頭はこれからも残していくべきだと私は思いました。

 また、長蔵音頭は音楽的にも価値があると思います。童謡や盆踊りのメロディは近代以前と以後では全く違います。近代以後の人間が以前のメロディを真似たとしても真の命の通ったメロディとして作り出すことは不可能であり、そういう節回しの型はこの土地でしか生まれないため大変貴重なんです。

洗練されすぎると
こぼれ落ちてしますもの

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Q:音楽から見る「空」とはなんでしょうか

 例えば、現代の音楽において一つ一つの楽器を見てみても、かなり洗練されてますよね。洗練されすぎていて、私なんかはそこに自分自身が入り込む隙間・空(スペース)を見つける事ができませんでした。人間自体が完璧になれないので洗練されすぎるとこぼれ落ちてしまうものがあるのではないかと思います。
 また、演奏するリズムにおいても、楽器を始める人は既に出来上がった形だけを学ぶけど、どのようにしてそのリズムが作られたかその発生源を知ることが無いんです。私はものごとの発生源を辿るのが好きで、リズムの発生源が知りたいと思って東京から有漢に向かう際、自作の太鼓「遊鼓」でその時最も足を進めやすい、心地よいリズムを叩きながら歩いていきました。

 例えば山に登る時は軽快に前へ進めるような軽めのテンポ、砂浜を歩く時は体の重心を安定させるようゆっくりとしたテンポになり、アスファルトを歩く時は今っぽいテンポになります。そして上から下へ落ちるようなリズムのとり方と下から上へ弾むようなリズムのとり方でも音の印象は変わります。

 実際に歩いていると地形によってリズムがまったく変わります。つまり体と環境とリズムそして音楽は全て繋がっているんです。私はそのような経験を積み重ねることでようやく自分自身が呼吸できる余地(空)のある音楽を見つける事ができました。郷土芸能というのも人々の営みの中から生まれてきているからこそ、自分たちの身の丈にあった、気持ちよく呼吸できるスペース(空)があるのだと思います。

 体とリズムという点では今回再編集した長蔵音頭のテンポ感は子供からお年寄り皆が踊って疲れないように踊れば踊るほど元気になるテンポ感で作っています。文化は活力を与えるもの。音頭も皆が一つの輪になって踊ることで活力が与えられるようなテンポが重要なのです。

過去を知ることで
今と繋がり、
未来を語れるようになる

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Q:環境と音楽の関係について、リズムにも地域の固有性があるのでしょうか

 例えば四つ拍子はもともと伊勢参りをとおして伝搬していったものです。民謡などの音楽は伝言ゲームのように少しずつ形を変えて伝わっていく面白さがあり空間的にも歴史的にも少しずつ変わっていく。固有性の分析もできますが、この地域のこの音楽は〇〇が特徴、というより、音楽まるごとが固有のものであると言えます。

Q:日本の音楽全体では何か共通点がありますか

 どこでカテゴライズするかによって変わりますが、南方系の芸能、小笠原諸島の芸能もあれば、北のアイヌ文化もありますし、同じ日本の中でも場所によって全く異なります。ですが、近代以前の盆踊りはよく似ており、本州は似通っている点もあります。細かく見ると色々と違いますが、長蔵音頭と河内音頭は似た匂いを感じます。

Q:これからの時代わたしたちが希望を詠い生きていくには何が必要だと思いますか

 今の科学技術は人間の身体性から離れていて、その技術がどうやってできるのか分からない。今理解できないものが未来にどう繋がるか想像できないと、人は不安定になります。昔であれば神話を通して世界の仕組みが語られ、死後の世界や生についても考えられたと思いますが、今はそうもいきません。発生プロセスが納得できなければ未来もわからないし安定しない。ですが、自分なりに納得できれば未来も見えてくるのではないかと思うのです。そして納得するためには経験と直結するーーつまり身体性に基づいた世界観とコスモロジーが重要になってくると思います。でないと科学技術に人間自身が飲み込まれてしまうでしょう。

 身体性という点からこれからは益々<体験する音楽>が重要になってきます。盆踊りの輪のような、踊りたくなければ踊らなくてもいい、老若男女も別け隔てなく参加できる弱いつながり。その柔軟な世界との繋がりは、人間の健康にとって大事だと思います。

 一人ひとりが活力を持って生きていくのが大事です。例えば小学生クラスが少人数の中でコミュニティの調和を保つのは子供の精神的にも厳しい。しかし、30人くらいいれば信頼できる友達が一人は出来てくるように、コミュニティの多様性をもたせる、いろんな変な人と会う経験も今は減っているのではないでしょうか。
 盆踊りは教育の面でも多様な人と出会う良い経験の場になる。生きる力をつけるのは経験や体験です。単純に楽しいことも大事ですが、あえていうなら盆踊りは経験を培う教育の場にもなります。

 また、今は歴史とも分断されている。とくに有漢町のシンボリックな歴史である長蔵夫妻のお話を踊りで体感的に学ぶことで見える未来もあるのかなと。
 人とのつながり、歴史とのつながり、体とのつながりを取り戻す。身体性を取り戻すことで回復していく。その役割が音楽だと思っています。

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遊鼓(ユウコ)
遊鼓は土生さん自作の太鼓。国内外の打楽器を学ぶ中、どの楽器を演奏してもどこか一体感が得られず、自分の音楽を追求した結果うまれた。
「打楽器は様々な地域にありますが真髄を学ぼうとしても結局よそ者であることは変わらず本物にはなれないジレンマがありました。現代の楽器は洗練されすぎており、パワーがない。楽しむ分には良いが自分が入り込める空がない。洗練されていないプロセスそのものが現れているようなものが、自分のような洗練されていない人間にとっては息がしやすいです。」

UKAN CAMPUR ORCHESTRA(ウカン チャンプル オーケストラ)
2年前に土生さんを中心に結成された音楽グループ。チャンプルはインドネシア語で「混ぜる」、世代も音楽をやったことがない人も参加できるオーケストラにしたいという思いから生まれた。長蔵音頭がよみがえったとき、村には多くのインドネシアから来た方が働いており、インドネシアの芸能に詳しく、交流経験もあった土生さんは音楽で息抜きをしてもらえたらと彼らと一緒に音楽を作り、現在は地域住民と一緒に演奏している。

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 洗練されたものは人を分ける。盆踊りは時代とともに変わり、洗練さとは一線を画すが、盆踊りだからこそ全ての人をすべからく包み込む力は、2極化ではない緩やかなつながりをとおして人々に活力を与える。

 また、リズムは人の身体と精神と環境とが一つになったとき生まれる固有のものであり、音楽は自分の精神と身体とのつながり、過去を生きてきた人々と今生きる私たちの意識とのつながりを思い起こさせる潜在的な力を持つ。実際に手で触れ、目で見て、音を聞くというでしか理解できない私たちにとって音楽は触れない過去を知り、見えない今を感じ、未来を詠うためのなくてはならない手段なのである。
 そして、長蔵音頭の話を通し、歴史・体・人のすべてを緩やかにつなぐ、音楽のひとつの役割がそこにあった。

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PROFILE / HIROSHI HABU
ハブヒロシ(土生 裕) 音楽家・遊鼓奏者
2007年 インドネシア国立芸術大学スラカルタ校留学
2008年 東京造形大学映画専攻を卒業後、馬喰町バンドや松崎ナオらと共に音楽活動に専念する。
2011年 セネガルの人間国宝ドゥドゥ・ンジャエ・ローズ・ファミリーのもとで修行
2012年 自作太鼓〈遊鼓〉誕生
2017年 東京から岡山県高梁市まで遊鼓を叩きながら歩いて移住


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