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なぜ財務省は増税を望むのか?

病んでいく日本経済

昔の日本は一人当たりのGDP(いかに国内の富の総量が大きく、公正に分配されているかを表す指標)が世界3位のポジションにありました。1位と2位がスイスとルクセンブルクという小国だったことを考えると、日本のような人口の多い国が3位というのは、いかに日本がお金持ちで公平に富が分配されている社会だったかが分かります。


しかし、今では一人当たりのGDPは20位台後半まで落ちており、経済の規模も中国に抜かれています。また、若者の貧困、ロスジェネ(失われた世代)という言葉が現れるようになったことは、日本の経済規模が収縮しただけではなく、富の分配の面でも不平等性が見られる状態になってしまっています。日本は貧しくなっています。
日本の経済状況を一言で表すと「デフレ」の一言で総括することが出来ます。デフレというのはモノの生産量に対して通貨発行量が少ない状態のことを言います。


市場に存在する通貨の量が少ないのにも関わらず、モノの量が多すぎると、物価の値段は下がります。需要(使えるお金)が供給(市場に存在するモノ)を下回れば物価が下がるのは経済学の基本中の基本です。


そして、日本社会が貧しくなっている根本原因はデフレから脱却できていないことです。日本はこの状態が約30年も続いています。


デフレ期が続いているせいで各企業は熾烈な価格争いを繰り広げています。なるべくモノの値段を安く抑え込むために、海外に生産拠点を移すことで安い労働力を獲得し、正規に対する非正規雇用の割合を増やす、というような対策を取っています。しかし、そのトレードオフとして、海外に雇用が移ることで国内の雇用が減り、生活が安定しない人を増やしてします。それでも、モノの値段を低く抑えなければならないので、仕舞いには正規雇用の人員の給料の額を抑える、最悪の場合には給料を減らさなければいけなくなります。この状態を経済学ではデフレスパイラルと言います。


デフレを悪化させる増税


デフレ期にやらなければいけないのは消費行動を行う意欲を促すことにあります。物価を安定的に上昇させることで、モノの値段を上げ、それが企業収益を増やすことに繋がります。そして、企業収益が増えると、企業は社員の給料を増やす余裕が生まれます。端的に言えばマイルドなインフレ状態に経済を持っていくことがデフレ期における政府の役割です。


インフレという言葉を聞くと、ベネズエラで見られているような物価が高騰している状態を思い浮かべますが、そのような状況は稀です。日本以外の先進国のほとんどは物価上昇率が年平均2から3%の数字で推移しており、需要と供給のバランスが安定した状態を保ちながら、経済成長を続けています。一言でインフレとは言っても、前者のようなハイパーインフレと後者のようなマイルドインフレは分けて考える必要があります。


逆に、政府にとって、デフレ期に一番やってはいけないことは国民が消費行動を行う意欲を削ぐことです。税率を上げることがその典型です。しかし、残念ながら日本はデフレから脱却できないのにも関わらず、消費税増税という、消費を冷やし、デフレの状態を悪化させる政策をとっています。消費税は過去30年で4回引き上げられており、日本のデフレ期と被っている期間で、それは行われています。それゆえ、消費税増税という行為こそがの日本経済の疲弊の元凶だと巷では言われています。


いわば、日本政府は自分の首を自分で絞めている状態です。

政治家の劣化が引き起こす官僚機構の独走


傍から見たら教科書的には間違っている政策をなぜ日本政府が実施しているのか?憲政史家の倉山満氏によると政治家の議員の知性が劣化しているからだと倉山氏は言います。


財務省に入省する人々のほとんどは東大卒のエリートであり、その伝統は明治期まで遡ることができます。要するに頭のいい人たちの集団です。そして、政治家たちは彼らに頼りっきりであり、それを表す最もいい例は「国家予算の作成過程」を見れば明らかです。


まず、国家予算の原案は財務省の主計局という部署で作成され、それを内閣が閣議決定し、内閣が国会に予算案を提出し、国家内で予算案の審議が行われます。しかしながら、予算審議において国家予算の額が変わることはほとんどありません。財務省で作成された原案が実際の予算として採択される場合がほとんどです。


予算審議中に野党が予算内容についてではなく、与党議員のスキャンダルを追求する場面を見ることがあります。しかし、あれは国会議員が予算審議をさぼっているからではなく、既に予算案が財務省の作成したもので確定しているので余っている時間を消化しているだけなのです。
普通に考えて、100兆円規模もある日本の国家予算の中に無駄なものはいっぱいあるはずです。原案の段階では各省庁の都合上で予算の内訳が決められており、一般庶民の感覚からしたら必要ではないものがあるかもしれません。また、自分の組織に回される予算の額が大きければ、それに比例して大きな権限を行使することができるため、どの省庁もできるだけ多くの予算をもらいたいというのがホンネです。


しかしながら、政治家たちは官僚がもつ独特な性質(組織のために働く、できるだけ多くの予算の回してほしい)がありながらも、毎度のこと財務省が提示する予算案を国家の意志として提示します。


この現象を合理的に説明するには、政治家が東大を出ている官僚たちが主張していることを正しいに違いないとが思い込んでいると考えるしか方法はありません。そして、消費税増税の経緯についても同じことが言えます。官僚が主張しているから増税は正しいに違いないと政治家は思っているのです。


官僚機構の独走を止めるための批判的思考力を今の政治家は持ち合わせていないのです。

なぜ財務省は増税を望むのか?


財務省は以下の二点の目標を達成するために安定的に財源を確保できる消費税を上げる必要があると財務省は公式には主張しています。
1.借金を返済するため
2.社会保障費を賄うため

そして政治家たちは増税が上記の目標を達成する手段であると信じています。しかし、財務省が増税にこだわる理由は別にあります。


そもそも増税をしなくても、この二つの目標は解決できます。理論上は自国通貨を発行できる国は経済破綻しませんですし、財務省も過去にそのことを認めています。よって、いくら日本の借金が増えても財政破綻することはありえません。また、経済成長が伴わなければ、いくら増税を行ってもキリがないので、増税で社会保障費を賄うのは長期的にみたら限界があります。逆に減税をし、お金を大量に発行して市場に注ぎ込むことによって、国内の消費行動を活性化させた方が、社会保障にまわせる税収が増えるはずです。この二つの目標を達成する処方箋は増税以外にあるのです。


しかしながら、財務省は増税を推し進めています。なぜ、増税ではなくお金を刷ることで経済を活性化して、税収を増やしていく方法を取らないのか?
その理由は財務省が抱える過去のトラウマが原因です。1972年に起きた田中総理の暴走が、そのトラウマです。


田中総理は就任直後に防衛庁以外の全省庁に対して大幅な予算の増加を認め、1972年の予算案は前年度比24.6%増というものになりました。しかし、インフレが続いている状況下でさらに通貨量を増やすことでインフレが加速し、石油ショックがそれをさらに加速させたことで日本国内では物価が16%も一気に上昇するというハイパーインフレ状態(当時の福田蔵相は狂乱物価と命名)に陥ってしまいました。この件により日本の高度経済成長期は事実上、終わりを迎えました。


田中総理の現状を無視した積極的な財政支出から財務省(当時は大蔵省)はお金を刷ることで財源を賄うことに対して強い抵抗感を覚えるようになります。それから、何も考えずにお金をすることを主張する政治家の暴走にストップをかけることが財務省の既定路線となっていきます。(詳細は倉山満氏の「財務省の近現代史」を参照してください。)

デフレとハイパーインフレは同じもの


財務省が危惧する、お金を刷ることによって引き起こされるハイパーインフレは悪であり、国民の生活に大きなダメージを与えます。ですが、デフレもハイパーインフレも国民の生活にとっては両方悪です。物が高すぎるハイパーインフレの状態になっても、給料が減り続けるデフレの状態になっても、自分が欲するものが買えなくなる状況は同じです。目指すべきは物価、給料が安定的に上昇していくマイルドインフレの状態です。


安倍政権になってから黒田バズーカーと評される大規模な財政支出が行われていますが、デフレ状態からは完全に日本は脱却することができません。もっと大きな額の財政支出を行うことが今の日本には求められています。それぐらい、日本のデフレ状態は深刻なのです。


それにもかかわらず、2019年10月に安倍政権は増税をすることを決め、今までの努力を水の泡にしようとしています。


まとめ


日本と同じぐらいデフレが続いている先進国は日本以外にありません、安倍総理もそれを認めています。この状態を改善するためには必要なのは減税と国債発行です。しかしながら、財務省と、財務省を信奉している政治家たちは国債発行をすることに対して強く抵抗しています。ハイパーインフレへの恐怖心が理由です。


しかし、上記で申したようにデフレはハイパーインフレと同様に悪です。どれだけ仕事を頑張っても給料が上がらず、逆に減っていくかもしれない世の中など真面目に働くのがバカらしくなります。


そして、安倍政権が立て続けに行った消費税増税は愚の骨頂であり、いかに財務省に洗脳された政治家たちがデフレの状態を甘く見ているかが伺えます。


財務省のエリート集団の主張に折れることなく、何が国民のために正しい政策なのかを自分の頭で考えられる政治家が一人で多く出現することを願うばかりです。


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