格差は悪いことなのか?

先日友人がSNSである記事を投稿した。その記事が取り上げていたのはOxfomという貧困を生み出す状況を根絶するために活動している国際NGOが発表した報告書についてだった。その文書によると、世界の超富裕層26人が世界人口の半分の総資産と同額の富を独占していることが統計上明らかになった。そのため富裕層や大企業に課税してその状況を是正しようと提言していた。

この投稿のコメント欄全てが報告書が示していた現状に対して否定的なものであったが、筆者は違うコメントを載せた

悪いことなの?

確かに貧困はこの世から根絶されなければいけない問題ではあるし、余っている富をそれらの人々に分配したら事足りる気がする。しかし、この問題は一朝一夕では改善されないものであるし、多くの人が過度に富裕層を敵対視してるきらいがあると思われる。

そのため、頭の体操の一環として今回の記事ではあえて経済格差は悪いという多くの人が持つ常識に一石を投じたいと思う。

世界はよくなってる

確かに貧富の格差は大きくなったのは事実である。しかし、相対的にみたら私たちの生活の水準は人類が生まれてから一番良いものとなっている。それをよく表すグラフを紹介しよう。

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このグラフは世界規模で見た絶対的貧困の状態にある人々の割合である。1820年代は大多数がとてつもなく貧しく、上流階級の人々が富を独占している状態であった。しかし、今はどうであろうか?今は大多数の人々がある程度の生活ができる状態にあり、絶対的貧困の割合は10%以下である。また、1990年代から平均して13万人の人々が絶対的貧困から抜け出していることから、いずれは最下層の人でも我慢をすれば最低限の生活を送ることができるようになることが予測される。そして、最下層の人がいなくなれば次は貧困の撲滅であり、ベストのシナリオではそれは実現される。

この事実を知ると混沌とした世界が違った風にみえるのではないだろうか?確かにお金持ちは富を増やしていくし、貧しい人はまだ現存している。しかし、昔と比べると貧しい人の数は大きく減っており、貧困のサイクルから抜けられるサイクルが生まれている。そしてそれを可能としているのが富の無限大の増加であり、だからこそ自分は格差が問題ではないと思っている。

パイは無限大に拡大できる

格差が悪と捉えている人の多くは世界の富が有限であるかのように捉えている気がする。だから分配しなければいけないという思考回路が働くのだと思う。しかし実際は有限ではない、無限に増やすことができる。

古代、中世において確かに富は有限であった。奴隷の数、金と銀の保有量などで人々の富が測られ、それが権力と直結していた。また近代において通貨が価値を持つようになった時代になっても固定通貨制により、通貨の価値は金や銀の保有量によって担保されており、どれぐらいお札を擦れるかも決められていたため、ある意味で最近まで富が有限であったと言えなくもない。

しかし今では管理通貨制度により国は、インフレにより物価が急騰する可能性があるが、いくらでもお金を作っても制限はない。また、奇抜で創造的なアイデアさえあれば誰でも大金を手に入れることができるし、学歴も関係ない。(ちなみにマイクロソフトとアップルの創業者であるビルゲイツとステイーブジョブスは厳密にいえば高卒である)

だからみんなが取り合うパイの大きさが有限だと悲観的になるんじゃなくて、無限大に広げられるんだという楽観的な思考を持ってもいいんじゃないかと思う。

だから私たちが見ている格差は否定的なものではなく、人類が生み出せる富に限界はないことを示す、希望に満ちた格差ではないのだろうか?これが冒頭に示したコメントに対する答えである。

富裕層、大企業に課税、、、意味ある?

しかし、決して私は貧困を軽視しているわけではない。いくら何十年後に貧困が撲滅されるといっても、明日の生活がどうなるか分からない人にとってはどうでもいい話である。その人たちにとっては今すぐ解決しなければいけない問題である。

そして彼らを助けるためのポピュラーな手段が富裕層や大企業への課税であり、これが正しいものだと思われている。しかし、そうはうまくはいかない。

例えば自分が億万長者になったとしよう。そこまでたどり着くまで何十年もかかり、血のにじむような努力をしてきた。それにもかかわらず、資産の0.5%といっても何十億、ときには何千億というお金を自分だけが取られる。それが貧困撲滅のために使用されるらしいが、実際のところどう使われるのかは不透明である。合理的な考えを持っている人なら抵抗を示すだろうし、その傾向が実際に見られる。

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ウォールストリートジャーナル紙に掲載されたグラフによるとアメリカでは課税率に関わらず富裕層の払った所得税は一貫して対GDP比で変わっていなかったことが読み取れる。そして理由はシンプルである。高い税金が不公平だと思っているからである。一般庶民の我々が格差を不公平だということと同じロジックである。そのため彼らは高いお金を払ってまで弁護士を雇い、租税回避を図っており、パナマ文書でも明らかにされたように租税回避地に多額のお金を移動させている。そのためいかなる形で税率をあげてもお金は富裕層から巻き取れないし、一般庶民の負担になっているという現状がある。そのため最近ではこの層の人々から税金をきちんと取るためにスウェーデンのように富裕税の税率を下げている国もある。

大企業も富裕層と同じような行動パターンがみられる。ステイーブムーアーとアーサーラッファーによるとカナダは2015年に大企業が払う法人税率を上げたそうだが、それによって歳入に占める税金に割合が減った。

要するに高い税金が好きなものはいないのである。

双方の歩み寄りが必要

この富めるものたちの態度に対して怒るものもいるかもしれないが、冷静に考えると仕方がない部分もある。今まで死に物狂いで頑張ってきたのになんで俺だけ?私の会社は今年の業績が良かったから社員の給料を上げようと思ったのにこんだけ税金とられたら無理じゃん?こういった不満に理解を示すという思いやりが私たちには欠けているのではないだろうか?

大企業は何万という人々を雇っているだけではなく、それと同じかそれ以上の数の中小企業と協力しながら業務を行っている。そして大企業が儲かればその他の企業も自動的に儲かる仕組みになっおり、5人規模の小さな工場で働いた経験から筆者はそれを実感している。そしてただお金を稼ぐだけではなく我々の生活をよくする商品を作ろうと頑張っており、どの会社も消費者ができるだけ安い価格で自社の商品を買ってもらえるように熾烈な争いを繰り広げている。富裕層は価値のあるものを創造した対価としてお金をもらっており、大企業は我々の生活の質を上げている。それでも彼らを批判するでしょうか?

税金取れないんなら、自由にやらせたらいいじゃん?

少し寄り道をしてしまったが、貧困対策の話に戻ろう。上記でも述べたように富裕層と大企業は高い税金が嫌いであり、それは一般庶民もそうである。ならば下げるべきであり、そっちの方が政府の歳入が増えるというケースが何個も存在する。先ほどの章で載せたグラフを見てもらえれば分かるが、1990年代後半にかけて急に富裕層が税金を払うようになったことが分かる。これは時のクリントン政権が高所得者の税率を低くした結果である。また、ブッシュ政権における減税においても減税によって政府の歳入が増えた形になった。

次は大企業への減税の効果についてである。日本は2003年から2015年にかけて法人税の税率を約8%減らした。すると、歳入に占める税収の割合がGDP比で1%上昇した。たった1%ではあるが、日本のGDPが500兆円規模と考えると大きな効果があったと実感される。またカナダでも同じような結果が見られた。(それにも関わらず2015年に法人税を上げて政府の歳入を下げてしまっている)

よく減税は金持ちのための忖度だと揶揄されるが日本にある会社の約99%は中小企業であり、日本が行った法人税の減税はどの会社も均等に行われる。

これで分かったことは富める者が強欲であることではなくて、フェアに課税してほしいことである。そして、税金を取られ無くなれば賃金の上昇や新たな投資にそのお金は使われ、政府は社会保障に使える歳入が増える。そして多くの会社が事業規模を拡大してさらに人を雇えば、失業保険や生活保護を受給する人の割合を減らし、財政の節約につなげることができる。これこそが本当の貧困対策ではないのか?これがウィンウィンの関係でなければ何であろうか?

まとめ

格差の話から、貧困問題、経済など様々な分野に飛んで行ってしまった感は否めないが、この記事で一番伝えたいことは僕らの社会が秘めている可能性に感謝することである。

私たちの世代は人類史上最も生活が豊な時代に突入しているが、同時に新たな問題も出現している。しかし、今までどれだけの人を貧困から救い出すことができたかを示すグラフを見ただけで私たちに乗り越えられない物は何もないように思える。

それを可能にしたのは、不平等の権化であるはずの資本主義の力の賜物である。疑いようもない。それでも、このシステムに対して批判はこれからもついてくるはずであろう。そんな人に言いたい。

貧困が根絶されるのが何が悪い?


参考文献



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