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なぜ安倍総理の改憲案に反対なのか

「必ずや私の手で成し遂げていきたい」

2019年の年末に行われた記者会見で安倍総理は上記の発言をして2020年内の憲法改正に向けての意欲を示した。

しかしながら、今年世界中に蔓延し、日本にも甚大な被害を与えた例の流行り病の影響でもはや憲法改正どころではない。国民の間で高まる政権への不満の高まりを見ると、もはや安倍政権在任中に憲法改正が不可能と思えるぐらいである。

そのこともあってか、安倍総理が掲げる憲法改正案を今の段階で取り上げるのはオフトピックかもしれない。

だが、政治は一寸先は闇である。もしかしすると、安倍政権がここ最近の批判を帳消しにする、功績を残し、憲法改正を可能とする国民投票にこぎつけるだけの力を得るかもしれない。

そのシナリオが起こった時の参考資料として、読者の皆様に筆者が安倍総理が掲げる憲法改正に対し、どのような問題意識を持っているかについて触れたいと思う。


何を目的とした改憲か?

安倍総理は2017年から自衛隊を憲法に明記することを改憲案のひとつとして主張し続けており、2020年までには国民投票を行い、改正を果たすようにしたいと明言していた。(条文を変えずに、自衛隊をただ明記するという案は厳密に言えば加憲だが、この記事では改憲という文言を使用する)

その理由として、自衛隊の法的地位をはっきりさせることがひとつの目的である。安倍総理曰く、未だに多くの憲法学者が自衛隊が憲法違反の存在であたるとしていることが、自衛隊員のプライドを傷つけているため、彼はその現状を変えたいとしている。

この安倍総理の発言を聞くと、政治や憲法論議に全く興味ない人は、「自衛隊かわいそう」だから憲法改正を行って自衛隊の待遇を改善しなきゃ、と思う人も多いだろう。

感情的には筆者もそれらの人々と同じようなものを持っている。しかし、そうであっても彼が掲げる憲法に自衛隊に明記するという案はどうしても納得しがたい。端的に言えば蛇足だと思っている。その理由をこれから記していきたいと思う。


自衛隊違憲論は無責任極まりない

まず、自衛隊を明記しなければいけない理由として、多くの憲法学者が自衛隊を違憲だと言っているからだと安倍総理は指摘する。

2015年に実施された朝日新聞によると122人中77人が自衛隊が憲法違反、又はその可能性があると指摘した。

確かに、過半数以上の憲法学者は自衛隊違憲論を主張しているが、だからといって今すぐに筆者は自衛隊を憲法に明記する必要性は無いと思っている。逆に自衛隊違憲論より、合憲論の方が国民に対して説得力があり、法的にも十分根拠があるものではないかと考える。

仮に何かが違憲状態にあるならば、その何が違憲であり、どのような形で合憲に持っていけばいいかを同時に主張しなればならない。ある事象に問題があり、それが改善する余地があるならば、どう改善するかを提示するが筋である。

そして、その原則に従い、憲法学者たちが自衛隊の存在を違憲とするならば、自衛隊は解体する方向に進んでいくはずである。存在自体が憲法に反するのであれば、その存在を無くすことが憲法との整合性を担保することにつながると考えるのは自然の流れである。

しかし、自衛隊を無くすことは現実として可能であるのか?

政治的に不可能である。まず、自衛隊を解体しようと思えば世論の壁にぶち当たる。国民の9割近くは自衛隊に対して信頼を置いており、自衛隊による災害支援や日本近海での活動によって自分たちの命が守られている、又はいざという時に守られるという強い実感がある。そのことから、国民らが自分にメリットがあると感じている機関をこの段階で解体しようとすると考えるのは非現実的である。

また、自衛隊が解体されるということは他国に自国の安全保障を完全に依存することにつながる。他国から自分の国を防衛できない国は、他国にとってはタダのカモである。なぜなら、仮にその国の施政権が及んでいる、領土や領海に他国が進出して、搾取をしても何もお咎めを受けないからである。

そして、自国に軍事力が無いにも関わらず、その略奪行為を止めようと思えば、最終的には他国の進出を防ぐために第三国を自らの体内に置くことにつながる。しかし、自国の安全保障を完全に他国に委任するということはタダではいかない。そのため、その国は何らかの見返りを自らを守っている国に与えなければいけなくなる。しかしながら、自らが弱い立場にいるがゆえに、他国の見返りとしての要求が段階的にエスカレートすることが予測される。そして、そのせいで、搾取をされることから守ってもらっている国から結果的には搾取の対象となってしまう。このシナリオも国民にとっては許容できないはずである。

自衛隊が憲法違反だと言っている人は上記で述べた、自衛隊が居ない世界を国民に耐えてもらう必要があると主張していることと同じことである。だが、自衛隊違憲論を唱える人たちは、自衛隊を憲法違反としながらも、自衛隊が居ない世界を実現しようとしていないのである。

なぜ彼らは自衛隊を廃止して、違憲状態を完全に解消させないとしないのか?理由は明確であり、彼ら自身はその非現実性に気づいているためである。

それであっても、自衛隊違憲論を主張し続けている人が居るのは無責任極まりない。自分があることに対して、問題だといいながら、それが最終的にどういった形態に落ち着けばいいのかビジョンを示してないのである。


憲法学の権威は自衛隊違憲論の非現実性に気づいている

そして、従来の憲法学者たちが主張し続けた、自衛隊に関する位置づけを見直す動きが憲法学者の間で出てきている。

その代表格が早稲田大学教授の長谷部恭男である。彼は現在の憲法学会の権威であり、2014年の安保法制反対の急先鋒として注目を浴びたが、自衛隊合憲説を初めて積極的に説き始めたうちの一人である。彼は2004年に「憲法と平和を問い直す」という著書の中で自衛隊合憲論を打ち出して、憲法学会に衝撃を与えた。そして、彼のおかげで、護憲派を自認する憲法学者の間でも自衛隊が合憲なので変える必要が無いとしている人が増えてきている。

彼が自衛隊を合憲とする主張は以下のとおりである。

「自衛隊は合憲であると考えている。立憲主義と絶対平和主義という9条解釈は両立しないと考えている。絶対平和主義で国民の生命・安全を保障することはできない。絶対平和主義という価値観を憲法に読み込むのは特定の価値観の強制である」(2015年6月15日、日本記者クラブ)

意訳すると、自衛隊の解体を意味する、絶対平和主義は非現実的であるため、国民の生命、安全を守るために自衛隊という存在が必要である、とのことである。

そして、彼の学説がこれから、さらに主流となっていき、憲法学を学ぶ学生たちが必ず参照しなければいけなくなれば、もはや自衛隊を違憲とする憲法学者は圧倒的少数となる。2000年代以前のイデオロギー色が強かった憲法学会の現状を考えると、ありえない状況である。


憲法改正しなくても、自衛隊は合憲である

これらの筆者の主張から、なぜ安倍総理が掲げる自衛隊を合憲にするための改憲案が蛇足であるかお判りいただけただろうか?

安倍総理は大多数の憲法学者が自衛隊を違憲の存在だと主張しているとしているが、彼らの論理はイデオロギーに偏重しすぎていて、論理的に破綻しており、現在の憲法学会の権威らはそれを修正しようとしている。

また、大多数の国民が自衛隊の活躍を讃えている。

法的にも、政治的にも自衛隊が堂々と合憲であると主張する土壌ができているのである。わざわざ合憲である自衛隊を、憲法改正を通じて合憲にさせるのは、時間、税金の無駄である。

時間、税金を投じるべきは、自衛隊員の待遇を改善するための法律作り、喫緊の脅威から自国を守るための兵器の購入である。


それを知りながら、自らのレガシーづくりのために安倍総理が自衛隊の存在を憲法に明記しようとしているのなら、残念としか言いようがない。


参考文献






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