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晴佐久昌英を批判する、を批判する

カトリック東京教区に、カリスマと言われる司祭がいる。晴佐久昌英(はれさくまさひで)だ。
彼は万人救済説を唱え、保守的なカトリック信者からバッシングの対象となっている。

私が晴佐久師と初めて会ったのは、2013年ころだったと思う。当時、重度のうつ病を患い、人生に見切りをつけようと思っていた。そんなとき、九州に住むプロテスタントの友人が私を助けるようにある牧師に働きかけてくれた。その牧師は一冊の本を送ってきた。本のタイトルは、「十字を切る」。著者は晴佐久昌英だった。

私は17歳でキリスト教の異端であるモルモン教会に入り、20代で脱会した。教会を辞めたものは地獄の火で焼かれるという洗脳からなかなか抜け出すことが出来ず苦しんだ。以来、キリスト教徒は無縁の生活を送っていた。
そんな折届いた「十字を切る」だが、私はカトリックが嫌いだったので放置していた。

時間は経過する。私の自殺リスクはだんだんと高まっていった。その時、いい司祭がいる教会を教えてもらった。その司祭の名は晴佐久昌英だった。ここで点と点がつながった。

次の土曜日、私は多摩市にあるカトリック多摩教会を訪ねた。夕方のミサに出るためだ。教会ではやさしく迎えてもらった。
ミサが始まり、晴佐久師の説教が始まった。心の中の氷が溶けていくようだった。私は彼の発する言葉に、希望を見出した。私は救われているし、死後も救われるという確信を持った。
その後、この教会で洗礼を受けることになる。カトリック教徒にだけはなりたくないと思っていたので、その点は自分が一番驚いている。

晴佐久師の弟子となった私だが、彼のことをよく思っていない人がたくさんいることを知る。保守的な信者を始め、同僚の司祭やシスターからも悪く言われている。その大本は彼が唱える万人救済説だ。
本当のところは、死んでみないと晴佐久師の言っていることが正しいのか、それとも彼を批判する人が正しいのかはわからない。だが、これだけは断言できる。晴佐久師の言葉で多くの人が救われている。私もその一人だ。

カトリックに入ってからも教会から離れたり、再び戻ってくることをしている私だが、その戻るきっかけはいつも晴佐久師の言葉だ。だから、こんな私でも、神は私を愛してくださり救ってくださると信じてこれからも生きていこうと思う。


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