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自然と一緒に呼吸する & AIを使った技術に追いつく

(写真は、夏の間だけやっている農家の手伝いバイトの帰り道の写真。自転車で通っているので、ちょこちょこ写真を撮れる。この広い田んぼ&畑をあと3分漕ぐと高架高速道路の下へ。そこを抜けると、ちょっとした田舎町になります)

今朝、dalle2とか、midjourneyなどという、「こんなイラスト欲しいんだけど」と入力すると、AIがイラストを作成してくれるというソフトを知った。
私はゲームはやらないのだけど、discordのアカウントは成り行き上持っている。
ソフトの中身は基本英語(日本語にしてくれるのもある)だけど、まぁ、一応自分の英語力で読める。
tokenの考え方も、一応わかる。(←いや、あやしい・・・)というレベル。

それで、このソフト。
「これ、めっちゃ面白そう!やりたーい!」と、好奇心・興味津々だし、
「だとすると、自分が使ってるワークショップのあの説明に使えるかも・・・!利便性高ーい!」とも思う。
その一方、
「しんど・・・」
という気持ちも拭えない・・・。

キーボードを叩いた(マウスをクリックした)小さい画面の向こうには、無限の世界がどんどん膨張するように広がっている。
「おもしろーい」「すごーい」(あと「儲かる」?)と思う人たちがその世界を増設しつづけているし、増設してきれいに舗装された道なら、誰でも歩けて、そんな舗装道路のようなアプリ入れて「楽しめるねー」「え、これまだ入れてないの? めっちゃ便利なのに〜」などもやれる。
でも、便利かもしれないけど、なんかすごく広がってて、入り組んでいて、道や言葉をいっぱい覚えないといけなくて、
で、
その世界を知ろうと、小さい窓(スクリーン)越しにそっちを、見る。
面白くて便利で無限なのに、
なぜか、私は窒息していくような気持ちになる。

夏に1ヶ月、毎日農家のアルバイトに行く。3年続けている。
午前中に4時間くらいの簡単な仕事だ。
そこの農家のおじいさんが一理屈しゃべる人で、色々考えさせられる。
「よく、田園を見ると癒される、とか、自然を見るとホッとする、っていうでしょ。それはさ、人間が、植物が育つのと同じようなリズムで、本来は生きるようにできているからじゃないかな。」

夏に出荷するその作物は、ネット注文も受け付けている。
すると、「お客さんに食べさせたいから◯◯日に送って」と日時指定されることがある。
また「日時指定はしなかったけどさ、いつ送ってくるかくらい、事前に連絡してくれない?」という人もいる。
私もどちらかというと、それらの人々の言い分にごもっとも、と思う方だ。
でも、
アルバイトをしているとわかる。
その作物は「足が早く」、採ったらすぐに送らないと美味しくない。
でも、日々どれくらい採れるか、日の当たり具合、雨の降り具合で、前日にようやく予想が立てられるくらいで、数日前からはわからない。決定的なのはその日の朝、畑に出た3時過ぎにわかる。畑の場所によっても違う。
日にち指定された日は、あまり良いものが採れない可能性もある。けど、その日に送れ、っていうなら、それを送る。で、「なんだこりゃ!これで金取るんか!」と怒られたりする。
植物は、人造物のように計画的には作れない。
最大限計画的にできるように、3日おきに苗植えて(コンスタントに収穫できるように)、夏の間だけ、事務も実務も人を争奪戦でやっと雇って、本業の農家さんは1日3、4時間くらいしか寝ないで働いても、「この日のこの時間に送れ」の感覚の人には、「これで商売やってるって言えるのか?!」くらいの勢いで怒られることがある。
その人たちは、おそらく、植物のリズムのことを、体感としてわからない。

毎日緑の空気の中を自転車を漕いで、農家へ行って、
作物に触りながら、今日はいい出来だ、明日はどうだろう、機械が壊れたから今日は手作業だ、とやりながら、おもしろおかしいことを喋ったりして、夏の空気の中で笑いさざめく。(たまに険悪にもなるケド)

そういう日々は、日常的に、パソコンをいじったり、コンクリートの建物に通ったりする身(私)にとっては、ガツンと頭を殴られて、体をゆさゆさ揺さぶられる感覚を覚えさせるものだ。いつも、体の中からすっかり取り替えたように、浄化されていく感じがする。
それは、瞑想とか、マインドフルネスとか、そういうのと全然違う。
頭の中や、心の中や、感情の持ち方を、どうにかするじゃなくて、
強制的に、すっかり全部入れ替えられるような感じ。
植物のリズムへ体と心がチューニングされて、急速に戻っていくような感じだ。

贅沢な場所に暮らしていると思う。
こんな農家で働かせてもらって、ラッキーだと思う。
私なんか、もう、全然アマちゃんだと思う。

そんな私が考えることなので、どんだけ〜?とは思うけど、
AI技術、すげー便利! どう使うんだろ! ってやるのと、
年に1回、1ヶ月、体も心もすっかり入れ替えるみたいな、自然とともに生きる体験と、
まぁ、後者なんだろうな、大事なのは、と思う。
そのために、AIもうまく使っていく、っていうのが、模範解答なんだろう。
でも思う。
膨張していく世界の、それを使えるお金とスキルを持っている人と、
その世界は、それほど関係なくて、身の回りのものと自然の恩恵で暮らす人がいること。
それって、多様性なのかな。
なんだか、分断、って感じがして、
そして、この先、苦しむのはどっちの方なんだろう、なんて考えると、

「植物が成長していくリズムで、本来人は生きるようにできている」
ってわかる人が、
自分も幸せだし、周りも幸せにしていけるように”する”のが
きっと本当なんだろうな。

と、思うようになった。←今年の夏に。

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