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スマホとの距離問題【オンガク猫団コラムvol.33】


CDなんかで落語を聴いていると、古い日本語の表現に出くわして「ほぅ~」と唸ることがある。そんな言葉、きょうび日常会話ではまず使わないなあ、と。オイラの日常会話のセンスがズレている可能性も否定出来ないけれど、例えばこんな言葉。「やったりとったり」とか。こういう手合の言葉を日常会話にさり気なく差し込んで、話相手の反応を見たりなんかしたいなあ、なんて遊びゴコロみたいな気持ちがいつも胸の中でスタンバイしている。けれどもベンチの控え選手みたいな言葉は、惜しいことに滅多に使う機会がないものだ。

そんな古語の中で、言葉の語感がなんとも耳に心地良くて気に入っているものがある。「倒けつ転びつ(コケツマロビツ)」。リズム感というか、口の中で呪文のように唱えると、なんだかちょっとだけ気持ちいいのだ。理由はよく分からないのだけど、一度口にすると楽しくて、3回位は「コケツマロビツ、コケツマロビツ、コケツマロビツ」と言ってしまいたくなる。カチッと小気味いい音がして、何かの蓋がピタッと閉まった時みたいな、アハ体験に似たエクスタシーがそこにあるのだ。現代詩の朗読会みたいな雰囲気で、ひとりニヤケ顔で「コケツマロビツ」をモゴモゴと喋っているところは、我ながら薄気味悪くて誰にも見られたくねえなあ、と思う。恐らくヤバイ病院に連行されるか、ポリスメンに職質されてしまうこと請け合いだ。

そういえば、もう大分前の話になるけど、某駅のホームで構内のアナウンスが聞こえてきた。当時オイラはとても疲れていて、ふと気がつくとオウム返しにそのアナウンスを無意識に口にしていた。「しんじゅくさんちょうめー、しんじゅくさんちょうめー、しんじゅくさんちょうめー」あれ?このリズム感、既知感がすごいな。なんだっけ?「しんじゅくさんちょうめー、しんじゅくさんちょうめー、しんじゅくさんちょうめー」思い出した!「そんなの関係ねぇー、そんなの関係ねぇー、そんなの関係ねぇー」あー、すっきりした。

随分と遠回りしてしまったが、最近ようやく「コケツマロビツ」な事件が我が身に起こったのである。その場所は、なんと某家電量販店だ。足元がふらついて、大コケした理由というのは、スマホのケースコーナーである出来事があったからである。オイラの使っているスマホのケースが、少し傷んできたので、新しいケースを求めて物色しに来店していたのだ。店員は怪訝な顔をしてすっ飛んできた。「大丈夫ですか?」オイラは、恥ずかしさと、商品を壊していたらどうしようという申し訳ない気持で一杯になる。なんとか商品はことなきを得た様子。いや、ひょっとしたら、いくつかの商品を破損した可能性もあるが、店員はそのことでオイラを咎めなかった。

ケースの替えは来店するなりすぐに見つかったが、幾分前に出た機種だったせいであまり選択の余地がなくなっていた。まあ、この中で決めうちしてしまえばOKなのだが、なんとなくそうしたくない自分がいたのである。ほんの数ヶ月前に別の用事で来店した際には、この数の数倍は陳列されていたのをしかと目撃していた。ああ、あのとき買っとけば良かったという気持ちと、新機種が矢継ぎ早にリリースされてしまう世の中のスピードにやれやれという気分になる。まさに桑海の変。

スマホケースなんて使わず、ムキ出しでいいような気持ちもあるにはある。事実、二つ折りの携帯電話を使っていたときは、いつもズボンのポケットに無造作に捩じ込んでいた。床に落とすこともしばしば。しかし、当時の携帯は野生児のように頑丈でビクともしなかった。一方、軽量化を追求するあまり、今のスマホはどんどん脆弱性が増しているようである。それは仕方ないことなのかもしれないけど、その分過保護になり、ショックアブソーバーとして、うっかり滑って落とたときの保険としてケースを装着したくなるのである。

オイラは、ケース売り場で馬鹿げた考えに囚われていたのだ。ひょっとして、ひとつ前の機種だが、最新のケースに入るんじゃないかと。その愚かでスリリングな思いつきが背中を押した。自己責任という四文字が頭の隅にちらつきながらも、自分のスマホを取り出す。現在使っている少しやつれたケースを外し、ムキダシにする。サンプルで展示してある最新のソフトケースに恐る恐る嵌めてみた。ボリュームボタンとか細かい位置は異なっていたが、なんとすっぽり入ったのだ。クララが立った!もはやそんな心境だった。モーゼの十戒のように、突如目の前に選択肢という希望の道が拓かれた。

ソフトケースは問題ない。では、ハードケースはどうだろう。これもピッタリ。安全カバーという意味では申し分ない。よおし、それじゃあ最新機種のコーナーをじっくり探そう。オイラはハードケースからスマホを取り出す。いや、取れない。意外と固いな。なにげに力んだら、カチャリとスマホが外れて宙に舞う。安来節の鰻のように。突然、世界はスローモーションになる。スマホはオイラの目の前でゆっくりと旋回した。BGMは「美しき青きドナウ」だ。

スマホはなんとか空中でキャッチしたものの、ぶら下がっていたケースにもつれた足が什器に激突してケースがバラバラとニュートンの林檎のように落下し、オイラはドンと尻餅をつく。周囲に喧しい音が響く。全身から冷や汗が出た。こういう時、周囲はみてみないふりをする。こんな時の日本人の空気を読む処遇はウェルカム。ああ、無関心万歳。

今の心境は?と意地悪なインタビューアーにコメントを求められたら、苦笑いでこう言った筈だ。「局地的な地震ですね。たった今、確かに揺れましたが…」と。結局、気に入った固いケースを買って帰れたが、実に、恥ずかしいケースだった。。。

         * * *

後で、無傷で済んだスマホを見ながらボーッと考えてみた。宙を舞ったスマホをあれほど必死でキャッチした理由って、一体何だったんだろうな、って。修理代。それとも、失くなるかもしれないデータ。オイラはゲームもやらないし、キャッシュも使わないし、怪しいデータも入っていない。実はもし多少壊れてしまってもそんなに困ることはないのである。スマホは、漠然と大事なモノというシンボルなのかも知れない。オイラとスマホの距離について考えなおす、いい機会になったような気がする。

オンガク猫団(挿絵:髙田 ナッツ)

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