戦争責任と日本人

ウクライナ政府アカウントによるTweetで、ナチスとムッソリーニに並んで、日本の昭和天皇がファシズムを扇動した人物として取り上げられていた。

のちに日本政府の抗議を受けて、これは削除されたらしい。

実はわたしが、この並びにおいて昭和天皇のことを見かけるのは初めてではない。

わたしがフランスにいた頃、ヨーロッパ各地の戦争に関する記念館でファシズムの扇動者として三人が並列された表記は、何度か目にしたことがあった。しかも、HIROHITOという聞きなれない形で。

(ここでは関係ないが、わたしがアジアを旅行中には戦時中における日本の残虐な行為が、いろんな資料館で展示されているのを見て驚いたことがたくさんある。)

愛国心のあるなしに関わらず戦後に生まれ育った人間として、昭和天皇がこのような扱いをされていることに(学校で習ったこととの相違による)多少の違和感を持ったようには思うが、少なくともヨーロッパではこれがスタンダードなのかと思っていた。

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歴史的なファクトでいうと、開戦の詔もポツダム宣言も「天皇裕仁」という名で行われているし、マッカーサーと面会した際にも「戦争の全責任はある」と彼が言ったと言われている。

制度的にも明治政府はプロイセンの憲法を参考にし、天皇を頂点に据えることで、国民支配の体制をつくっていった。

しかし、実質的な指揮権は軍部にあったと学んでいるし、それは戦後にA級戦犯として処罰されたのも東條英機をはじめとする軍人達であることから明らかである。

わたしは彼がいた時代を生きたことはないけれど、「昭和天皇」とは日本にとってどんな人物だったのだろうか。

君主と象徴との狭間で、わたしたちがどのように捉えていたのかはわからないが、ナショナリズムを語る上では欠かせない人物であることは間違いないと思う。

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わたしは、たしかにナチスドイツが第二次世界大戦中にやった行為は許されるべきではないと思うし、それを率いたヒトラーに対する憎しみはある。

でもだからと言って、わたしは現代を生きるドイツ人の友達を差別しないし、その血が流れているのだから彼らを残虐な人たちだとは当然思わない。

むしろ、今でも映画や小説などの作品でナチスに関連する政治体制やヒトラーの批判を見るにつけ、あのような戦争からも学ぶべきことが多くあるのだなと思う。

でも日本の場合、なぜか当時の政治体制の(事実上とはいえ)トップを批判しただけで、自分まで否定されたような気持ちになる人が多く存在し、歴史的な侵略行為を認めること自体に違和感を持つ人がここまでいるというのは、わたしにはうまく想像できない。

だからこそ、もう少しこれについて考えていきたい。

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