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名曲の数々に生き方を学ぶ



みなさん、
今日はどのような朝を迎えていますか?


僕は、しばらくの時間、
波の音や風の音に耳を澄ませて
時間を過ごしていました。

そんな、ゆったりとした一日の始まり。


不思議なことに、
孤島で「音楽の無い」生活をしている今。
色々な音が僕の記憶の中に蘇ってくるんです。

何かと距離を置いた時にこそ、
一番近くにその存在を感じものなのか。

そんなことを想ったりもしました。

今日は、僕と音楽について、
お話をさせていただこうと思います。


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音楽との出会い。

それは祖母の影響からです。

祖母は、若い頃にピアノを弾いていたらしく、
クラシック音楽をこよなく愛する人でした。

幼き頃、僕が家の中でいつもいる場所といえば、
祖父がいるお茶室か、祖母の部屋。

昔の女性にとって自分の部屋をもつことは
珍しかったのですが体が弱かった祖母のために
祖父の気遣いで用意した6畳ほどの和室が
祖母の大切な空間でした。

その和室には、いつも古い蓄音機と
数多くの音楽家たちのレコードが
コレクションしてあったんです。

ベートーベン、バッハ、
ブラームス、モーツアルト。

祖母が和室でお香を楽しんでいる時や、
誰かに想いを乗せて手紙を書いている時、
部屋の炬燵で祖母と一緒に、
お茶会で余った和菓子を食べている時も、
常にそこにはオーケストラが奏でる音楽が
蓄音機から流れていました。

僕にとっての音楽とは、
ポップソングでも歌謡曲でもありません。

物心ついた時に祖母とともに、
その部屋で耳にしてきた
数々のクラシック音楽なんです。

それが僕の音楽との出会いでした。


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それから、
幾年か経ったでしょうか。

祖母もすでにこの世を去り、
気がつけば幼かった僕も、
世間からは大人と言われるようになっていました。

そんなある日、
ふと再びあのオーケストラが奏でる音、
祖母と共に聞いた数々の曲を、
聴きたくなったんです。

当時の僕は、東京で一人で住んでいていました。
もちろん蓄音機なんてものは持っていません。
仕方なしに、僕は世間からだいぶ遅れて、
生まれて初めてCDを買うことにしたんですね。

購入したのは、中古で販売されていた、
クラシックのBOXセット。
祖母と共に聞いた数々の曲がそこには収められていました。

それは、BOXというのにはあまりに軽々しい。
オルゴールの木箱のように丁寧な作りで、
お店の棚の上に、大切に置かれていたんです。

これを買った時の、
お店のご主人の嬉しそうな表情は何を意味していたのか、
主人もまた大切にしていたものなのか、
その時の光景は今でも忘れません(笑)

木箱の中に収められているCDは20枚ほど。
祖母と共に聞いた、モーツァルトやベートーベン、
リストやブラームスの名前もそこにはありました。

木箱を開いただけで、
音楽が流れてきそうな、、、。
そんな不思議な佇まい。

それ以来、その木箱は、
僕にとって小さな宇宙のような存在になったんです。


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僕は人生の節目で、
幾度となくその小宇宙が収められた木箱を開いては、
その数々の音に耳を傾けてきました。

そのようにして、
祖母との思い出とともに、
それぞれの音楽家たちの紡いだ音に助けられもしました。

会社員として働いていた当時、
僕は自分の生み出す企画の限界を感じていたこともあったんです。
徹夜をしながら、眠たい目をこすりながら、
そんな時に、ベートーベンの交響曲第九番に救いを求めていました。

「第九」の静かで軽やかに始まるその第一楽章の静けさと、
その旋律の果てに「合唱」で歓喜し気持ち高ぶる第四楽章、
あの世界観に何度も救われた。

どんなに辛い時でも、
自分の人生は、その交響曲の第一楽章あたりなのだと、
まだまだ自分には第二、第三楽章へと続いていくんだと言い聞かせ、
自分を慰めていたものです。
第九の第四楽章の「合唱」の部分を
何度も何度も聴いていたことが懐かしい、、、。

また、30代の時、
大切な人を亡くしました。
彼女はピアノを愛する人でした。
それ以来、ショパンの紡いだ「別れの曲」は、
二人の辛い別れの状況とも重なり、
僕にはなくてはならない存在になりました。
その音色を聞き、無力だった自分を悔やみながら、
自分に与えられる全てを誰かの人生のために
活かしていけたらと思うようにもなりました。

また、起業をしたばかりの時、
東京の夜景を一望しながら、
エルガーの行進曲「威風堂々」を聞きながら、
自分自身を鼓舞していたことも
今となっては懐かしい思い出ですね。

そのようにして、
今日までの節目の中で、
その木箱の中の数々の音楽に、
何度も何度も、生きる意味を求めていったんです。


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音楽好きな人にとって、
昨今のインターネットの登場で、
音楽は随分と身近な存在になりました。

CD屋さんにいかなくてもいい。
もちろん、蓄音機やレコードなんてなくてもいい。

音楽はただ音楽として。

時に無味乾燥なデータとして処理され、
音そのものとして扱われる。

そんな状況に、
どこか空虚さを感じることもあります。

ですが、
たとえ時代に忘れ去られようとしていても。
未来の骨董品となろうとも、
僕はこの木箱に収められたプラスチックの音楽盤を
手放すことは無いのだと思います。

形あるものは、
それを持つ人の思いが宿ります。
そこには色々な物語が刻まれます。

そうしたものが、
音楽とともに、ふと記憶の中に呼び起こされて、
心の支えになることがあるんです。


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僕は残りの人生の中で、
あとどれ程の数だけ、
この木箱を開けることになるかは分かりません。

そして、
そこに収められたどの音楽を訪ねるのかも。

今日は一日、
そんなことを考えていたんです。

ただ繰り返される、
穏やかな波の音の向こうで、
うっすらと僕の記憶の中の音楽が
聞こえてきました。




もう少しだけ、
この時間を愉しんでいようと思います。




みなさん、今日も素敵な一日に。





いつもありがとうございます。


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