ファイターズ拗らせるとこんな風になるよ、という自己紹介がわりの長い文章

いやほんと、大型連勝したり大型連敗したりなんなんですかね。
僕の大好きな野球の話なんですけど。
まるでジェットコースターの下り。

でも8月勝てないのが問題なんじゃないんですよ、奥さん。
2016以降、事ここに至るまでハムのみんなが目指すべきチームの姿を飲み込めてないような気がするのが僕にとっては問題なんですよ、奥さん。

結局のところはどんな野球して勝つのが理想系なの?と言うところが新陳代謝のスピードに追いついていないんですよ。だから困った時に立ち返るべき形がみんなの中に見当たらない。負けても負けても同じ野球をして、その中で質を良化させていくと言うことしかできないんですね。後述しますが、正確には形がないのは当然なんで、理想形も何もあったものじゃないんですけどね。
で、それはそれでいいのです。そういう風にチームづくりをしているんで、そうなるのは正解なんです。問題はその「質の良化」が若手にとってめちゃめちゃハードルがハイだってことがどうやら明らかになりつつあるということなんですな。

どうせ長くなるのでとにかく書き殴りますよ。心してください。

まず、結論として最優先はミクロの質を高め切ることなんでございます。
ミクロの質というのはつまり選手個々の能力とプレー。大きく言えば打率やホームラン、勝利数や防御率。小さく言えば送球時のステップ、捕球の体勢、バントの角度、スタンスの広さ、スイングスピード、クイックの速さやリリースの安定などなど。
一人一人のそういう細かな技術と、基礎的な肉体の強さの向上がまず大前提。それが極限まで高まれば勝手にチームは動き出す。正確にいうと監督コーチフロントが動かしやすくなる。
ミクロの積み重ねをたくさんたくさんする事でマクロの形を描きやすくなり、チームは生き物として生命を得る。
西武なんかは野手の質は球界でも屈指の高さがあって、それを軸に全然質の高くならない投手陣をカバーするというチームを形成して、それがマクロの、つまり全体の形をなすという仕組みが出来上がっている。だから打てば勝つし、打てなきゃ負ける。勝てなくなったらまず打て、そして守備を固めろ、とできる。
ソフトバンクは王道。打って守って投げて勝つ。そこにはちゃんと主軸と脇役があって、場面場面で選手たちが自分のなすべき活躍をイメージしやすい野球をしている。例えば上位打線に居れば塁に出たりランナーを返したり、下位打線に居れば小技や奇襲、もしくは上位への繋ぎ。オーソドックスな野球の形は日本人にはイメージしやすいし、抱えている量、質共に豊富な人材を一番プッシュできる。

ここで問題になるのはハムがNPBにおいて比較的異端の、MLB型球団運営である事。
大きく言えば、既存のNPBの常識に挑戦する立場にあるという事。そうアナウンスされている訳ではないんですけど、NPBにおけるハムの立ち位置や行動って割とアウトローというか、主流ではないのは皆さんご存知かと思います。
そんなもんだから、これまでの日本の野球のイメージで見ていると全然何やってるか分からないし、勝っても負けてもヌルッとしているというか、不気味に映ると思う。それが開幕前にいろんなチームが「ハムは怖い」と訝しがる要因で、ハムだけを見ている訳ではない解説者たちが「侮れない」などと今ひとつはっきりしない評価を下す一因だと思う。
んで、そんなハムがやってるMLBを参考にした形の野球は、日本の部活からのプッシュアップでそこにいる人材達にとって浸透させるのにかなり厄介な感じに見える。正確には馴染むのに必要な時間が思ったよりかかる。
見える範囲で言えば、オープナーにしろ、2番強打者にしろ、新しいことをどんどん取り入れたり、工夫したりして、「既存の価値観に変化をつける」ことがかなり多い。もちろんバックボーンにそれなりの理屈があって、データの裏付けもあることなんだけれど、日本においてはそういう参考例がないから、大体は先駆けになる。で、そういう変化が可能なのは、本家本元のあちらさんではキャラクターの確立という事象が日本に比べが社会的文化的に受容されやすい環境であること、そして基本的な肉体の強さがあることが挙げられる。つまり肉体および精神の強烈な個がチームの中にあっても、きちんと数字と結果を伴えばたとえチームが負けていたとしてもその個はある程度の尊重をされうる。
が、日本の野球の場合は、そう言った強烈な個がいると、とかくマイナス事象のスケープゴートにされやすい。ハムで言うところの中田や、栗山監督その人だ。スケゴの何がいけないかというと、それはプレイヤーに「あるべきところに収まれ」という圧をかけてしまうことだ。
日本の野球というのは言い過ぎかもしれないが、基本的に個を嫌う。集団に対する貢献性が高い選手ほどファン的には評価されやすい。ステレオなイメージで言葉を選べば自己犠牲の精神、だ。もちろん個がチームへ貢献すれば文句なし。最近でこそ柳田や山田のような強烈な個が主張することも多いし、近年では大谷翔平の存在が一番わかりやすい。それが魅力であるというのもファンの見方の多様化である程度定着した感もあるのがその好例ではある、が、やはり基本的に好まれているのは、地道な基礎の反復で技術の積み増しをし、基本的な肉体の優劣をひっくり返すため、様々な工夫を凝らす、イチローのいう頭を使った野球であるというのは否めないと思う。それがダメなのではないよ。僕も渋い野球大好きですからね。
例えば投球にパターンや駆け引きを見出したりして、それにかなり重きをおくのもその一つ。俗にMLBをベースボール、NPBを野球、と呼ぶようなもの。僕はその駆け引きもやっぱり大好きなんですけど、スポーツとしてどちらが優っているという話ではなくて、しつこいようだけどアメリカではそういうものに馴染みがあって、日本では馴染みが少ない、という話ね。
であるからして、高校まで、人によっては社会人になってもどっぷりと日本の「野球」で鍛錬を積み重ねてきた選手達にとっては、「ベースボール」の要素が自分の立ち位置を割とくらませてしまうのではないか、と最近考えている。つまり個のクローズアップのされ方に慣れていない。

ちょっと、話が広がってアレだけど、ここで絡むのが質の良化、ですね。どう絡んでくるかというとつまりベースボールはその根本をとかく選手の質で成り立たせるもの。ビッグユニットの周りにビッグユニットをつければチームがビッグになるんだ、個をガンガン出していけば、監督その他がチームとして役立つ形にまとめてくれる、そんな感じ。
だから、個をとにかく膨らませないとチームが成り立たなくなる、極端に言えば。
逆に日本的なところで言えば、トレードとかに顕著だけど、「必要なものを補う」ために「不要なもの」や「欠点、弱点」と言ったものを「放出」する。チームが先にあって、それを形作るために必要な選手を取ったり、育てたりする。「野球」に馴染みのある人材はおそらく自分の居場所をチームから探そうとするのではないだろうか。わかりやすく例えれば、「ヒットを打てる」「エラーをしない」「盗塁ができる」「三振をしない」「四球を出さない」「長打打てる」などと言った自分の能力よりも、「今このチームに必要なのは、長い回を投げる先発だ」となればみんな先発の枠を狙って野球をする。重ね重ねいうけどそれが悪いのではなくて、ハムでは順序が逆なんだ。選手が自分をチームにはめるのではなくて、選手の持つ個性でチームが決まって行くんだ。だから、選手の個性が輝かなければチームは途端に色を失ってしまう。

だから本当はオンリーワンこそフォアザチームなんだ。これが若手には中々難しく、そして馴染みづらい。宮西田中賢あたりを見てわかるように、ベテランになると自分の持っている力があり、それでチームに貢献するんだ、という姿勢が見て取れる。目先の結果を残すことができるのも、自分が自分らしく輝くがゆえであるということを経験を積んで知っている。でも若手は目先のヒット一本、アウト一個に固執してしまう。本当の評価はそこにないのだということが伝わりきらない。だから投手は「打たれたくなくて」外に逃げるし、「長打が怖くて」直球をうまく使えないし、野手は「三振が怖くて」当てに行く小さなバッティングになってしまうし、「ヒットが欲しくて」打てる球を必死に見極めようとする。個性の発揮と結果の発生は同じに見えるけど根本の出所が決定的に違う。栗山さんがよくいう「どうやったら輝かせてあげられるか」というのは結果を残してあげられるようにする、という意味ではなくて、選手一人一人の個性をどうやって試合の中で活かして発揮させ得るかということに他ならない。
だから清宮に「チームを勝たせろ」と言ったり、大谷に「メジャーよりもすげえやつがいるんだって示してこい」なんていうわけですよ。それが清宮や大谷が清宮や大谷であると証明できる術だから。

もう、究極的に言えば、ハムは目先の優勝を狙っているのではない。
たくさんの選手の個性が発揮されて、一人一人にストーリーができて、選手として大きく育ってくれればその先に優勝や日本一は勝手についてくる。だからもちろん球団として優勝目指してシーズンを戦うということは掲げるが、そのための前提として選手一人一人の成功を疎かにしない。
そう考えると競争は必要だけど保険はいらないから育成はほぼいないし、たとえウチで主力扱いでも個性が生きる場所を作ってあげられないなら他の球団へと任せることも厭わなくて、逆に他の球団で中々自分が発揮できないでいる選手を引き受けることだってある。FAに手を出さないのはFAするほどの選手は基本的にすでに自分の価値と個性を体現しているからだし、マネーゲームをしないのはハム自体、選手を査定した評価が変動するのは選手自身がその価値を体現してみせた時だけで、契約の段階で評価の駆け引きをする必要がないから。

話がすごく盛り上がってしまった、僕の中で。原点に立ち返ろう。

最初に言った新陳代謝のスピードにチームの形が追いついてないというのは、これまで述べてきたようなチームの特徴が選手の中に浸透しきっていない、ということだと言いたいのでした。つまり、負けが込んでくるとみんなこれまでやってきた野球の中からチームとして団結して勝利へ向かうということを選択する。これは経験則が「野球」から抽出されるわけだからそうなる。でも、栗山監督は負けが込んでくると必ず「これはチャンスだから」と言う。でも一体なんのチャンスなのかと言うことは言わない。これはつまり「お前たちの個性を存分に発揮するチャンスだぞ、もうこんだけ負けてるんだから目先の一勝とかどうでもいい、思う存分に暴れてこい」って意味なんだと思うんですよね。負けてる時ほど大胆に、溌剌としてて欲しい、そう言う意味なんじゃないかと。好き勝手やるって意味ではなく。
そりゃ勝ってる時はみんな黙っていても調子いいから歯車はうまく回る。でも負けてる時にこそ、そのチームの本質が試されて、それはハムの場合は結局「個」なんだ。どのチームだって誰一人として欠けていい選手なんていない、でもハムはよそのチームよりずっともっと一人一人の力を強く求めている。中田に「4番バッターとしての役割を全うしろ」ではなくて、「中田翔らしいあり方を見せて欲しい」。大田泰示にバントを絶対させないのも、そんな姿は大田泰示の大田泰示たるあり方にはふさわしくないだろう。みんなが見たい大田泰示のロマンある姿はバントだのバスターだの進塁打だの、そう言うんじゃないだろう?ってことだ。

ああああ、僕はラジオトークでもことあるごとに最低限、最低限をしろー、と口すっぱくいってきたが、この記事を書いている途中で「ちっげーーーーーーわ!!!!!!」ってなった。最低限は逃げ道なんだ、栗山監督はいつだって、最高のタイシを、最高の中田を、最高の有原を、最高の宮西を、最高の賢介を。最高のみんなを求めているんだ。なんてことだ、僕らは無限に期待するべきなんだ、彼らの大きくなるはずの姿を思いながら。自分らしくあれ、ファイターズ、戦う男達であれ、ファイターズ…!

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