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【小説】雨粒

目次

帰郷

地元にて

家族

新年を迎える

元旦

また、しばしの別れ


帰郷

 12月31日、大晦日、東京から地元の桐生市に向かう高速バスの中ほど、窓際の席から、外を眺めていた。昼過ぎに東京を発ったとき、外にはまだ青空がのぞいていた。群馬に入る手前から青は消え、灰色が濃さを増していった。

 来年は大学4年になる。周囲は就活がさかんで、すでに内定を取った友人もいる。僕はといえば、就職したい会社は特にないし、そもそも就職したくないので、自ずと活動も滞る。それでも4社の説明会に行き、そのうちの1社は面接をした。大手電機メーカーだった。

 そして、当然のごとく不採用通知が来た。それが11月末で、それ以来、就活とよべるほどのことはしていない。PCで就活サイトを日課のように眺め、5分でそれを閉じる。それだけだった。

 僕はやっぱり、不採用になったことがショックだったんだと思う。就活を始めて間もないころで、そこまで意気込んでいたわけでもなかったけれど、書類審査が通って面接に来るようにという通知が来たときは、嬉しかった。面接も、僕としては問題なく進んだと思えた。あわよくば二次面接、三次面接と進み、早々にあっさりと採用が決まってしまうかもしれないと思った。

 だが、それらの期待が初めから存在しなかったかのように、薄い不採用通知が届いた。文面には「誠に遺憾ながら、今回は不採用とさせていただきます」とか、「今後益々の御活躍を祈願しております」という言葉があった。僕はその文面に救われたような気さえした。冷たくもなく、労いすぎてもいない。事務的でありながら、気遣いも感じられる。その文面の手紙を送ってきたというだけで、いい会社だと思えた。

 ふと我に返り、この文面は不採用だった者全員に送られているという事実に気付いた。何も僕に向けて特別に書かれたものではない。レストランのカレーと同じだ。誰からも好印象を持たれるであろう、平均値をとったもの、無難なもの。辛すぎず、甘すぎず。この通知の文面作成を任された人事課あたりの何人かの社員は、知恵を出し合ったことだろう。そして彼らの思惑通りかそれ以上の反応を、僕がした。すぐに冷めたとはいえ。

 僕は今後、こんな風に言葉巧みな通知をいくつ手にするのだろう? いや、次に来る通知は、ぶっきらぼうかもしれない。気味が悪いものが来るかもしれない。そんなことを考えるだけで、社会が、大人が、恐ろしく思えた。

 9月に恋人と仲違いして別れたので、もう甘やかして忘れさせてくれる存在もいない。両親はここ半年ほど、僕をけしかけてくる。何を言っていいか分からず、とりあえず就職をネタにして、僕を焦らせようとしているようだった。

 両親と顔を合わせたくはなかった。実家になんて戻りたくなかった。一人でいても気が重いのに、なぜわざわざサンドバッグになりに行くのか? しかしバスは淡々と、地元に向かっていた。

地元にて

 高速バスを降りて近くのコンビニの駐車場に行くと、父親の青いセダンが停まっていた。あらかじめ母親に4時ごろ着くとラインで伝えておいたが、実際に迎えに来たのは父親だった。地元の空気が冷たいせいか、今にも雪が降りそうな曇天のせいか、それとも東京に慣れすぎて地元がさびれて見えるせいか、僕はこれまでになく陰鬱な気分で地元の地を踏みしめ、父親のクルマの方へ向かい、助手席側のドアを開けた。
「どうも、久しぶり」
「ああ」父は特に笑みも見せず、かといって不機嫌でもない表情でうなずきながら言った。

 バスと違って低い位置からの眺めだが、空や山はやはり薄暗く、寒々しかった。カーラジオをつけていたけれど、音声の悪さも相まって、どんな番組で何をしようとしているのか、ほとんど分からなかった。ときどき昔流行った曲が流れた。父親とのあいだに会話はなく、曲が朗らかであればあるほど、気まずさが漂った。僕は耐えられず口にした。
「母さんは? 掃除とか?」
「ああ……掃除と、買い出しだな」
「そうかあ。年末のわりに高速は空いてて、スイスイだった。混んでるのは都心の方だけで」
「そうか」

 それだけ話すと、また重い沈黙が下りた。僕は特に何も話してこない父親に憤りさえ感じた。相手が息子だとはいえ、そのくらいの気遣いもできないのか? それとも、久しぶりに会ったというわけで、いい歳して照れてるのか? どっちにしてもがっかりだ。

 その後、景色を見ながら、ここは変わっただの、ここは相変わらずだなんてことを話して30分のドライブをやり過ごし、実家に辿り着いた。クルマから降りて立ち上がったとき、大きく息をついた。

 今や家には両親と祖母しかいない。東京の、僕とは別の大学に通う妹が、昨日戻ったらしい。家族に会うことにこんなに警戒心を抱いている自分に驚き、悲しく思った。

家族

 僕の実家は木造平屋だ。家の中には祖母と妹がいて、二人とも茶の間でテレビを見ていた。
「ただいま」僕は荷物を持ったまま戸を開け、二人に挨拶した。
「あんら、おかえり」祖母は目を丸くして言った。
「おかえり」妹は僕の方を見て呟いたあと、すぐにテレビに視線を戻した。

 僕は家の奥の自分の部屋に行って荷物を下ろし、それから仏壇と神棚に手を合わせた。これは田舎のしきたりのひとつだ。久しぶりに訪問した場合、他人の家であれ実家であれ、仏壇や神棚に手を合わせる。大学の友人のほとんどは、こういう習慣がないとのことだった。自分がいかに因習にとらわれた田舎育ちであるかを、大学に行って初めて知った。

 友人たちのようにパリピになりきれないのは、そのせいだと僕は考えていた。僕みたいな人間は、おそらく今の日本の中では滅びゆく種族なのだろう。その中でも僕は物静かで気弱なのを自覚している。このままだと、社会でも勝ち残れず、結婚にも踏み切れないだろう。東京に合わない僕がわざわざ東京に行って、苦しい思いをしている。愚かしく悲惨なことだ。

 父親も交えて4人でテレビを見ているうちに、母親が帰ってきた。母親とはそれなりにあたたかい挨拶を交わした。でも、たまたま母親の機嫌がいいだけのようにも思えた。母親はそのまま台所で夕食をつくりはじめた。そう、田舎では家の中で働くのは嫁ばかり、なのだ。しばらくして妹が立ち上がり、手伝いに行った。祖母は腰が曲がり、歩くのも困難な状態のため、こたつにくっついたままだ。

 やがて夕食の支度が整ったという声が聞こえ、僕たちはおもむろに立ち上がった。

新年を迎える

 大晦日から正月の初めにかけては、神棚がある12畳ほどの広間にこたつをつくり、そこで食事をしたり、テレビを見て過ごす。来客もみんなそこだ。そのあいだ、台所のテーブルでは基本的に食事をしない。

 さっきテレビを見ていた部屋は、普段使っている茶の間なのだが、神棚の前にすでにこたつなどを準備していても、やはり慣れた茶の間で過ごしてしまう。それでも大晦日の夕食からは、強制的に神棚のある広間に移る。そして、鍋料理をつつく。今回はすき焼きだった。

 テレビ番組は夜通し〈紅白歌合戦〉。夕食が終わってからも、干し芋や栗やみかん、その他さまざまなものを飲み食いして過ごす。子どものころから、大晦日が一番豪勢な日だと思っていた。

 やがて紅白も終わり、〈ゆく年くる年〉で、年が明ける。そうすると、家族間でも畳に手をついて「あけましておめでとうございます」と言いあう。因習臭くとも、それは僕たちに染み付いている。

 そしてまた事務的に、近所の神社に初詣に向かう。それが午前1時から2時にかけてだ。中には0時前後から神社にいる人もいるが、今やそんな初詣をする人はほとんどいない。多くの人は昼になってからだし、初詣自体しない人も増えている。僕ら家族の場合、父親が、社務所で頑張っている地域の役員の人たちに報いようとして、僕らを夜中に連れていくのだ。

 祖母はここ数年、初詣はしていなかったが、今回は妹も行かないと言い出した。しかし両親はそれを咎めなかった。妹は大学生になってから身勝手になった。僕も行かなくて済むなら行かないで家の中にいたかったが、両親を悲しませることになりそうだし、不機嫌にさせたくもなかったので、行くことにした。

 初詣は、新年を迎えたことや、自分が地元に戻ったことを実感させてくれた。だが、それ以上のことはなかった。あいかわらず両親は、僕に対してあたたかい態度なり言葉なりを示すことはなかった。

 そしてその帰りのクルマのバックシートで、両親が就職について、まだ何も言ってこないことに気付いた。実家に着いてからずっと、なんとなく違和感があったのはそのせいだったのだろう。拍子抜けだ。だが、ひと段落したら、明日にでも言ってくるかもしれない。油断はできない。

元旦

 元日の朝は早々に目覚めた。初詣から戻って3時ごろ寝付いたのに、6時過ぎには寒さで体が震えて目が覚めてしまったのだ。掛け布団の足元の方に隙間ができて、そこから冷気が入ってきていたようだ。布団の中が冷えている。もう一度寝ようとしたが、体が冷えているし、あたたまりようがなかった。

 あきらめて12畳の広間に行き、こたつであたたまりながら横になって寝ることにした。すると、その気配を聞きつけてだろう、祖母が広間に入ってきた。
「早いでねえの」寝間着姿の祖母が、戸口で言った。
「寒くて、眠れなくてさ」
「ばあちゃんも眠れねえ」

 祖母は僕の向かい側でこたつに足を入れ、そのままおとなしくしていた。僕は体を起こし、祖母と話すことにした。

 僕は就活をしていること、だが上手く行かないことを話した。祖母に地元の近況を聞くと、去年は誰々が死んだ、という話をされた。僕の知っているおじいさんやおばあさんが何人か亡くなっていた。
「去年は多かった」と祖母はげんなりした様子で言った。「ウチはたまたま親戚が誰も死ななかったから正月飾れたけんど、去年は葬式だらけだったど」
「でも、ばあちゃんは葬式に出てないでしょ」
「オラは出ねえわい、歩けねえもの」祖母は首を軽く振って、そんなこと、とんでもないという風に言った。

 冬の早朝の田舎は静寂が音として聞こえそうなほど静かで、テレビも何もつけていなかったので、僕たちは半ば囁くように喋っていた。両親と妹は、まだまだ起きてくる気配はなかった。
「何だかさ……」僕はつぶやくように言った。「父さんも母さんも、就職のこと言ってこないんだ」
「就職のこと?」
「うん。不気味なくらいだね。何か企んでるのかな?」
「そんだこと、ありゃしめえ」祖母はまた、とんでもないという風に言った。「子どもら帰ってきたから、嬉しいんだべえ」
「そうかなあ……」
「んだっぺえ」

 祖母に両親の企みなど分かるはずもない。僕はうなずくしかなかった。

また、しばしの別れ

 僕は正月3日まで実家にいて、その日の午後3時発、東京行きの高速バスに乗った。そのあいだ、親戚が訪ねてきたり、こちらから祖母をのぞく4人でいくつかの親戚や近所を訪ねたりした。2日の午後には地元の友人二人と再会してカフェで話し、その晩は家族5人で料亭に行き、それぞれ2千円以上する定食を食べた。

 結局、両親は就職のことについて話題にすることはなかった。高速バスに乗る直前、バス乗り場で両親と、5日まで実家にいるという妹に別れの挨拶をするとき、母親が「頑張りな」と言った。だがそれも、就活と直接結びつけた言い方ではなかった。僕は素直にうなずいて、バスに乗った。

 帰りも曇っていた。だが出発して15分ほどすると、雪が舞い始めた。そのせいで車内が少しざわついた。この4日間、降りそうで降らなかった雪が、今降ったのだ。〈この雪を、家族も見ているだろうか?〉そんなことを考え、気が付くと僕の口元に笑みが浮かんでいた。

 雪を見たのはわずか5分ほどだった。雪は小さな雨粒になりやがてそれも消えてしまった。その後、眠りから覚めて窓の外を見ると、東京の曇天の中にわずかな青空があった。大晦日と同じような空だ。

 バスを降りると、小さく微かな雨粒がひとつ、僕の左手の甲に落ちた。それを目にし、空を見上げた。けれど雨はまったく降っておらず、さっきと同じ曇り空が、知らん顔で広がっていた。

〈了〉


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