リモートワークの一長一短。
「リモートワークに憧れるなぁ〜。」
長いこと会社員として通勤が普通のものになっていた僕に、その機会は唐突に与えられた。
このコロナ禍の混乱期に、
「ほれっ、やってごらん。」
と言われるかのようにだ。
成果を求められず給料も担保された状態。なんとも恵まれた環境下で憧れのリモートワークの試し運用ができるなんて...、
恵まれた男である。
近い将来、独立し自宅を拠点に仕事を遂行、完結できるビジネスモデルを基本スタイルにしようと考えていた僕にとっては、まさに良いシミュレーションとなっている。
かれこれ1ヶ月近くこのような働き方を実践し、生活を送ってきたわけだが、もはややめられそうにない。
好きな時間に起き、好きな時間まで仕事ができる。好きな時間にブラつき、眠くなったら昼寝もできる。
なんなの、この生物らしい素晴らしい生き方は。
今更ながら感動すら覚えている。
一番素晴らしく感じたのは、睡眠時間が長くなったこと。
通勤時間も無くなり、その分を睡眠時間に充てられる。
通勤が当たり前の従来までのライフスタイルにおいて、その通勤時間にどれだけの時間が割かれていたものか...。
いかに大事な睡眠時間を通勤に邪魔されていたのかと思うと、軽く怒りすら感じるようにもなった。
「通勤とはなんだったのか...。」
...と。
また、仕事の途中に気分転換ができる環境が常に用意されている点も素晴らしい。
集中して仕事に取り掛かかり、少し疲れやストレスを感じたら、デスクを離れ庭を散歩する。時間をとって近所の山を散策もできたりするから、なんとも贅沢の限りである。
このようにエッセイを書き、気持ちを落ち着け、簡単にリフレッシュできるのもいい気分転換にもなっている。
それほどにまで、僕にジャストフィットする働き方だとあらためて思わされた。
それが通勤していた時はどうだったか。
通勤ラッシュで無駄な体力を使いストレスを抱える。
オフィスでは周囲の視線を気にするあまり、いらぬ気疲れをしていたのにも気が付いた。自分のペースで仕事ができていたかと言えば、それは少し違うだろう。
休憩時間こそあれど、やはりどこか休憩している気にすらなれない。オフィスの中のあの独特の緊張感。その見えない圧力に屈していたからだった。
それが今はどうだ。精神的にも無駄な消費をせず、ノンストレスで仕事ができる。なんとも素晴らしい労働環境ではないか。
これが当たり前の時代になって欲しい。
リモートワークを経験してみて、そう願うのも必然のような気がした。
しかし良い面ばかりでもない。
「物事、メリットがあれば必ずデメリットもある。」というのは僕の哲学である。
リモートワークのライフスタイルにおいて、あまり歩かなくなり、体力の衰えが目立つようになった。
体を動かす機会が激減したからか、体が鉛のように重く感じ、少し動けば息切れが生じる。完全なる運動不足の典型例である。
運用の仕方次第では、老化に拍車を掛けかねない働き方であり、リスクがあることも冷静に受け止めておかねばならないと感じた。
気持ちが後ろ向きになり、暗い気持ちになることもしばしば訪れるのも正直なところである。メンタル面で軽減されるのは言うまでもないが、それが完璧なものとも言いきれない。
このように、リモートワークがすべてを満たしているかと言うと、いま時点でそういうことではないのだ。
しかしそれらを差し引いても素晴らしい働き方であるのは言うまでもなく、良いライフスタイルが実践できると実感できたのは収穫。
リモートワークの課題を克服さえできれば、僕にとっては輝かしく充実した人生になっていきそうだと確信している。閉塞感漂う人生を送っていたこともあり、何か変化をさせたいなと思っていたからだ。
一長一短あるリモートワークではあるが、そこは時代の変わり目。時代が移り変わる時は、何かといろいろな摩擦や課題が生じるものである。
それらを克服した先に、明るい未来が待ち受けている。
コーヒーをすすりながらそう確信したのだった。
ちなみに今、長いコーヒーブレイク中である。
当たり前だが、労働中でありながら、リラックスしている僕を誰も見ていない。
リモートワークはやはり素晴らしい。
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