連載:「写真±(プラスマイナス)」(倉石信乃×清水穣)第2回 類似 / ミメーシス覚書 山城知佳子《創造の発端—アブダクション/子供—》文:倉石信乃

「写真±(プラスマイナス)」概要/目次

第2回 類似
ミメーシス覚書 山城知佳子《創造の発端—アブダクション/子供—》 文:倉石信乃
「非感性的類似」と写真 文:清水穣

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 複製メディアに依拠した芸術におけるミメーシスの可能性は現在、より切実に模索されているように思える。この傾向に共通する愚直な身振りには、懐旧的な具象や再現へ向かう、既視感に満ちた自己実現を目指す芸術衝動とは決定的に異なる何かがある。このことを検討するには、近代の前衛においてミメーシスが生き延びてきた事績を、否定神学的な言辞によって語りもしたアドルノの、次のような議論が助けとなる。

 ミメーシス的な衝動の力によって生物は、芸術家が模倣をおこなうようになるずっとまえから、みずからの周囲のものに同化してきました。まずはシンボルとなり、そのあとに装飾となり、最終的に余分なものに見えるようになったものは、人々が人工物をつうじて適合してきた自然形態のなかに起源をもっています。人々がそうしたミメーシス的衝動のなかで表現する内的なものは、かつては外的なものであり、否応なく客観的なものだったのです。 (*1)

ミメーシス的衝動の中に、「かつて」だけでなくあえていまこそ、「外的なもの」、「否応なく客観的なもの」を見出すこと。われわれの時代のミメーシス的衝動には、模倣論が歴史的に反復してきた、生物レベルでの自然原理から説き起こされる原初的な芸術の身振り=ミミクリー (*2) が、いわば「ただ模倣すること以外にいかなる方途がありうるか」という、外部世界の危機に対する切迫した応接としてある、なりふり構わぬ問いへと、隈なく渡しかけられているのだ。模倣は今も昔も記憶しておくこと、場合によっては記憶を身体に刷り込むことで模倣対象と同化し、それへと生成変化することによる「安全」への余儀ない逃走の試みにほかならない。安全なる語の凋落と頽廃が購いえないものだとしても、である。
 1980年代にキャリアを形成した、森村泰昌のようなアーティストにおける先駆的な他者模倣は、今世紀に入り三島由紀夫に擬態した映像作品《烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)》(2006年)など注目すべき作例に到ると、そうした危機への応接がよりシリアスに看取できるようになった。ただ、その多くは模倣する状況設定自体が恣意的に改変されるため、作品は模倣対象となる他者の「原義」からずれていき、修辞の戯れとなる。他者模倣の必死さという同じ賭けの局面において、ここで私の想定している作例はむしろ、能う限り字義的・直解的なものへ向かうものである。近年におけるその端的な事例の一つは、耳の聞こえず発話が困難なシリアの少年が、自分の戦争経験を身振り手振りと非言語的音声で鮮明に再現する、エルカン・オズケンの映像作品《ワンダーランド》(2016年)に認められる。

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 オズケンの凄絶な作品では、現在進行形の戦争における直近の過去が題材となる。他方、山城知佳子が映像作品《あなたの声は私の喉を通った》(2009年)で扱うのは、風化の進行し、証言者を一人ずつ喪っていく現況における、先の大戦の記憶の継承である。サイパン島での玉砕戦に巻き込まれた家族の死を目撃しながら生き延びた、年配の男性がその経験を語る証言を、作者の山城が自ら登場し画面の中で文字通り引き継いで反復する。画面のオーバーラップを伴う、この引き継ぎと繰り返しは、一字一句の暗誦を通じた「意味」の獲得に関わるだけでなく、「泣く」という言語外で生じる感情の堰の決壊、その伝わりをも含むものである。俗にもらい泣きという、受け渡しの構造が顕わになっていく。そのためには率直な模倣の手続きが必要であった。泣くこと、それはその都度一回限りの偶有性を持ちながら、決定的な出来事そのものである。山城は、泣くという、小さいけれどもそれ自体後戻りできない爆発において生じる無為と遅滞のさなかで、取り返しのつかない過去の部分に触れているのだ。
 《あなたの声は私の喉を通った》では、山城の出身地でありかつ、現在の主な制作拠点である沖縄の歴史的記憶を直接扱うのではなく、サイパンでの戦時の心的な傷痕を沖縄に持ち帰った証言者の言葉に拠っている。そのことが過去の同じ一時代における地名と地名とを縒り合わせて、作品に空間的な拡張性と、記憶の深淵を覗くかのような汲み尽くしがたいコノテーションとをもたらしている。

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