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読書記録。~本音を理解、主張はしない~

Elena

『今日も明日も「いいこと」が見つかる「繊細さん」の幸せリスト』
武田 友紀・著
ダイヤモンド社

再び武田友紀さんの著書です。
最初に出会った著書が『「繊細さん」の本』で、それに続く2冊目です。

繊細な気質HSPの生きづらさに焦点を当ててその対処法を書いた本も非常に生活では役立つのですが…
繊細さが持つ良い面も、今まで以上に活かしていきたい。
そう思ったとき、その繊細な気質を活かす方向を、他者だけでなく自分にも向けるよう勧めてくれます。

自分のために何かすることが苦手となってしまった私でも、
もしかしたらできるかも?と思えるようなアドバイスがたくさんありました。

本音は隠された最奥に

私たちの本心は「誰かの役に立つか」「将来のために」「面倒ではないか」「生産性は」といった幾重ものベールで覆い隠されています。
人生の要所で大胆に「自分のため」を投下することで、ベールが揺らぎます。
『今日も明日も「いいこと」が見つかる「繊細さん」の幸せリスト』
p.82

目に見える成果ばかりが重視される現代。
成績や点数、ともすれば言動1つ1つも評価されてしまいます。

「私は、本当は何がしたいのだろう」という本心を、ベールを外すように探していくという発想に衝撃を受けました。

無くなってしまったかと思った本音が、「そうか、奥に隠れているだけなのか」と気づくことができたのです。 

私は今、拒食症を治すため、医療機関にかかっています。
食事の指導も受け、その通りに食生活を送っています。

これは病気なのだから、身体症状も多少生じている以上は、治さないといけないから。

あるいは、
治さないと親に迷惑かけるから。親に食事について気遣わせることになるから。

そんな理由で、日々決まった量の主食とたんぱく源を摂取しています。
(まれに手を抜いて若干少なくなることはありますが)

それで、本心はどうしたいのか。
それを自分に問いかけた時、「そりゃあ治したいよ」で片付くかと思いきや、

…本当に、スムーズに「治したい」一直線なのか?
と、考えずにはいられなかったのです。

周囲の人のためにとりあえずBMIだけでも標準に戻したら、
その後は再びダイエットして、また体重を減らそうとしていないだろうか、と。

そう、標準体重には戻っていないのに、
本心としてはもうこれ以上体重を増やさなくてもいいんじゃないかと思っているのです。

でもそんな思いを持っていたら治るものも治らない。
だから、そういう思いに蓋をし続けていたのです。

だったらこういう時、「自分のため」に何ができるでしょうか。
単純にダイエットするのでは、拒食症が治らないため他の方法を探さなければいけないのです。

ほんの少しの理解

痩せたら皆が心配して振り向いてくれるかもしれない。

そんな思いでエスカレートしたダイエット。
もはや「痩せたい」という次元ではありませんでした。

でも何もかも理解してくれる人も、
すべてを分かってくれる人も、
まして、そこからあらゆることを助けてくれる人なんて、探しても見つからない。

何でも分かってくれる人ではなく、
少しでも理解してくれる人、ほんのちょっとだけ存在を認めてくれる人。
そんな人の少しの理解を大事にできたらと思います。

「わかりあいたい」という思いが強いと、相手に振り回されたり「どうしてわかってくれないの?」と歯がゆい思いをしがちです。
「わかってもらいたくて何度も伝えるけど、わかってもらえない」というときは、目標を「わかってもらう」から「情報提供」に切り替えてみてください。
「わかってもらおう」「納得してもらおう」とするのではなく、「私はこう思う」と、ただ屈託なく情報を提供するのです。
『今日も明日も「いいこと」が見つかる「繊細さん」の幸せリスト』
p.228

高校に入学して間もなく、5月病のためにダウンしたことがあります。
耐えきれず、ある日の1限目に保健室で休んだところ、涙が止まりませんでした。

でもそこで思ったことは、
「今の(比較的レベルの高い)コースをやめようって言う勇気もないし、言っても理解してもらえない。
だったらもう諦めて今のクラスで勉強しよう」と。

中学時代特に勉強できたわけでもない私が、なぜか成績優秀な生徒が集まるクラスに突如入れられた。
その事実が受け入れがたく、抜け出したいと思っていたのです。

そうした思いを前向きに、「思ったより無理しなくてもいいんだよ」とか、「何とかなるよ、勉強頑張ろうよ」と自分に言い聞かせることができればまだましだったかもしれないのですが、
辞めたいなんて身勝手な思い、誰も受け入れてくれない」という諦めの感情で勉強を続けることとなってしまったのが現実です。

その後、1限目の先生が何も言わなくても猛烈に心配してくれたので、
幸いなことに私の5月病はその時、一瞬で治りました。
(既に6月に入っていましたが…)

今、実家にいる時間が以前より増えたことで思うのは、家族でさえすべてを理解することはできない、ということ。
当たり前のようですが、家族という身近な関係と接する機会がほとんどだった私にとって、
それに気がつくのはつい最近のことでした。

だから今は、誰に対しても、家族に対してさえ、
私の痩せたいという思いや、実は愛されたいとか勝手に思っている、ということを
本気で訴えるような真似はしません。

まだ食べるのが怖いものがあっても、「あぁ親はわかってないなぁ。仕方ない、食べるか」
という思いで口にします。昔なら、怒って突き放していたかもしれません。

昨日の夕食のカレー。美味しかったからいいんだけど…
多めによそいすぎてしまい、若干の後悔も残ります。

そうした行動ばかり続けていると、結局自分を犠牲にしている気がしないでもありませんが…
下宿での1人暮らしに戻ってからは、無理に罪悪感を伴いそうなものは食べなければいい話だと思うと、あまり実家の食事にまで文句を言おうという気にはなりません。

「分かってくれない!」と嘆く必要がなくなっただけでも十分、
私の中では変化が起こっているのです。

繊細さと「共に生きる」

この繊細さは、繊細さんにとって、自分を構成する大切な一部分。武器や道具として「使う」のではなく、「何を感じてもいいよ。大丈夫だよ」と共に生きることで、のびのびと育っていきます。
『今日も明日も「いいこと」が見つかる「繊細さん」の幸せリスト』
p.233


繊細さを「活かす」。
そう私は捉えていました。

ただこの文章を読むと、「繊細さを活かすというよりも、繊細さを持った自分を良い方向に活かす方がいいのかも…?」と思えてくるのです。

繊細な気質だけを取り出して、いいように使うことは当然できないのです。
だから、感受性と敏感さを持つ私がどうすれば生きづらさを抑えながら、その感受性や敏感さを活かした生き方ができるかな、ということをじっくり時間をかけて考えることが、より豊かな生活と幸せにつながるのかな、と思いました。

幸せな生活なんて、私には贅沢が過ぎると思って距離を置いていましたが…
自分のために幸せな生活を送ってみようと考えるのも案外悪くないのかもしれない、と気がつく一冊でした。

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