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女難

 藤村隆之はいつものように颯爽《さっそう》とポーカーフェイスで出社した。藤村は一見どこにでもいる男だが、他の男にはない特有の色気があった。自然と周囲の女との縁が多くなる。それによって女への怯えは強まり、無難に過ごそうとすることによってますます立ち居振る舞いは颯爽とし、ポーカーフェイスに磨きがかかることになった。

 座席に着いて向こうを見ると、すでに原田景子はいた。今日は出社が早い。原田は藤村より20近く年下で、入社3年目だった。藤村は原田を初めて目にしたとき、美しい女だと思った。藤村も男なので、こんな女と付き合えればと少し妄想もした。そして実際にそうなってしまった。

 藤村は現在同じ職場にいる女性社員のうちの6人に怯えていたが、そのうち4人は藤村と肉体関係を持った女だった。原田は一番新しい6人目であり、4人目だった。残りの2人は、藤村がその気になれず、また秘密を洩らしかねないと判断して避けることにした女だった。その女たちは藤村に少なからず恨みを抱えていたので、彼女たちに原田との関係やその他の沙汰を知られるのは非常にマズかった。

 原田はあくまでこちらを見ない。原田は二人の関係が周囲に知れるのを藤村が恐れていることを理解していて、職場では何食わぬ顔をしている。賢い女だ、とあらためて藤村は感心する。同時にそのスマートさ、要領の良さに怯える。

「君は、その彼とは別れないほうがいい」
 関係を持ったばかりのころ、藤村は電話で原田に言った。
「どうしてそう思うんですか?」
「いや、彼がそんなに悪い男じゃないんなら、そいつとの将来を考えた方がいい。俺と君は年も離れていて、俺は結婚とかする気になかなかなれないから」
「…………」
「君のことは好きだし大事に思ってるけど、将来のことを考えると――」
 このときすでに藤村は原田との関係を後悔していた。感情に流されて深い関係になり、相手から愛され、期待されることへの責任が重くのしかかっていた。
「私は将来とかまだ別にいいんです」
「ああ、そうなの……でも――」
「私とは距離を置きたいってことですか?」
「いや、俺はもちろん別れたくはないよ」
「なら、いいじゃないですか」
「うん……」
 このまま悶々としたやり取りを続けると、原田を怒らせることになるだろうと藤村は思った。女を落胆させ、恨ませることがいかに恐ろしい事態につながるか、藤村は身をもって理解していた。ここはしばらく望み通りにしたほうがいい。

 その後、原田が同世代のボーイフレンドとどうなったのか、藤村は知らない。藤村はただ、原田とときどきどこかでデートをしたり、関係を持つだけだ。原田との関係自体はかなり良好だった。原田からの愛情も感じられたし、原田の美しさに藤村は溺れていた。だが、ふとこの関係がどんな結末をもたらすのかと考え、さまざまな好ましくない光景が頭に浮かび、怯える。

 原田は藤村にとって刺激的だが、年の差のせいか原田が賢すぎるせいか、妙な緊張感がつきまとう。それが藤村に、関係の進展を思いとどまらせていた。いずれは景子も俺を恨むだろう。そして俺は自分が捨てられるかもしれないという恐怖にいつも苛《さいな》まれている。

 上手く行けば結婚もありうる。だが最悪な場合もある。いざとなれば仕方ない、転職だ。もうこの職場を去ろう。どこに行ってもこんな境遇は付きまというそうだ――が、俺ももう中年の域だ。そろそろ解放されるだろう。転職も悪くない。

 藤村は自分の顔に新たなシワやシミができることを、最近は微笑ましく感じている。

(了)

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