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デリカシーの欠片すら持たない、ぼくが僕になるまで

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ぼくが僕になるまでの物語です。ありったけの魂を込めましたので、ぜひお読み下さい。
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#子供

デリカシーのないぼくが僕になるまで

デリカシーのないぼくが僕になるまで

★新たに付け加えた協定その十:この契約はどちらかが断るまで更新してもよい。

「おいおい、また来たのか」僕が部屋に入っても甲野さんは目を開かなかった。ピクリたりとも動かない。
「いいだろ。どうせあんたも暇して寝ていたとこじゃんか」
「俺の事はどうでもいいんだ。部活を見てくる約束だったろ」
 テーブルの上に僕はバッグを置いた。テーブルに備え付けられた椅子を引き、後ろ向きに座る。「ったく、電気ぐらい点

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デリカシーのないぼくが僕になるまで

デリカシーのないぼくが僕になるまで

★ギュルルルルル。キュルル。

 父さんの頬は赤い。テーブルには飲み干したビールの缶と、ふたを開けたもう一つの缶。テレビからの音。高い音。チカチカと瞬くカラフルな色。笑い声。
 ぼくはひっそりと席を離れた。ふとももの下に手を差し込む。イスの後ろ足を空中に浮かす。少しづつ後ろへ━━。
「ちょっと待て」父さんはテレビを消す。顔がこっちに向く。赤い。首が傾き斜めに伸びている。「食器はいいからそこに座れ。

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デリカシーのないぼくが僕になるまで

デリカシーのないぼくが僕になるまで

★ギュルルルルル。キュルル。

 父さんの頬は赤い。テーブルには飲み干したビールの缶と、ふたを開けたもう一つの缶。テレビからの音。高い音。チカチカと瞬くカラフルな色。笑い声。
 ぼくはひっそりと席を離れた。ふとももの下に手を差し込む。イスの後ろ足を空中に浮かす。少しづつ後ろへ━━。

「ちょっと待て」父さんはテレビを消す。顔がこっちに向く。赤い。首が傾き斜めに伸びている。「食器はいいからそこに座れ

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デリカシーのないぼくが僕になるまで

デリカシーのないぼくが僕になるまで

★少しの間、これでしのいでおいてくれ

 ミユが目を醒ましたようだったので、僕は椅子の背凭れから胸を剥がしキッチンへと向かった。ツマミに手をやり、テフロン製のフライパンと小ぶりの鍋を火にかける。
 火が付くと、僕は背中越しに、役割を果たし終えた弾道ミサイルのようにソファに身体を横たえているミユに向かって、「よく眠れたかい?」と声をかけた。両雄の調理器具に熱が行き渡るまでには、まだまだ時間がかかりそ

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デリカシーのないぼくが僕になるまで

デリカシーのないぼくが僕になるまで

協定その九:人を連れてきてはいけない。

「前から聞こう聞こうと思ってたけど、何でこんな大量に本を読むことになったんだ?うちの父親と母親なんてこれっぽっちも読みゃしないぜ」今でさえ読書の真っ最中だ。暇な時間さえあれば小説、教科書と読書に励んでいる。これほど読みこなしていれば一日少なくとも百個の熟語を新たに習得しているはずだ。毎日が新しい発見。世界は驚きで満ち溢れている。

 甲野さんは本から目を

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デリカシーのないぼくが僕になるまで

デリカシーのないぼくが僕になるまで

 八時のニュース。テーブルに置いてある料理はサンプル品みたいに生気がない。
「ああ疲れた。今日も長かった。くそっ、まだ水曜かよ」
 父さんは壁にかけられている時計を見やる。
「お疲れのようだから、ご飯の前にお風呂に入ったら」
「いや、先にご飯だ。今日はシャワーだけ浴びる」

 父さんは上着を席の横に下ろし、キッチンに向かっていった。首元のネクタイを緩めながら冷ぞう庫をのぞく。父さんが冷えた発泡酒を

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こんな小説の始まり方があってもいいんじゃないか。

こんな小説の始まり方があってもいいんじゃないか。

 みなさんに今見てもらったのは、ある人から送られてきたビデオテープの解説である。ビデオテープは腰当てにするにはちょうどいい大きさの小包によって僕の住まいへと届けられた。小包にはビデオテープの他に、数十枚の彼特有のユーモアがちりばめられた原稿も入っていた。それ以外の余ったスペースはというと、これら重要な歴史的文化財を保護すべく丸めた新聞紙によって埋め尽くされていた(だから実際のところ、小包の大半の中

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デリカシーの欠片すら持たない、ぼくが僕になるまで(幼少期⑦)

デリカシーの欠片すら持たない、ぼくが僕になるまで(幼少期⑦)

「母さん。机に置いてあったぼくの本、どこにあるか知らない?」
「どこの机?」
「ぼくの部屋に決まってるだろ」
 母さんは読んでいた雑誌から顔を上げた。「知らないわ。お母さん、今日はあなたの部屋に入っていないもの」

 ぼくはもう一度自分の部屋へ戻って探してみることにした。でも探すとしてもあとは机の裏ぐらい。それか、ほこりのたまっている本だなの上か照明の上ぐらいか。とにかく、空中にでもほうり上げでも

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デリカシーの欠片すら持たない、ぼくが僕になるまで(少年期⑥)

デリカシーの欠片すら持たない、ぼくが僕になるまで(少年期⑥)

★協定その六:月に一度はお休み(最低一週間前までには知らせておく)。

 これ以上眠れないのはわかっていた。だけどもう一回だけ目をしっかりとつむってみる。浅く呼吸を繰り返し、寝ている状態を作り出す。草の湿っぽい匂いも、葉が折れるちくちくとした感じももう消えた。目の奥に、真っ暗な暗闇が広がっているだけ。面白いことは何もない。それでも五分ほど同じ姿勢に耐え、それから芝生との友情を絶った。身体を起こし、

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デリカシーの欠片すら持たない、ぼくが僕になるまで(幼少期⑥)

デリカシーの欠片すら持たない、ぼくが僕になるまで(幼少期⑥)

★ぼくはシェフ。母さんのために料理を作る。

「ベーコンある?」
「ないわ」
「たらこ」
「うーん」
「粉チーズは?」
「たぶんあったと思うけど」ぼくの代わりに母さんが冷ぞう庫をのぞきこむ。ひょっとして母さんなら見つけられるかもしれない。なにせ冷ぞう庫内の食材の配置については、この家の誰よりも詳しいはずだから。けど、もし見つかったとしてもそれって見つかったって言えるのか、それだけが心配だ。ある程度

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ぼくが僕になるまで(少年期⑤)

ぼくが僕になるまで(少年期⑤)

★好きなことをとことん。これ以上に何が必要?

協定その五:期間は一年間。

「そうだな」口の中にきゅうりを残したまま、甲野さんは話し始めた。「さっきの話の続きだが、当時の俺は大学を出たばかりの若造だった。俺の出た大学は世間に名の知れた大学だったから、最初から面白いように内定が取れたんだ。付け加えて景気が良かったのもあった。自分で言うのもなんだが選り取り見取りだった。その内定先から、俺は一番待遇が

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ぼくが僕になるまで(少年期④)

ぼくが僕になるまで(少年期④)

★自分の世話は自分で見れると思っているうちは、まだガキだ。

 協定その四: マンションの他の住人にはちゃんと目を見てあいさつする。

 爪先で探り、扇風機のスイッチを入れた。弱のボタンの上に赤いランプが点き、扇風機はゆっくりと稼働し始める。首が動き、空気の流れを部屋に作る。三十度ほど首を回転させて、また元の位置へ戻る。古いのか、常にカタカタと何かに擦れる音がする。
 甲野さんは窓際に立ち、オーガ

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ぼくが僕になるまで(幼少期④)

ぼくが僕になるまで(幼少期④)

★ぼくは誰のために生きている?それが分かっている人は幸いだ。

 リビングでは父さんと母さんが向かいあって話してた。まるで作戦をねってるみたいに、こぶし一個分の距離で話してる。にっくき相手のチームには聞かれないよう、内輪だけでの作戦会議だ。ぼくはそれを横目にすり抜けて、キッチンに向かった。
 その時、マコト、とリビングから呼びかけられた。担任の先生みたいにしっかりとした発音だ。声のした方へぼくは顔

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