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春の庭

朝な朝な
庭で猫らの
鳴き交わす


五歳の娘がデタラメな歌詞をつけて歌うものと思っていた。下の娘のすることならなんでも可愛い可愛いで済ますわたくし。それでも寝入りバナを挫かれるのはかなわないと起きかかると、刹那、隣室の窓がガラガラっと開いて、しっ、しっ、とこれは妻の庭へ向けて威嚇する音。

庭に猫がきて鳴き交わすものと合点する。

朝ぼらけ
赤子を真似る
猫の声


猫の雌雄の逢引にしろ雄どうしの恋の決闘にしろ、春先ならではの自然の風物詩。人間様のどうこういえる筋合いでなく。それにしてもあの鼻にかかった甘たるい声の応酬、いずれ人の声の模写だって可能じゃないのか。やはり猫というのはあちらとこちらに通ずる魔物、誘われるようだと夢うつつに聞いている。

花色の
移るページの
純恋歌


下の娘は花摘む少女。幼稚園から帰るさ父親の腰に抱きついて、すっかり習いとなった手洗いうがいを済ませると、わたくしの服の袖やら裾やらを引いて庭に出ようと誘う。手入れの施されぬ五十坪ほどの荒れ庭、今は梅も木瓜もとうに散りやんで、樹木の花といえばシキミの白い花、これは寺によく植えられ葉にも花にもアニサチンという毒がある、墓暴きの獣を除けるとも悪霊を除けるともいわれ重宝されて、土葬の折には棺にその葉を敷き詰めたのだと幼な子に教えるわたくし。ふんふん聞きながら子はしゃがみ、しゃがんでは摘むハナニラの花、白と青のが一面に咲き乱れ、負けじと覗くオオアラセイトウ、オオニタビラコ、ハコベラ、ハハコグサ、ムラサキツユクサ、ホトケノザ、オドリコソウ、オオキバナカタバミ。

花を摘み終えると書棚から分厚な本を引っ張り出してきて、ティッシュにくるんだのをそっとはさんで押し花をこさえるのがこの頃のふたりの秘め事。

宿を借る
不届きものの
高鼾


夜更けの読書を乱す不意の闖入者。どろどろと頭上を渡る騒擾は、我が家が平家のせいもあって凄まじく、屋根の上を猫らの追いかけっこするものと聞いている。

いっとき屋根裏部屋にハクビシンでも棲みついたかと怪しんだが、業者に頼んで見てもらったところ小動物の侵入した形跡はないといわれ、めぼしい隙間はすべて埋めてもらって、念のため枇杷の木は切ったが金柑の木は切らなかった。柑橘類はむしろネコ科はおしなべてきらうと業者は請け合った。

あまりにうるさいと部屋の明かりを点けて庭へ降りるガラス戸を勢いよく開けて脅す。早駆けの音が遠ざかり、足を踏み外したかして隣家との境で凄まじい音が立ったが、ひとつはギャッと呻いて猫とわかるも、今ひとつはキゥキゥいったものだから、怪しのもの、とわたくしはかまえた。もとより猫はうるさくてかなわないが、狐狸の類が庭に出没するようなら、それと格闘する猫らはおのずと我が家の守衛。

敵の敵は味方。

クビキリを
名乗る虫らの
いやがらせ


ハクビシンが屋根裏に居着くかもとなったとき、あれこれ調べて小動物のいやがる音のあるのを知った。いわゆるモスキート音で、これについては子どもにだけ聞こえる不快音としても知られている。これを意図的に流して子どもらの近づくのを妨げる家なり施設なりがあるとも聞いた。それが小動物にも有効である由である。しかしネットの口上は、舌の根も乾かぬうちに動物はいずれ不快音に慣れるので効果は薄いとも告げる。漸次周波数の上がるモスキート音がアップされていて、これが聴こえれば十代前半、十代後半、二十代、三十代、四十代、五十代……とご丁寧にテロップのつく動画もあって、人から若く見られるほうだからと多寡を括って臨むとこれが見事に実年齢を言い当ててションボリした次第。爾来モスキート音なんて忘れていたのが、寝入りバナの子どもらがうるさくて眠れないとこの頃口々に騒ぎだした。

いわれてみればたしかに聞こえる耳鳴りの音。凄い音だよわからないのと父を訝る子どもたち。妻もなによこれと眉を顰めて耳を塞ぐ始末、台所から鳴っているというのが彼らの主張で、家電のなにかが故障を訴えるのではと冷蔵庫や炊飯器の裏まで調べるも発信源には至らず。流しにきてようやくわたくしにも不快音がはっきりと聞き取れ、なんだか嬉しかったが家人らには黙っている。ガラガラっとシンクの前のガラス戸を開けると、不意に音は止んだ。よく見ると網戸に頭が三角の茶色い飛蝗が二匹取りついていて、霧吹きで水をかけてやると二匹とも夜闇へ飛び去った。

調べてみるとクビキリギリスという穏やかでない名の虫。高周波の鳴き声に人の悩まされること珍しくはないのらしい。しかしそれにしてもその名前。強いアゴを持ち、一度人の手指なんぞ噛みついたら離さず、引き剥がそうとすると首が捥げ、捥げてもなおアゴを離さぬのがその名の由来。

蓮池に
もろ手くぐらす
荒くれ


庭にひと抱えはある底浅の蓮鉢がふたつあり、それの水が異様に減るのを数日前から妻は気がついていた。日曜日の遅い朝、テレビ室でテレビを観ていた下の娘が食堂に駆け込んで、庭にアライグマがいると教えた。アライグマとはけったいな、ハクビシンかタヌキだろうとテレビ室に駆けつけると、ガラス戸の向こうの蓮鉢の水が半分ほどに減っている。妻のいうに、昨日のうちに水は足しておいたと。娘のいうに、アライグマは鉢の縁から身を乗り出してさかんに手を洗っていたと。ともかく顔が白かったと娘はいい張り、それならハクビシンだろうとスマホで写真を見せると違うという。顔は細長くなかったというから、それならタヌキだろうと写真を見せると、顔が白くないと得心しない。なんだろうねえと妻と訝っているところへ今度は上の娘が食堂に駆け込んできて、撮った! と快哉叫んだ。庭に舞い戻った不届き者へ、タブレットを向けると慌てて逃げていったといい、逃げ去る間際をカメラに収めたと勝ち誇った。見るとかろうじてそれはとらえられていて、長い尻尾に縞模様があり紛れもなくアライグマなのであった。偉いもんだ偉いもんだとさかんに感心されたが、妻にはわたくしがなにに感心するか、にわかには判じ得なかったかもわからない。

春はいいものとしおらしく思えるのも年の功の一であろう。雨の日はまた格別である。土の匂いが立つ。草木の匂いが立つ。どこかで誰かがショパンを弾いている。

にぎわしき
陋居の庭に
雨やはらかに

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