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『repetition window, 2017』 目

A2 目 | 作家 | Reborn-Art Festival

「見る」という行為は、言葉の上では、とにかく見たいものがあるその場に行けば完遂されてしまう。現地に足を踏み入れれば、少なくとも見たことにはなる、はず。
ただそれは、証拠として現地までの切符を購入しただけのことで、「眼差しを向ける」というような、能動的で自覚的な行為とは少し違うのだと思う。

この作品が提示する空間と時間は、作品そのものを鑑賞するのではなく、その場の今日を、ただぼーっと眺めるだけ。風景を映し出す窓には、災害の爪痕も復興の現場も、すべて平等に流れる。
自分の足で歩き、見て、感じることは大事なのだろうけど、それは恣意的な観察になってしまうのかもしれない。結論を急いでしまう。観察者である自分と、対象である場所を断絶してしまうのかもしれない。

場所も時間も旅するように、石巻という場所のどこでもないどこかから、ゆっくり揺られながら世界を見て、最後に自分が降り立った時に、あぁここに来て見ることができた、そこは自分がいる場所とつながっている、同じ世界の上なんだと思える作品だった。

2017.8.16 石巻