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「生活」する。Tokyoっ子の僕が福島で過ごしてみて変化した感覚

ごきげんよう。GWいかがお過ごしですか。
僕はといえば、4月から社会人が始まりましたね。

スーツ着て通勤して机に座ってうんぬんというような職種でないので、
あまり「社会人になった」という感覚を持てません。

自分の中では「遊びと仕事」の境界線があまりないからかも。

今僕は本業でコミュニティマネジャーをしながら、社外でも別のプロジェクトに2つ携わっています。

総じて主にコミュニケーション設計とくくることができるのだけど、
仕事が楽しいなぁ。
その仕掛けがうまく行ったときの未来像を考えると、限りなくワクワクしてしょうがない。

そんな日々です。

生きる活動=生活をしているという実感**

自分自身のライフワークとして、いろんなライフスタイルを実験しています。

実家ぐらし→アドレスホッピング→木造長屋ぐらし→シェアハウスぐらしときて、色々な場所、スタイルで旅するように暮らしていました。
次はバンライフしたい。

仕事に伴い、首都圏を離れて福島県の南相馬の小高という町にきて、
人生で初めて首都圏外で腰を据えた生活が始まりました。

おまけに移り住んだタイミングはウイルスによる自粛ムードの期間。
普段から閑散とした町がいっそう静か。

地方の小さな町なので、なおさら不便ではある。
カフェ一つやってないし食堂も空いてない。

けれどなぜだろう。心はずっと豊かな感覚がする。

今日はその理由を言語化して紐解きます。

1.意味のある消費。小さな経済圏で人の顔の見える距離感に生きること。

まず都市では眠らぬ町と言われるぐらいなので、夜間にもたくさんの人が活動します。
コンビニやスーパーなど、限りなく24時間稼働していますね。
23時になってもやっている店もザラだし、朝は7時からカフェが開いてる。

僕自身もちょっと前は夜は活動したいし朝活にもハマってて、
2時寝5時起きの3時間睡眠とか試してました。
まさしく眠らぬ街の眠らぬ住人。

福島に来てからというものの、お店が19時とかに閉まります。
終電は21時代です。
去年にこちらで少しの間インターンしていたときは最初かなりの衝撃を喰らいました。

けれど気づいたのは、ただ時間軸が2時間か3時間ばかり違うだけで、東京が逆に特別だったのだということ。

都市ではカスタマーファースト、あらゆる活動が経済をいかにぶん回すかにドリブンされてるけど、地方では、というか日本でも7割ぐらいの地域はそんなことない。
きちんと社会が人間中心的にデザインされて回っている部分もある。
つまり、「生活する主体は誰なのか」を大事にしていると感じます。

都市部でレジの人や店員さんの顔を覚えたことがあっただろうか?
僕はない。
対して小さな町に暮らしていると、時計を治すときは〇〇さんの店にお世話になる、とお決まりだし、なんなら僕は一部のスーパーの店員さんと顔なじみです。

ここ数年の消費のあり方で出てきた、「文脈を買う」という表現は言い得て妙だが、何を買うかよりも誰から買うか」という感覚。
ただの消費ではなく「お世話になる」と同時に「応援する」という意味が生まれ、幸福度が高いと思います。

2.日が出たら目覚め夜には寝る、生物としての自然へ近づいている感覚

僕は最近22時~23時に眠ります。

夜はやることもそんなないので、youtube見たり本読んだりオンラインイベントで顔なじみの人とつながったり。
それでも22時ぐらいに意外と横になってると眠くなるし、電気を消していると気づいたら寝てる。

朝は3時代、4時代に目覚める。
二度寝しても5時か6時ぐらいには動き始める。

夜はカエルや虫の鳴き声が響き渡り、朝は近所に鶏を飼っているお家があるのか、高らかな鳴き声が聞こえてくる。

広告やネオン、音などのノイズが圧倒的にない。
無意識に都市で情報の嵐にさらされていたからこそ、定期的に東京に脱出する必要あるよね〜と前々から言っていたが、改めて納得。

午前5時ぐらいの日の出。こんど海まで散歩してみようかな。

3.自分で稼ぎ、自分で準備し、後始末する感覚。

僕はミニマリスト寄りの人間。

今までの生活では基本的に、シェアハウスですでに備え付けものものがあったり、アドレスホッピングをする中でシェアリング・エコノミーを活用したり、ありあわせのもので済ますなどしていました。
所有よりも「利用」がメインの生活。

この春から変わったことといえば、生活の8割ぐらいを自分でコーディネートするようになったというところか。

特に料理を始めたことは自分の中で大きな変化。
自分でお金を管理し、食材を買い、何を食べるか考え、作り、洗い物までする。

自分でコントロール・管理せねばならないことが増えたのは大変ではある。

凝り性とは対局の僕からすればストレスかな~と思ったけど、以外にそうでもないし、むしろそれに興じている自分がいる。

自己意思で決められる範囲の多さは、幸福度との関係性にあることはよく言われるが、まさしくそういうことなのだろう。

今は部屋のハンガーラックを今は調査している。
価格や色や大きさなどを念入りに調べている。

時間効率でいえばササッと買えばいいのだろうが、あれかなこれかなとネットの海を奔走している行為が楽しい。

「生活をしているか?」という問い。**

この有名なnoteを見たことはあるだろうか。
ただ漫然と生きたり仕事ばかりに身を粉にするのではなく、きちんと「生活をしているか?」という問いを多くの人に投げかけた文章である。

「ご飯を作る、服を洗う、住まいを綺麗に保つ。すべて君が君の責任においてやることだよ。一つ一つマインドフルであること。それが大事なことなんだ。」

町を歩けば畑をやっている人がいたり、庭先を整えている人がいたり、散歩している人とすれ違う。

以前の自分にはなかったような、「生活」している人たちがいた。

それを見て、頑張るほどじゃなくてもいい、今日もちょっとだけ丁寧に「生活しよう」そんな変化が生まれた3週間でした。



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